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なんの話

先日久しぶりに電車に長時間乗る機会がありました。

こんな世の中になってしまって、職業柄できるだけ身の回りからリスクを排除しようと、公共交通機関をできるだけ使わない生活をしてきて
メキメキと運転技術は向上したし
ますます家の周りで満たされた休日を過ごす技術が向上し
良いも悪いも両面からの影響があるななんて感じで
なんて退屈かと思いながらも、退屈な毎日が楽しくなってきたりして
そんな毎日の中に、ちょっとの刺激な電車旅の予定が舞い込んできたわけです

そんな久しぶりの体験のお供に、一冊久しぶりに新しい小説を購入したわけで
もちろん、懐かしさからの江國さん

電子書籍もあるけれど

あの全ての指に柔らかに感じる本の重さとか
一枚一枚ページをめくる時の紙の質感と
次のページを今か今かと待つ左手の親指と中指に少し力が入る感覚とか
何よりも、ページをめくるたびに、文字より先に映像が頭に入り込んで、文字を読んでるんじゃなくって動く文字を息を吸うように。
文字がバラバラに頭の中でぐるぐる回っていつの間にかそれが映像になってるみたいな。あの不思議な引き込まれる体験は、きっと電子書籍では難しい気がするって思って本屋に立ち寄って、ワクワクしながら電車に乗ったんだけれど、表紙をじっくり眺めて、ゆっくりページを開いて読み始めて5分

すっごい怖かったー!

何がって、すごい、すごい、文字を読むってことが、ぎこちなくしかできなかったわけです。
ショックと怖さと、何か自分の中で無くしたらいけないものを無くしてしまったような、唯一の自分だって思っていた自分が、シナライ間にご不在どころか、跡形もなく消えてしまっているんじゃないかみたいな、そこまで一瞬で考えたくらい、怖かったー!

そして、行きの電車はものの5分で読むのをやめて、景色とネットに没頭してなかったことにして、一旦頭をリセットして。
わりとナイーブな性格だから、そうでもしないともう二度と本は読めないのかも、そんな気持ちにさえなりそうで。笑

でも私はそんなことも旅先の楽しい記憶にかき消されて、その楽しい記憶に乗っかって、まんまとまた本を開き、でも読みにくくて、ただ単純でもあるおかげで「そうそう、さっきも読みにくかったわけさ、もう少し読んでみよう」ってぎこちなくとも1枚1枚めくるうちに
降りなきゃいけない駅をとうの昔に過ぎていたことに気づいたわけです

あー良かった!!という気持ちで、帰りは駅前のコンビニで缶ビール買って帰ったわけです。(なんの話)(おかえりってはなし)

うっかり、うっかりで人は自分を見失うのかもしれないと思った出来事でした。

でも、きっとそれがすぐに帰ってくるものなら大丈夫
そうして形を変えながら、変わっていくところはアップデートして
変わらないところは変わらずに


昔、私には人間が育つ中での「根や土」がないと言われたことがあって
それは本当にその通りだとある種救われたような気持ちになった出来事だったんだけれど
さて、そんな「根や土」がないままでどうしようかと思った時に
じゃぁ今私が見ているこの景色まで伸びた幹は一体なんなんだろう?
この広がっていると感じる枝や葉、小さな小枝はどこからの意思でそう形を作っているんだろう?と考えて
ただのハリボテで芯のない、見よう見まねのツギハギでニセモノでダミーで
手のひらにたくさんのせてきたと思ったものは そう わたしが
わたし に そう 見せているだけで
本当のところは何も自分がないんじゃないか。と
それはそれは途方もなくかなしい気持ちになった日もあったんだけど

今は、多分、幹から根を伸ばし土を探して根をはることだって可能だし
一枚の葉から根や芽が出て、新しく生き直すことも可能で
人はどんな形でも、どんなタイミングでも、多少ハードモードでも
きっとダミーがダミーじゃなくなることもあるんじゃないかって思ってる(なんの話)(備忘録)

ダミーがダミーじゃなくなって最後はわたしで終われますように!
そんな前向きな気持ちで、リスタート。乞うご期待。