書くことは0から何かを生み出すこと。それを誇りたい。

今日は、どうしよう。
何を書こうか、まだ決まってない。
決まっていないけど、書き始めてる。
そんな書き方をしてもいいんだと、noteの場をありがたく感じる。ここは、書きながらちょっとひと息つける場所になっている。

書きながらひと息つけると思えるなんて、以前だったら考えられないことだ。「やばいやばいやばい」と心の中でひーひー言いながら、必死で書いていた。

張り切りながら書いた経験も、その結果生み出された文章も、もちろん大切にしている。でもこうして、書くことを決めずに臨む時間がありがたいと思えるようになった自分の感性も、なんだかうれしい。

今日は書かずに寝る、ということもできる。ただ書かずに一日を終えることが、なんとなくさびしい、とも思える。


このさびしさがどこから来るのか。
何かを書いて終わりたい、と思う気持ちはなぜ生まれているのか。

本当につたない、中身のない文章だけど、それでも「0から生み出している」ということを、実感したいのかもしれない。

だってまっさらな白紙のページに、気づいたら1000字くらい綴ってるって、考えたらすごいこと。

ここで文章を書く人は、みんなみんな、0から何かを生み出している人。中身はどうあれ、生み出しているという事実は確かに存在する。


もちろん質を追求すればきりがないけれど、ここではいったん「質」はおいて、自分のことでも、自分じゃないことでも、言葉を一つずつ綴り文章として残している。その事実を、十分誇ってもいいんじゃないか。


「ああ、今日も生み出せた」

こんなつたない文章でも、そう思って一日を終えられる。
そのことが、自分を満たすことにつながっている。


別に文章を書くことが全てじゃないから、書かなくても満足して終えられる人もいるだろう。それはそれでいいと思う。

私は自分を満たす手段の一つが「書く」ということだから、今日もこうして自分のためだけの文章を書いている。


書けないことはない。頭の中、心の中で思っていることをそのまま書けば文章になる。書くことって、そんなに難しくないのかもしれない。

もちろん誰かに伝わるには言葉を、文章を、磨く必要がある。

でも肩の力を抜いて、ありのままの心をさらけだした言葉が、案外誰かの心に届いたりする。そんな届き方もいいなぁと思ったりする。


今日も書いて、ほっとひと息つけました。


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