その言葉へ、想いや責任をもって。

できない理由を並べるより、
できる方法を探そう。

これはすごく大切なこと。
私はどちらかと言うと「できない」「難しい」と思ってしまう方で、この言葉をよく言い聞かせている。自分ができないからこそ、周りに伝えることも多い。

最近ハマっている「約束のネバーランド」。主人公のエマは絶望的な状況でも「何か方法はある」「絶対に諦めない」と自らの運命を変えていく。読んでいると、この世に不可能なことなんてないように思えてくる。


「できる方法を探そう」と思うとき、口にするとき。思って口にするだけなら簡単で、前向きっぽく見える。
もちろん有言実行スタイルで、言ったことから実現していけばいいのだけれど、「できる方法を探そう」「できることを考えよう」と言いつつ、実は全然探してない、考えてない、前向きなポーズを取っているだけの状態になっていないかは、気をつけたい。


言い聞かせる言葉や、誰かに向けて発する言葉に、本当に想いがこめられているのか。

怖いことかな、言葉は口先だけでも扱うことができる。

思って満足。
言って何となくの共感も得られる。
そこでストップしていないだろうか。

その言葉に想いはあるのか。
その言葉に、責任をもっているのか。

できる方法を探したい、できることを考えたいと思っているのなら、その言葉、そう思う気持ちに責任をもち、具体的な行動に移す。そうしない限りは、「探している」「考えている」とは言えない。

話しは少しそれるが、できる方法を探す、できることを考えようとするとき、もう一つ気をつけたいことがある。

それは「できること、できないことは分けて考える」ということだ。つまり、できないことはできないこととして認めるということ。
ここが混ざると、「もっとできるはずなのに」と苦しくなる。

私の今の仕事で言えば、子どもと直接会う活動は、状況的に「できない」「しにくい」部類に入る。
その場合は「今は、できない」と認めた方が、別でできることに力を注げる。ここを認められずに「何とかできないか」としがみつくのは、力の注ぎ先を間違えていると言える。


自分自身のことについても同じだ。
自分ができること、できないことを分ける。
できないことは、他の人に頼る、力を借りる。できることに、力を注ぐ。
分けて考えることで、できることに対して割けるエネルギーがきっと大きくなる。


今年も残り1か月をきった。今年できたことは何だろう。もっとできることは何だろう。

結果「できたこと」になるように、行動へ移していきたい。





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