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あたたかいケトル

白地をベースに、取っ手と蓋を開けるボタンは赤。スイッチを押すと青くなり、少したつと”ざざー”と水が沸く音が聞こえ始める。ぶくぶくぶく…”に変わり、スイッチが”カチッ”と戻ったら、できたよの合図だ。

先日、電気ケトルとお別れをした。一人暮らしを始めたときから使っていたから、もう10年近くになる。その間一度も壊れずに、ほぼ毎日働いてくれていた。

最近youtubeで「暮らし」「インテリア」をテーマに動画をよく見ている。出てくるケトルはみんなおしゃれでスタイリッシュ。今のケトルが壊れたわけではないけれど、10年使ったし、そろそろ変えたいな、もう少しおしゃれなのがいいなと夫に話していた。

そんな話をしていたら、これまで一度も壊れなかったケトルが壊れた。スイッチを押してもすぐに戻る。スイッチを押さえれば何とか使えるので、湧くまで指で押さえるか、マスキングテープを貼って使うことに。

どうして急に壊れたんだろう。今まで一度も調子悪くなったことないのに。

そう思ったときに、以前何かの番組で芸人さんが「新しい車を探していたら、今の車が急に壊れた」「物も人の話を聞いているんだよねぇ」と言ってた話を思い出した。

そうか、私が「新しいのほしいな」と話していたからかもしれない。ケトルの心を想像すると、何とも切ない気持ちになった。

とはいえ、この状態だと使えないので、本格的に新しいケトルを探すことに。色も形も機能も良さそうなものを見つけ、ポチッと購入。1週間で届くことになった。

あと1週間はなんとか使おう。そう思っていたら今度は逆に直った。スイッチが普通に入る。もしかしたら、新しいのが届くまで困るから直ってくれたのだろうか。

新しいケトルが来た。今までのケトルは結局最初に壊れて、直ってからは壊れなかったので、壊れていないものを捨てるのはちょっと申し訳ない気持ちになっていた。でも、新しいのが来たし、もともと買い替えようと話していたのだから、潔くお別れをしなきゃいけない。

そうだ、最後にきれいに洗おう。

洗って、乾かそうと逆さまにして壁に立てかけていたら、バランスが悪かったのかゴロンと倒れ、そのまま床に落ちた。そしてパーツが割れ、本当に壊れてしまった。

壊れた方が、捨てやすいと思ってくれたのだろうか。

優しすぎるケトルくん。気遣いできすぎるケトルくん。モノも生きてるのかもと、ここまで思ったできごとは初めてだった。


小さいころ、モノに対して「ありがとう」とか「ごめんね」をよく言っていた。そう言いなさいと教えられたわけじゃなく、たぶん自然に。そして自然にその習慣はなくなっていた。モノがあってあたりまえ、使えてあたりまえ、気に入らなくなったら捨ててあたりまえ。

モノに心があると考えるならば、2人暮らしだとしても、実際は2人暮らしじゃないのかもしれない。モノも含めると、大大大家族。一つひとつ、感じていることも思うこともあるのだろう。

おうちに戻してもらえなかったり、ほこりを取ってもらえなかったり、新入りなのにすぐに捨てられたりすると悲しいのかもしれない。「人の気持ちになって考えなさい!」という言葉を、そのままモノにあてはめてみる。ありがとうと言われたり(言わなくても思ったり)、大事にしてもらえたり、できれば長く使ってもらえたりしたほうが、モノもきっと嬉しい。


水を沸かし、あたたかいお湯をつくるケトルくん。
最後も人の心をあたためて、旅立って行った。




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