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こちら精神科相談室です①

大きな道路から、一つ道がそれた山の麓に、それは建っている。遠くからみれば、何かの古いリゾート旅館にでもみえるかもしれない。いや、そんなことはないよな、要らぬ思考を巡らせて、車を走らせる。思うよりも早く、職員駐車場についた。少し暑くなってきた気候に、照らされながら、気分を仕事モードにするべく持参したペットボトルのお茶を喉にくぐらす。

さて、そういうと車をおり、大きく病院名前が記載されている入り口をくぐり、院内でも片隅においやられているようにみえる木製のギシギシ音のなるドアをあける。

おはよう!

おはよう御座います。

たった三人だけの部署。

精神科相談室。

ドアを閉めて、右手の壁に出勤の印鑑簿がかかっている。
大森はこの病院に勤務して、もう三十年は経つベテラン。過去の経歴は変わっていて、昔は有名な銀行員だったらしい。たまたま、この病院の人事部の募集をみつけ、十五年程、人事部にいた人間だ。何があったのか、直々に院長に相談課への異動を希望したらしい。精神保健福祉士という資格を取得したのも、ここ十年の間だ。あまり、自分のことをいわない大森は、相談室の主任でありながら、あまり後輩を引っ張るタイプではなかった。

おはよう御座います、すいません、またギリギリで。

いつもの決まり文句で、新人二年目の南は汗をかきながら、木製のドアを開けにくそうに引っ張った。

また、南くん、ギリギリだよ。

はい、すいません、

言葉と一緒にいつも頭をさげる仕草をみて、大森も、それ以上は言わなかった。

はやく、出勤簿に印鑑をおして!

はい。

唯一、女性の幸子は、うるさい姑のように世話をやく。相談室の、いつもの朝が始まった。
なんとなくバランスのとれた、人間の形。幸子は、相談室の同僚に恵まれているな、と時々、思っていた。

さぁ、ミーティングをはじめましょうか。
大森が、ホワイトボードに向かう。

南と幸子は椅子をホワイトボードにむけると、メモをとる準備をした。窓からは緑の木々がまぶしく光っている。

夜間救急で夜中に入院してきた40代女性、
家族からのアセスメントと、本人の状態確認と、家族への連絡、それと看護部と連携、

そこまで言い終え、いつもどうり、新人の南相談員に、勉強もかねて、ケースをひきつぐとおもいきや、幸子の予想ははずれた。珍しく、少し黙ったあと、このケースは僕が担当します、大森が静かに言った。

話は次のケースにすすむ。今日退院の患者さん支援については、南相談員、お願いします。

あっ、はい。

じゃあ、白鳥さんは、相談室での待機と、ケース会議資料や、医師との相談など、ケース連携を中心にうごいてください。

一日、よろしくお願いします、

南と幸子も返事をかえす。

あたりまえの流れが、このように流れていくことがもしかしたら不思議で、とても幸せなことかもしれない。十年は経過した、勤務を振り返りながら幸子は、ふと、そんなことを思った。

まどには、お日様が、あたりまえに、だれも疑問を感じられることなく、顔をだしている。

南は、早速、ケース記録を手にすると、本日退院の患者さんの資料をよみかえした。決して頭に入っていないわけではないが、平均三ヶ月で患者が出入りすることがふえてきた精神科。患者さんを相談員3人でわけて担当するため、細かい情報まで頭に入っていないこともある。患者さんと会うまえには、決して情報をもらすことなく、頭にいれて、話をする、、そんなあたりまえのことを入職以来、大森に痛いほど叩きこまれてきてきた。

70歳、小林 初美 統合失調症、
幻聴、幻覚も比較的落ち着いている、
夫は逝去、一人息子とは疎遠、
本人は自宅に帰ることを希望している
医師は定期的通院と服薬、在宅サービス利用が望ましいと記載している

南はケース記録をよみながら、いくつかの、方策を頭にえがく。決めるのは、患者さんだ。おしつけにならぬよう、しかし、命を落としたり、症状が悪化してまた入院にならぬよう、いろんな策を天秤にかけ、本人に提案する。あらかじめ、今日までの退院指導で、訪問看護や、配食サービス利用は決まっているらしかった。

あとは、、、
南は頭を2回かくと、唯一の親族との関係について考えた。本人は子供との距離を縮めたがっていると聞いた覚えがある。人生には、介入していいことと、家族の大切な歴史があるぶん、介入しないほうがいいこともある。それも、いろんなリスクや可能性を考えながら、頭をうごかす。

もう一回、小林さんの気持ちをきいてみよう。

そう、思い立つと、南は席を離れた。
バタンとしめられた、ドアから、カタリと音がなる。相談室、と木彫りでつくられた看板が揺れたのだろう。

幸子は、成長してきている後輩をみるたび、自分も、慣れや経験に傲慢にならず、純粋に患者さんとの関係を冷静、かつ、気持ちをこめて、保ちたいと、思っていた。

そう、大森主任みたいに、、。

大森は昨日の、緊急入院のケース記録を熱心に読んでいる。そんな横顔に、どこか時折浮かぶ憂いが、幸子には、どうしてもひっかかる纏いでもあった。

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