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『ロゴスと巻貝』と朝活

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うーん、普通。

最近は小津夜景氏著『ロゴスと巻貝』を読んでいる(現在進行形)。
まだ最初の方だが、マーカーを引いたり、引用したくなったりする一節が多い。

小津氏は俳人で、現在はフランス在住とのこと。
俳人だけあって、文章がきれいだし、文章のリズム感もよい。
小さい頃からピアノを習ったり、音楽にも造詣が深いようだ。

わたしも、知識も経験もとぼしかったころの読書はものすごく速読だった。なぜってそれが、わからない本をわかったような気がするところまで無理やりもっていく秘訣だからだ。文章というのは音楽だから、テンポをはずさず筆勢に乗ったほうが文意をつかまえやすい。初手から音符をひとつずつじっくり観察していたらメロディーが聞こえてこないのと一緒で、流れを止めれば意味の輪郭は壊れてしまう。文章の自然は運動のなかに存在する。リズムのなかでこそ、それはいきもののようにふるまう。あのころ、わたしは作品の意味を理解するより先にそのリズムに共鳴していた。

P47より

小津氏は文章の意味より先にリズム感を体得していた模様。

これ、全く別の本でも似たような記述を見たぞ……?
確か千葉雅也氏著『センスの哲学』でこういう記述があった。

意味の手前、それはひとことで言えば、「リズム」だと思います。その絵が何を表しているか、その小説がどういうメッセージを発しているかではなく、そこで展開されている形や運動が、それ自体としてどのように面白いかを感じ取る。形、音、味などが、ただ即物的にどうなっているか。そのことをリズムと呼びたいと思います。

『センスの哲学』より

もしかして、俗に「センスがいい」と呼ばれる人達は、良い作品のリズム感を体得しているのでは?
その体得したリズム感を言葉で説明しろ!と言われても本人達は中々できないと思うので、
たいていは「その人のセンスがいいんだろう」で話が終わってしまう。

私はセンスに関しては悪いというか、独特という自覚があるので、
これからはリズム感を意識して作品を見れば、少しはセンスがよくなるかも!?

自分が読書は役に立つ、と感じることの1つとして、
自分が苦手なことを自分が得意な言語を通じて伝えてもらうことで、
少しは理解できて(できたような気がして?)少しは改善できる(※当社比)ことである。

『ロゴスと巻貝』の続きになるが、「音響計測者(フォノメトログラフィスト)の午後」の節に小津氏の印象深いエピソードがある。

中三のとき、エリック・サティ「ジムノペディ第1番」をクラスで鑑賞し、ノートに感想を書いて提出する音楽の授業があった。(中略)たぶん「この曲には、存在の縦軸と時間の横軸とがもつれ、靄のようなものが座標上でうごめいている形跡が見られる。その靄のヴェールは、じわじわと忍び寄る意味を優雅に掃き散らしては、その独特の風格を保っている」みたいなたわごとを書いたのではないかと思う。

P80より

小津氏は中学卒業時に、音楽教師からこの感想を書いたノートをくれないか、と言われたという。

こういう文章を中三で書いた小津氏もヤバいが、
それを欲しがる音楽教師もキモ過ぎるだろ。。

文章に限らず、並外れた才能を持つ者は、
たいてい学生時代から頭角を表している。
逆に、学生時代に周りから「すごいね」って言われたことがない人は、
まぁ並外れた能力はほぼないということではないかと。

私の場合、小津氏ほどでは全くないが、文章については時々褒められることはあったように思う。
というかそれ以外あまり褒められた記憶がない。
文章は私が飯を食える唯一の仕事なので、まぁそういうことなのだと思う。

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