マガジンのカバー画像

とても好きなNote

307
時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
運営しているクリエイター

#エッセイ

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

有料
200

変化の年

会社も辞めたことだし、今年は変化せざるを得ない一年になるだろう。 入社したその日から、長くは続かないだろうと思っていた会社員としての生活を、2年近くも続けられた自分を褒めたいと思う。そして辞めるタイミングもなかなか良かったのではないかと、振り返ってみてそう感じる。 最後の出社日はPCや社員証の返却のみだったから昼前に帰宅することになったのだけれど、その帰りの電車から流れる景色が、太陽の豊かな光が見慣れた街並みを燦々と照らしていてとても美しく、心に残っている。それに呼応して

高田馬場のジョイ・ディヴィジョン

敢えてほとんど予定を入れなかったGW。鮨詰め状態の東京駅をニュースで見て、やはり正解だったのでは、と思う。あの場にいたらと想像するだけで、少しの疲労感とストレスが湧き上がってくる。ただ一つだけ後悔があるとすれば、5/6に行われたトリプルファイヤーのワンマンのチケットを取り逃したことくらいか。 トリプルファイヤーはここ1年くらいよく聴いている。高田馬場のジョイ・ディヴィジョンとも呼ばれ、ポストパンク的なサウンドとボーカル吉田靖直が紡ぐユニークな歌詞が魅力のバンド。 特にこの

曖昧さ

頑張りたいと思います、という言葉を何度か使っている。よくよく考えてみると、とてつもなく曖昧な言葉だ。「頑張ります」でもなく「頑張りたいです」でもなく「頑張りたいと思います」という言葉。 頑張りたいと「思っている」だけなのだから頑張れなくてもいいし、結果的に頑張れたのであればそれはそれで良い。そんな曖昧さが好きなのかもしれない。不確かなものばかり溢れる世の中で、曖昧さを受け入れて愛していたいと思う。というか、そうしなければとても生きていけない。 大学を卒業して会社員になり約

グッバイ、大学

どうやら大学を卒業できるらしい。 大学を卒業するということはつまり僕は大学生であり、これまでも大学生だったわけだ。だが、どうにもしっくりこない。自分が学生であったという事実が。 僕は、集団とか、組織といったものへの帰属意識が著しく低い。これは幼少期からずっとそうで、大学に対してのそれも低いどころかほとんど皆無といっていいくらいだ。 どの大学に通っているか、とか、学部学科などの所属。そういうこと自体おおよそ何の意味もないことだと思っている。 周知のように2020年に例の

シームレス生活

一日の中で何をするか、いつ起きていつ寝るか、何を食べて、どこに出かけるか。そういったものを殆ど自分自身でコントロールできる。最近はそういう自由な暮らしをしている。 かつて憧れていたそんな生活。でもそういう日々の中で感情は希薄になり心が死んでいってるのかもしれない。 今まで書いてきたものを振り返っていた。そのどれも愚痴みたいだなと思った。 何か表現したいことがある時というのは決まって嫌なことがあったり、誰かとの別れがあったり、トラウマを掘り返されたような時だ。 心にでき

轟音。そして年末のご挨拶

バンドが終わる時というのは途轍もないエネルギーが発生するのかもしれない。それは超新星のようだと思う。 超新星とは、星の寿命が尽きて起こる大爆発のこと。 12/28のSUNNY CAR WASH解散ライブ。まさにそういう瞬間に立ち会ってきた。 こんなに爆音なのか、というのが最初の感想。今まで数多くのライブに行ってきたけれどここまで脳が揺らされるような轟音は初めてな気がする。 特にウネくんのドラムはandymori初期の後藤大樹を彷彿とさせた。 身体のコンディションが悪

