紙にするということ

先日、私はやっぱり電子書籍より紙に印字された本が好きだということを
改めて感じたわけだけれど

ここ最近、アルバムやフォトアイテム、つまりデータ渡ししかできなかったけれど、印刷面でもお渡しできるようにするということを始めようと準備しています。(それも私だけの力ではどうにもならなくて、お世話になっている大先輩から教わり、その大先輩も私のたまたま出会えて、たまたま仲良くしてくれて、たまたまとても大好きになった友人が、たまたま紹介してくれた方。良い方々ばかりで私はつくづく縁に支えられていると痛感する日々です。)

その中で、様々な会社のサンプルを手にしながら、このフレームがいいな、この質感が好きだなとあれこれ思いながら、価格や見合ったものかどうかや、お客様が求めるもの嬉しくなってもらえるものは何か、とかあれこれ考えだすと正解がわからなくて、最終的に「自分の想いに合うもの」「自分の撮った写真がどう印刷されたら嬉しいか」で決めていこうと思ったんです。

そこで、なんとなぁく備忘録。

フリーになる前に勤めていたフォトスタジオで、スタッフミーティングの際に、スタッフそれぞれの幼少期の一枚を持参して、どこが好きかという発表をするというものがありました。
みんな、フィルム時代の色が懐かしい様々な一枚を持参し、そこには自分以外の誰かが写っていたり、背景に記憶の片隅にある幼い頃のお気に入りのおもちゃがあったりと様々で。
一枚の写真から蘇る記憶や記憶にない温かい愛情を感じるような、それこそ手ブレしていたって大切な一枚がそこにありました。

残念ながら本当に私にはそんな一枚がなく。
 考えれば、あのミーティングの日に、自分の残したい写真が何と無く根を張ったように思います。
私は、私の手元にある数枚の写真から、今もそして今後も、誰から聞くわけもいかない今。
どんな想いがあったのか、どんな顔をして育てられてきたのか、どんな生活を自分がしていたのか、記憶の蓋を開ける手がかりもなく、残ったわずかな記憶や事実から、想像することしかできないわけです。

スタッフが持ち寄った、色褪せた写真が、角が少し破れたり曲がっている写真が、キラキラとても美しく見えました。

だから、私は家族写真にとても惹かれて、日常写真にとても惹かれて、自分にはないものであるからとても輝いて見え、そこに自分の体験が加わり、価値を感じているわけなんだけれど。

正直、こんなことを言ってしまってはいけないのかもしれないけれど、一眼レフでもスマホでも、その一眼レフが高価なものでも安価なものでも、私の想う一枚は切り取れてしまうと思っています。

でも、そこに、撮影した本人が写っていないということ。
やっぱりだれかに撮ってもらった一枚には、自身では気づかない想いがあるということ。
そして、写真を撮るということに気を取られず、本当にありのまま、いつも通りの姿は、ご家族様以外にしか撮れないって思うところに、カメラマンの存在意義をとても強く感じているわけです。
カメラマンには、カメラマンにしか物理的にも、気持ち的にも撮れない大切な瞬間があると思っています。(また、ダラダラと話しちゃいそうだからここでは割愛)

そんな写真への想いから、撮るということがまず一歩
それだけでも、本当に、本当に充分なんだけれど、、、
その写真の力は、撮ったその日から続く未来で、もっともっと発揮されると思うから。

毎日ふと目につくところへ飾って欲しい
紙にして、気軽に手を伸ばせばそこにあるという状態にしていて欲しい
未来で今日を見返すときに、一枚一枚ページをめくり、まるで自分の人生の物語を読むように思い出して欲しい

紙にすることで、より写真の力が発揮されると思っています。


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疲れたときに 癒しをくれるような
泣きたいのに泣きたい夜に 頭を撫ででくれるような
優しく叱ってくれるかもしれない 厳しく抱きしめてくれるかもしれない
「今」の大切さを思い出すような 「過去」の暖かさを感じるような
「未来」の勇気や希望を与えてくれるような
そんな一枚を 未来へ残す お手伝いをさせてください

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どうしようもなくイライラしてしまったときに ふとトイレにこもって前を向いたら あの日の一枚があったり
どうしようもなく落ち込んで何もかもうまくいかない気がして憂鬱な朝に 玄関でふと あの日の一枚と目が合ったり
疲れたなって背伸びしたときに、コーヒーよりも力を発揮する デスクの隅の小さな一枚が力をくれたり
自分のことも 周りのことも正解ばかり探してしまうことが止められなくて 少し疲れてしまったときに 何を考えるわけでもなく開くアルバムがあったり

日常にそんな一枚が そっと側にいると感じたとき
それが、写真の力だと思う。

ワイワイと集まった日に 懐かしいねぇとめくるアルバムから いろんなエピソードが飛び出して 一冊のアルバムを大勢が覗き込む日や
遠い記憶を拾い集めるように 誰かと 一人で ゆっくりページをめくる静かで暖かい ゆっくりとした時間も
記憶のないあの子が なんとなく手を伸ばしページをめくり 自分の知らない自分が過ごした日々を 絵本を読むように知るそんな素敵な体験も

断捨離が流行るこのご時世に
時代錯誤なことを言うようだけれど
ずっしりとした紙の重さから 伝わる何かってあると思う。



うーん、またちょっと色々とまとまらなくなってきたから
今日は この辺で。