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矛盾しててもいいよ。人間だもの。

最近少しずつ寒くなってきた。

私は冷え性で、特に冬は末端が冷える。「なんでそんなに手冷たいの?」とよく不思議がられる。それなのに厚着は嫌い。とにかく着込みたくない。体に密着するのが嫌だし、肩も凝る。冷え性なのになるべく薄着。いろいろ、矛盾している。


矛盾と言えば、noteを書いていると矛盾を感じることがある。

最近書いたnoteでは。
一見むだ遣いに見える買い物にも、その後の人生に変化をあたえるきっかけが含まれている可能性があって。
だからむだ遣いじゃないかもよ~書きながら、その2日後には使っていないものが多すぎる、買うときは捨てるときのことも考えよう、と書いている。


少し前に書いたnoteでは。
今の自分が好きではないけれど、今の自分を形作ってきた過去のことを否定したいわけじゃない、とも書いていた。

自分で書いたことながら、いろいろと矛盾している。


そもそも矛盾とは。

二つの物事がくいちがっていて、つじつまが合わないこと。

そして由来はこれですね。忘れてた。

《昔、中国の楚の国で、矛 (ほこ) と盾 (たて) とを売っていた者が、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇ったが、「それではお前の矛でお前の盾を突けばどうなるか」と尋ねられて答えることができなかったという「韓非子」難一の故事から》

おもしろい。
物事のつじつまが合わない状態を指す言葉がそれまでなかったとして、このときに「矛盾」という言葉がはじめて生まれたんだなぁ。
それまではなんと言っていたんだろう。その状態に居合わせたら、むずむずしてしまいそう。


考えてみると「矛(ほこ)」と「盾(たて)」で「むじゅん」という読み方になったのはなんでだろう。
「むじゅん」以外に矛を「む」と読むことも、盾を「じゅん」と読むこともなさそうだけど。あるのかな。


って話を戻して。

自分が思うこと、言ってること、やってること、全てのつじつまが合ってピンと一筋でつながっている方がいいのだろうか。でも完璧につじつまを合わせるなんてできるのだろうか。


矛盾しているからこそ、人間らしいともいえる。AIだったら矛盾は生じない。この食べ物が嫌いだとプログラミングされたら、その食べ物を突然好きになることはない。でも人間だったら、そういう矛盾はいくらでもありえる。


そう考えると矛盾とは、自分の視野が広がったときに感じるのかもしれない。

ある物事について、それまで「A」と考えていたのが「B」という視点や「C」という視点もあると知って。
「BやCの視点もわかるなぁ」と思いつつ、「A」を肯定してきた自分がいるから混乱して、という感じ。
これが、矛盾を感じている状態だとして。


まずは、矛盾を感じている状態を否定せず受け入れることが大切なのかな。否定してしまうと、視野の広がりがストップしてしまう。


視野が広がり、その広がった視点を同時に持ち合わせておくのか、その中で自分の考えやスタンスをはっきりさせるのか。それは自分次第。


というかグラデーションがある話なのかもな。

人生のきっかけを買うつもりで買い物しようと思いつつ、大量購入大量消費はあまりよろしくない。
グラデーションで考えて、ちょうどよいスタンスをとる。そうか、二極論で考えるから良くないんだな。

物事にグラデーションを見出し、その中で自分がどう考えるのか。

それが大切な気がする。




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