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台湾的音楽 ラジオNIKKEIで紹介した日本と台湾の音楽交流の話

ご無沙汰になってしまいました。
実は、5月末に罹患者になりまして、その後の復調に1ヵ月ほど時間がかかり…。どうぞ、みなさまお気をつけくださいね。そして、罹患者にも優しく接してあげてください。熱も下がり、外に出て良くなっても、まだ空咳や倦怠感がある方もいますので…(私がそれでした。)

さて、本題に戻ります。
7月18日(海の日)に、ラジオNIKKEIの番組に出演させて頂きました。
番組名は、「21世紀の台湾と日本~台湾ロスを癒そう!台湾満喫ラジオ~」。特番です。今年は、あと2回放送されまして、私も出演予定です。
ラジオNIKKEIでは、この特番を20年以上続けているそうです。
文化だけではなく、経済的な結びつきなど、いろいろな角度から台湾を知ることができる番組でした。

私が番組に呼んで頂いたのは、「台湾音楽」の切り口で、日本と台湾の結びつきを紹介して欲しいとお声がけ頂いたからです。
オンエアでは、お話をしたこともカットされてしまったものもありました。これは仕方がないことなので、特に何とも思っていませんが、せっかくなので、ここで内容などについて改めて書こうと思います。

前置きが長いですね。ここから本編ですので、よろしくお願いします笑

番組のメインテーマが、「日本と台湾の友好関係を巡って」ということでしたので、音楽における友好関係の歴史を紹介させてもらいました。

最初にご紹介したのは、F4「流星雨」でした。

懐かしい!と思う方も多いと思います。日本のコミック「花より男子」が原作のドラマ「流星花園」の主題歌。歌っているのは、グループ名もドラマから取っているのは有名な話ですが、この楽曲は、平井堅さんが2001年にリリースした「gaining through losing」のカバーです。
 
もちろん、日本のカルチャーと台湾のカルチャーが交差した感じも日台関係の象徴的なところもありますが、それだけではないです。この曲は、日本語の曲を中国語で歌っていますが、この流れは、1987年以降、日本文化が解禁された時に生まれたのではなく、統治時代や戦後、日本文化が入って来られなかった時代も、台湾でも行われていたことなんです。
当時は、中国語ではなくて、台湾語で歌っていましたので、「日歌台唱」と呼ばれていました。

統治時代だと、例えば「仰げば尊し」もそうですね。「青青校樹」として歌われていましたので、40代より上の台湾の方にはお馴染みの曲かもしれません。(ホウ・シャオシェン監督の「冬冬の夏休み」にも出てきますね。)
また、日本文化が入って来ない時代も、日本の流行曲が台湾語で歌われていて、美空ひばり「リンゴ追分」や、ちあきなおみ「喝采」なども歌われていたみたいです。

1987年までのおよそ38年、日本文化は台湾に入ることができませんでした。
でも、1895年から1945年までの50年間は、日本統治時代と呼ばれる時代で、台湾では日本語の教育が行われていました。
その頃に子どもだった、日本語教育世代と呼ばれる方たち、特に終戦前の混迷していた頃よりも少し前に子ども時代を過ごした、今は80代後半から上の方たちは、日本の歌も学校で学んでいます。
いわゆる唱歌をたくさん歌って育ちましたので、今でもその歌を歌ったり、孫に歌って聞かせた人もいるみたいです。

台湾の人気アーティスト、魏如萱 Waa Weiのおばあちゃんもそのひとり。おばあちゃんは「桃太郎」を良く歌ってくれていたようで、彼女のおばあちゃんとの思い出の中に、「桃太郎」はしっかりと入っているんです。

Waa Wei 「奶奶」

私が初めて台湾に行ったのは、2007年か2006年のあたりでした。
日本語教育世代の方も、街にたくさんいらして、日本語で話しかけてくれました。そして、孫に「いただきます」とか「ただいま」って教えているのよ、と言ってくれたことを覚えています。統治を美化するわけではありませんが、この方たちにとって、それがその頃の思い出なんですよね。

私は、魏如萱 Waa Weiとほぼ同世代です。自分自身の祖父母は、親が末っ子同士で結婚しているので、もうとっくに他界しているのですが、この曲を聴くと、台湾で会って話しかけてくれたお年寄りや、自分の祖父母のことを思い出します。この曲のアレンジは、私がとても好きな林以樂です。

さて、日本の統治時代、そして日本文化が入って来られない時代を経て、再び日本文化が解禁された後は、日本大好き世代、哈日族(ハーリージュ)の登場もあり、たくさんの日本文化が台湾で浸透してきました。

