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内に閉じず、外へ開く。

自分に余裕がなくなってくると、周囲を信じられなくなることがある。

「誰も見てくれていない」

「自分ばかり大変な思いをしている」

そうして、どんどん内にこもっていく。

周囲の人たちが余裕ありそうに見え、ちょっとうらめしい気持ちになる。
どうして私だけが、と。

そうして、どんどん底まで落ちていく。
底には、いつまでもたどりつかない。


「一緒に考えたいので、言ってくださいね」


はっと我に返る。


なんだ、一人じゃないじゃん。

勝手に内にこもって、勝手に底に落ちていただけだ。

被害妄想なのか悲劇のヒロイン思考なのか、時々こういった感情に陥ることがある。勝手に周囲を信じなくなり、勝手に一人で抱え込む。

普段考えないことまで考え始めてしまい、その沼から抜け出せなくなる。

以前の方がそれが強かったかな。 
ずっと一人ぼっちのような気がして、ずっと不安の中でぐるぐるしてた。


そんな時、偶然ある人とごはんを食べることになって。
その人は、信頼しているお姉ちゃんみたいな存在な人で。

悩みを話すと、うんうんと聞いてくれた。
そして、私の立場に立って悩みを理解してくれようとした。

「この人は、私をわかってくれようとしている」

そう感じたときに、ふと心が軽くなった。

「わかってくれない」と決めつけていたのは自分で、周りに目を向けてみたらわかってくれる、助けてくれる、力になってくれる人はいるんじゃないか。

あの人も、この人も、あ、この人も。
信じられる。
なんだ、いっぱいいるじゃないか。
こんなにいるのに「誰も助けてくれない」なんて、なんだ。 
やっぱりヒロインにでもなったつもりか。

誰も助けてくれないんじゃない。
自分で自分を取り囲む分厚い壁を建てて、助けを出せない状況を作り出していたんだ。

壁は自分で建てたのに、建てたことに気がつかず(忘れ?)、「私を助けてくれ」って。いやいや、そんな頑丈な壁あるのに、外から入れないから。まず外に出てこいやって話ですね。


思考が内に、内になっている時ほど、外へ、外へ。

顔を上げて周囲を見渡してみたら、力になってくれる人はたくさんいる。  

その人たちを信じるか、信じないか、の話だ。

相手を信じよう、助けを求めようと思った時、「でも相手にとって迷惑じゃないのか」という感情が、顔を覗かせる。

迷惑だろうな、きっとそうだろうな…と、また分厚い壁をコツコツと建て始める。

ちょっと待った。
迷惑だったら言ってもらえばいい。
それを決めるのは私じゃない。
想像で壁を建てるのは、もうやめよう。


心のあり方を変えてみると、周りの景色が違って見える。
思っている以上に、世界は優しい。


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