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書くことは、自分を一歩前に進ませた。

昨日投稿したnoteを、嶋津亮太さん主催の「教養のエチュード賞」に応募させていただいた。



実は以前、あるコンテストに応募したことがある。そのときはものすごく気合が入っていた。

お願いして人に見てもらって、何度も推敲して、寝てパッと起きたら「あ、あの部分やっぱりこういう言葉にしたい…」と思うくらい、ずっとそのことで頭がいっぱいだった。

やりきった感、達成感はあり、入賞はできなかったもののすごくいい経験になった。書くことの奥深さを、また一つ理解した。


しかし今は、そのころのように書けるかどうか、あまり自信がなかった。だからこちらに応募しようかどうか、少し迷った。
せっかく読んでいただける機会なのに、あんまり気の抜けた文章を出すのも失礼だし、、


でも嶋津さんのnoteは以前から拝見していて、本当に、いくつものnoteで心を動かされた。落ち込んだときに励まされ、うだうだ甘えたくなるときに喝を入れられ、嶋津さんのnoteからたくさんの刺激をもらっていた。

このコンテストにはテーマはありません。決まっていることはただ一つ。「文章によって表現された作品」ということです。ぼくは「最良の書き手」でありながら、「最良の読み手」であることに努めます。

ああ、この方に読んでもらいたい。
強く思った。


気合いを入れて書けないかもしれない。
いい文章とはほど遠いかもしれない。でも。

「エチュード」とは、音楽の世界では「練習曲」、絵画の世界では「下絵」という意味。
書くことや読むこと、話すことや聴くことは、考える練習。そのエチュードが豊かな生き方に繋がればという想いが込められています。

そっか、気張りすぎず、練習と思えばいいんだ。
その文章を書くことで一歩でも前に進めるような、自分の豊かな生き方に繋がっていくような、そんな文章を書けばいいんだ。


とても、リラックスして書けた。
完成度の高い文章とは言えないし、本当に個人的な文章。

でも自分にじっくり向き合う中で、ネガティブな想いも、矛盾している想いも、前向きになりたい想いがあることにも、気づくことができた。


書くことは、今の自分を受け入れるための第一歩。
この作品を書いた時間は、自分にとって間違いなく豊かな時間になった。


エチュード。いい言葉だなと思う。

毎日を生きることも、人生のエチュードだと思えばいいのかもしれない。

失敗したり落ち込んだりすることも、練習の一環だからね、と思えたら、気楽に生きられる気がする。
そんな生き方がいいな。



応募したのはこちらです。




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