また、私にとって、最初に出会った台湾のアーティストは、やっぱりビビアン・スーだと思います。(もちろん、テレサ・テンのことも知っていますが、祖母が見るテレビに出てくるひと、といった感じで、当時は台湾の方という意識はあまり無かったと思います。)頑張り屋さんで、可愛いくて、ちょっとおとぼけなビビアンに夢中になりました。多分、40代前後は男子女子関係なく、ビビアンが大好きな人が多いかと思います。

少し時代が流れ、2000年代に入ると、台湾のインディーズバンドの楽曲も日本でも聴ける機会が増えたように思います。以前は、好きな人は探してCDなどの音源を手に入れていたと思いますが、この頃、透明雑誌は東芝EMIからCDを出していましたので、大型CDショップでも手に入りやすくなりました。私は、試聴機で透明雑誌の楽曲を聴いて、衝撃を受けました。「台湾のナンバーガール」なんて紹介されていましたね。

また、もう少ししてから、スペースシャワーからも、台湾アーティストが日本でCDをリリースするようになり、宇宙人 Cosmos People や 滅火器 Fire EX.などを好きになる人も増えてきました。

滅火器 Fire EX. 「希望の明日」

この曲は、東日本大震災から10年経った、2021年3月11日14:46に配信された楽曲です。
彼らは、2012年に始まった東日本大震災復興のため、被災地にライブハウスをつくる「東北ライブハウス大作戦」に参加し、その後もこの作戦のPR活動を継続しています。被災地を訪問し、ライブもしてくれています。2016年には被災地で撮影したMVととにも、復興応援ソング「繼續向前行 Keep on Going」をリリースしています。日本との友好関係増進のため、長年にわたり取り組んだ個人・団体に対し、その貢献を外務大臣より表彰する「令和3年度外務大臣表彰」を受賞しています。

いまは、日歌台唱とも違う、台湾の音楽を直に楽しむ時代になったように、個人的には感じます。 YouTubeやサブスクリプションサービスで、国やリリースの時代などに関係なく、たくさんの音楽を聴けるようになりました。
日本のシティポップなどを、カバーする台湾の若手アーティストがいますし、また日本のアーティストも、台湾アーティストとコラボをして楽曲を出したりと、日台の音楽交流は、新しい形で進んでいるように思います。

「プラスティックラブ」9m88
2017 年の「プラスティックラブ」のアジア圏ブームの中心人物のひとり9m88。2017年てもう5年も前なんですね。

LÜCY & 羊文学  「OH HEY」
台湾の注目若手アーティストLÜCYと、日本のオルタナティブロックのスリーピースバンド、羊文学のコラボ作品。LÜCYが、羊文学の楽曲を聴いたことがきっかけで、コラボが実現したらしいです。両者の音の感じや雰囲気が、本当によく合っていて良い。ステキな作品ですし、ぜひ対バンして欲しいです。

こうやって、駆け足で振り返ってみても、本当に長い間、日本と台湾には音楽を通した交流があるんだなと思います。
いまは、代表的な内容をピックアップして紹介していますが、これらの楽曲がリリースされている周辺でも、たくさんの交流や出来事があったのだと思います。

ラジオで、最後に流した曲は、Netflixドラマ『華燈初上』の挿入歌にもなっていました「雨夜花」にしました。このドラマ、怖いと美しいが交錯しているのと、犯人が誰なのかが気になって…みたいな感じで一気見しました。なぜこの曲を選んだかと言いますと、作曲した鄧雨賢は、日本統治時代の台湾から、東京音楽学校(いまの東京藝術大学)に留学をした、台湾を代表する作曲家だからです。

1934年に制作された曲ですが、いまも愛されていて、台湾のみならず、日本人にもそして中華圏でも親しまています。戦争の時には、歌詞も変更され、国威発揚にも使われたということを聞いたことがあります。時代を経て愛されている曲で、日本と台湾の音楽交流の代表的な曲ではないかなと思い、選びました。

番組では、ここまでの長い話をするのはできませんでしたが、自分自身でも改めて、日台音楽交流をまとめられて良かったなと思います。そして、それを媒体で話す機会を頂けて良かったです。

次回は、9月23日に登場する予定です。
台湾の音楽の話をしますが、テーマはまた変わってきます。よろしくお願いします。

それと!最後に告知を!
Podcast始めました。Spotify Sound Up Japanに運よく選出頂きまして、台湾カルチャーを深堀する番組をスタートさせています。音楽よりも、食べ物などを切り口にして、そこから台湾文化などに、深く触れて頂けるようになると良いなと思っています。

こちらも、どうぞぞよろしくお願いします。
フォローしてもらえると喜びます。

番組Instagram もよろしくお願いします。


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