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卒業式に思う:思考停止はダサかった

我が子が卒業式を迎えた。

我が子の成長もだけど、学年の子どもたちみんなの成長ぶりに感激し、涙なみだの卒業式だった。

今年度は一学期の始業式が6月という異常なスタートで、夏休みや冬休みは極端に短くなり、行事は無くなるか仕様が変わり、ことごとく「前例にない」1年。その中で成長を支え指導してくださった先生方のご苦労を思うと、親としては感謝の気持ちで、社会人としては尊敬の念で、胸がいっぱいになる。

子どもたちは小学校最後の学年にも関わらず、楽しいはずの行事が無くなってしまい、過去にその楽しさを経験している大人たちからは「行事が無くなってかわいそう」と声をかけられることが多かった。私も「残念だけどしょうがないね」と言いがちだった。

けれど、ついそんな風に言いながらも違和感があった。過去にあった「普通」だけが子どもを成長させるのか。過去の「普通」がなくなったら、子どもは成長できないのか。

答えは当然、否だ。

行事どころか、緊急事態宣言中の家だけで過ごしている時にだって、子どもたちの成長はあった。子どもが成長するには、親の、大人の、ちょっとした工夫や仕掛けが必要かもしれない。でも、それは漫然と繰り返す「普通」の中にだけあるわけではない。

何が大切で見失ってはいけないのかという本質の部分を見抜ければ、方法は変えても全く問題ない。本質を見抜き、そのためにどうしたら良いか、自分のできることを考える。大人は大人の立場で、子どもは子どもの立場で。

先生方はそのことを身を以て示し、子どもたちにとってのパイオニアになってくれたと思う。

どんな環境でも人は成長できる。それを卒業を迎えた子どもたちが私に強く教えてくれた。「残念だけどしょうがない」は思考停止を宣言しているようなものだった。そんなダサい言葉を使うのはきっぱりと止めよう。

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