2年

10/1の投稿で年内を目処にnote止めると書いたのですが、やっぱり続けようと思います。ちょっと気が変わりました。 更新頻度は下がっていくかもですが、どうかこれからもよろしくお願いします。 そういえばnoteを始めて2年経ったらしくバッジを獲得していた。 特に明確なスタンスもなくただ何となく続けてきたけど、今まで130以上も投稿をしていることに自分でも驚いてる。 そして、それなりの量の文章を書けたのは自分にとって大きい。自信にもなった。文字数だけなら小説数冊分くらいに

君が歌ってよ

酔ってるけど久々に書こう。 もうすぐ期日前投票に行くのだが、最近は政治をウォッチする暇などなく一夜漬けのように公約や候補者をチェックしながら考えている。 何年か前は政治にそれなりの興味もあった。だが知れば知るほど、自己保身まみれの議員や官僚ばかりだと感じてしまった。諦観ばかりが強くなり、国民に目を向けている政治家など一人としていないのではないか、そんな気がしてしまって興味はどんどん薄れていった。 でも、選挙には行くようにしている。行くからには考えなければと思う。 んー

表明

嫌なことを沢山考えてしまう。できれば止めたいけど、実際、嫌なことばかりなのだから当然なのかもしれない。苦しまなくていい人が苦しんでいて、死ななくて済んだはずの人が死んでいるのだ。 世の中、社会に対して強い違和感を感じて怒りを覚えてる。この感覚は忘れたくないし、忘れるべきではないと感じている。 でも同時に自分の無力さも実感するのです。僕には何もできない、と。 この思いの、向かう先はどこだろう。 とりあえず書いている。毎日。 書いては消し、書いては消し、また書く。 言

真夏に向けて

普段は言えないことや愚痴を言い合って救われることもあるし、ちょっと楽になったりもする。このnoteは見ていないだろうけど友人に感謝。飲んで帰宅してベロ酔いになっていたタイミングで電話かかってきて驚いたけど、そんな時しか話せないこともあるなと、昨夜そんなことを感じた。 そしてこれは先週のことだが、折坂悠太さんがインスタライブで『坂道』演奏後、「いつもより爽やかでした」というコメントを受けて「はい。いつもより爽やかにやりました。現実がちっとも爽やかじゃないからです。でもそれも勉

私は虫が苦手である。怖いと言った方がいいかもしれない。人間の居住区域に虫は立ち入るべきではないと考えている。だが虫は「人間の居住区域に立ち入ってやろう」と考えて部屋に入ってくるわけではない。虫の脳は小さく、意志を持つことはないからだ。ただ移動した先が人間の住む部屋だっただけのことだろう。私もそれは分かっているが、見つけてしまったからには退治しなければならない。繰り返しになるが私は虫が苦手であり、恐怖すら感じるので、同じ部屋で共存することなど到底できないのである。 一人暮らし

日記 2021/4/28

昨夜の話だが、ピンクムーンを見ようと散歩した。雲がかかって見づらかったりしたけど、なんとか綺麗な満月が見られて良かった。色はピンクではなく赤オレンジっぽい感じだったな。写真を何枚か撮ったのだけど街灯の光などが邪魔してあまり綺麗に写らず断念、高い場所から撮ればもっとしっかり写ったかもしれない。 この写真はスカイツリーから撮られたピンクムーンで、公式Twitterにあがっていてあまりの美しさに思わず保存した。 昨日に限らず最近は特に、散歩をよくする。家の近所を歩くことが多くて

ある日の散文

久しぶりに親友と会ったら、夢を諦めたと伝えられた。 挑戦しないまま身を引く選択をしたことに少し怒った。以前話してくれた決意を、話の端端に宿っていた熱を、今でも覚えている。あれは嘘だったのかと。 なんだか寂しくなった、ともに頑張りたかったのに。 数時間後の自分が何処にいるかさえも分からない、と打ち明けた彼は一人暮らしのフリーターとして時間を切り売りして生きている。そして僕には、書き続けてほしいとか言うのだ。 けど、僕のは夢とかいう大層なものじゃない。魂が向いた方へ、気持