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【番外編】 銀座の約束 23.10.30

今回のnoteは、仕事や学校に関することから少し離れ、プライベートな部分についてお話ししようと思っています。私の妻に対しての内容なので少し恥ずかしいですが、頑張って書こうと思います(笑)

私は、一年に一度、ひとりで買い物をする。
私は買い物はすごく苦手で、相手が欲しいものを考えすぎて結局買えないということがよくある。だから普段買い物に行く時は、それが私の物なのか妻のものなのか友人や仕事用に使うものかに関わらず、妻に同行してもらい買い物をすることが多い。

一方、妻はプレゼント上手。私の親戚やよく行く整体クリニック、ジム、ママ友、学校の先生などに小さな手土産をよく渡している。妻曰く、お土産もらって嫌な人はいないとのこと。ただ、逆にお返しなど気を使われるのは嫌なのであまり負担にならないような物を贈っているのだそう。その辺りの区別が私にはわからない。

話は戻るが、私は一年に一度、ひとりで買い物をする。
そう、それは妻の誕生日プレゼントだ。プレゼントを買うのは苦手な私ですが、この日だけは頑張って買い物に行く。私は銀座が好きなので毎年銀座にきている。今回も金曜日の学校が終わってから、ひとり地下的に乗り銀座駅で下車し、いろいろな店をまわった。今回はバッグを買いたいとまではきめていたが、妻はすでにブランド品のバッグは持っている。それらのほとんどはおしゃれする時に適しているもので、日常使いは難しい。

ぷらぷら歩きながら、妻と出会ってから今までの10年間を振り返ってみた。中国北京で出会ったのは2013年3月。私が働いているチームの後輩として入社してきた。中国国籍なのに日本語が日本人と同じレベルだったことに驚いた。後から聞いたのは、妻は中国(瀋陽)生まれで、3歳の時に親の仕事の関係で来日し、それから中学校卒業するまで日本にいた。逆に中国語を高校生になってから学んだとのこと。北京でお付き合いを始めた時、私の貯金は30万円で月給20万円程度の貧乏サラリーマン。旅行のホテルも1泊1,500円のところに泊まっていた。ただ、仕事は頑張っていた。

転職を機に、中国南部にある深圳市へ移住をした。私は香港系の物流会社に転職し、150名ほどの支社の中で唯一の外国人として働いた。周りは中国本土の人と香港人だった。そこで私は営業成績をあげ、昇進をし、収入は安定することができた。その会社で2年ほど働いた後に、日本へ帰国し起業をすることになる。起業後、1年目から黒字となり、7年経った今は日本と中国あわせて60名ほどの会社になり私は経営者と呼んでも恥ずかしくない程度の人になることができたと思う。

私は以前、妻に聞いたことがある。

「よくあんなに貧乏な人と付き合ったね」

すると彼女は、

「私は一度も将来に対して不安を感じたことはなかったよ。1泊1,500円のホテルでも楽しかった。」

「仕事をしている姿をみて、将来は成功すると思ったよ。ただ、ここまでうまくいくとは思わなかったけど(笑)」

とのこと。

こんな変わっている人がいるのだなと驚いたのと同時に、私がしっかりしてこの家族を守らなければいけないと自分に誓った。

私の妻は、常に私を支え、経営者の妻として、二児の母としてとても偉大な事を成していると思う。私の人生は比較的苦難が多く、何もかもがうまくいかない時期もあった。創業後は一年近く後頭部に500円玉ハゲがあった。
彼女とは喧嘩もしたし、夫婦関係の危機もあった。
しかし彼女がいたから、こんなに可愛い子供たちと出会い、今の私の成功があり、そして次のさらなる大きな山(夢)に向かうことができるのだ。

本当にありがとう。
私はあなたと結婚ができて本当によかった。

彼女はこのnoteを見ることはないですが、もし私に何かあった時、誰か彼女にこのnoteを見せてください(笑)

そんなことを考えているうちに、銀座では無事に買い物をすることができた。ブランドとしもしっかりしているが、見た目は日常で使えるカジュアルなバッグ。

私がこのプレゼントにこめた想いは、
「私が今は忙しくそばにいれる時間が少ないから、彼女が家事育児に忙しい日常でも、そのバッグを持ち歩くことで、ちょっと良い気分になったり、前向きになれれば良いな」

10月30日、36歳の誕生日おめでとう。

私の誕生日に写真館にて
富麗華にて


デニム生地の日常でも使えそうなバッグ


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