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流浪の月(凪浪ゆう/東京創元社/本屋大賞ノミネート候補作品)

<著者について>

凪浪ゆうさん

2006年に『恋するエゴイスト』でデビュー。著作に『神様のビオトープ』『すみれ荘ファミリア』『流浪の月』など。


<本屋大賞とは?>

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2004年に設立された、NPO法人・本屋大賞実行委員会が運営する文学賞である。 一般に、日本国内の文学賞は、主催が出版社であったり、選考委員が作家や文学者であることが多いが、本屋大賞は、「新刊を扱う書店の書店員」の投票によってノミネート作品および受賞作が決定される。

ちなみに2020年吉川英治文学新人賞候補作でもあります。


<あらすじ>

せっかくの善意をわたしは捨てていく。
そんなものでは、わたしはかけらも救われない。
愛ではない。けれどそばにいたい。
新しい人間関係への旅立ちを描き、
実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人間を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

<感想>

BLを10年以上書かれていた凪良さん。BLは約束事の多いジャンルで、登場人物は男性。「攻め」「受け」の立場があって、「受け」の男性は一途に想い続けハッピーエンドに終わるという形と決まっているんですね。理想の男性像より生身の男性を書きたいと望んでらして、初めて女性を主人公とし『神様のビオトープ』を書いて自由を感じられたそうです。

この物語の主人公更紗は「ヤバイくらいにマイペース」な母親と、そんな母を愛する父の三人家族で、世間の枠にとらわれずに育ちました。
現代の東京が舞台のノンフィクションです。

父を失い、母に捨てられた末、小学生の時、血は繋がっているもののゆっくり眠れない叔母の家庭が彼女の居場所となります。

まだこの時点は物語の導入部分です。この家庭に、夜を怯えさせる原因さえなければ、それでは物語が始まらないんですけれどね、まずこの原因にとっても腹が立ちました。
悪いことは重なってしまう、ましてや子供ではどうすることもできない運命に、現実にも実際あるであろうこと想像して心痛みました。

家に帰れない八歳の更紗が、いつも公園で少女達を見ている青年に出会い、二人は暮らし始めます。
でもやはり二人は、世間に被害者少女と少女が好きなロリコン加害者にされてしまう…。

この時点では歪んだ愛を想像してしまいますよね。
こんな背景の二人から生れた繋がりだから物語に共感は探せない?

私はそう思いませんでした。こんな関係だからこそ、説明がつかない二人の繋がりだからこその、感情の機微が静かに書かれています。

更紗が青年に出会った時「恵みの雨のようにわたしの上に降ってきた。頭のてっぺんから爪先まで、甘くて冷たいものに浸されていく」と感じたんです。出会った瞬間に愛してること気付くこと。その人の側にいると、思い出そうとしなかった事でさえ、柔らかく思い出されること。二人の違いを認めるだけでなく、相手側に踏み出そうとすること。
二人だからこその繋がりが、美しい愛として私にゆっくりと沁みてきました。

「ほんとうの自分の居場所」を見つけられない人達が押し付けてくる世間とやらに腹をたてながら、更紗を応援しながら読み進めました。

最終的には、更紗は自分で居場所を見つけられる強さ、というか自分の心をきちんと読めて「私の居場所」を得ます。だから、「しょうもない常識や好奇の視線ばかり押し付けてくる世間は、そんなものどうでもいい」と言えたのですよね。
だから私は、一旦更紗については、これが一番よい形で、良かったぁと気持ちが安らぎました。

が、世間の中の一人である私は、普通の人のつもりでも、知らないうちに誰かを傷つけているかもしれないし、日頃「そういうのが世間だ」と見えないふりをしている居心地の悪さを気づかされました。

『せっかくの善意をわたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない』この言葉が、今も心に刺さったままです。

叔母の家にいた根元悪の少年、また亭主関白を押し付けたいびつな愛でしか愛せないDV男性。この人達もこれからがあるんですよね。
愛なく生きていける人がいるのですか?

凪良さんなら、抑制の効いた筆致で、彼らの心の揺れも精緻に書いて下さる筈ですもの、是非次は、そんなテーマで書いて頂けたらなって思いました。

文学賞候補を読んで感想を書いていきます。今後の本選びの参考にしていただけると嬉しいです