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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#あんぽんたん

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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「解散命令請求」は何を解散させるのか

 旧統一教会に対する解散命令請求が今月13日になされたことで、「政教分離」が一部でまた話題になっているようである。ただ、政教分離の基本的な理解について、本noteでは上掲のツイートに引いてある過去エントリで、既にまとめて述べてあるから、本稿では今回行われた解散命令請求というものの性質について、基本的な情報をまとめた上で、私見も簡単に示しておきたい。一部SNS等をみる限り、知識人というべき方々であっても、この請求の性質について、誤解をしている人が少なからずいるように思われるから

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他人の心まで一律に「正しく」したがる全体主義者たちのこと

 というわけで、5月も終わりである。なんだかあっという間のひと月であった。  これはリンクした過去記事に詳しく述べてあるとおりのことであって、従来から何度も語ってきた話ではあるのだけど、今月の諸エントリに通底する問題意識に関わるテーマでもあるので、新たな観点も入れながら、いちおう再説してみることにしよう。大切なことは、やはり2回でも3回でも、繰り返し書いておいて悪いことはない。

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無自覚な全体主義よりはいくらかマシ

 私はもともと(この記事に書いてあるような意味での)リベラルな立場を基本的にはとってきたのだが、最近はいわゆるリバタリアンの人たちがいうことも、多少はわかるようになってきた。

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「哲学入門」のための、実に簡単な方法について

 前回のエントリの続きである。そこでも予告したとおり、今回は「日本において(世間一般の人々がイメージする)哲学をやってみたい人はどうすればよいのか」ということについて、簡単に記してみたい。「そんなに容易にできるようなことではないだろう」と思われる人もいるかもしれないが、実際のところ(少なくとも初歩のうちにやるべきことは)全く簡単なことにすぎないのである。

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それでも「勉強してください」と語るべき場合について

 というわけで、2023年の2月も最終日である。いつものことながら、今月もあっという間に終わってしまった。 (※録画視聴パスは、2月1日のエントリより取得できます。)

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私たちは何度でも「戦艦大和」を出撃させる

 久しぶりに2時間たっぷり喋るツイキャス放送をやったところ、昨今の世情の酷さに対する嘆きのあまり、またも悲憤慷慨亡国警戒おじさんになってしまった。 (※録画視聴パスは、2月1日のエントリから取得できます。)

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学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし

 昨日のエントリでは憲法学習者の「もやもや」解消本として『憲法問題入門』を紹介したわけだが、そこで摘示したこと以外にも、憲法学を勉強してみた人(の一部)が同様に疑問を抱えてしまいがちなポイントは多くある。たとえば、この分野について学んでいると必ずどこかで耳にすることになる、「憲法は国民の国家に対する命令であって、国民に義務を課するものではない」といった通念はその一つであろう。

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規範の単一化を求める実に「宗教的」な欲望について

 昨日のエントリでは、近時の言論空間は「カードバトル(以下)化」しているように見えるところ、その背景で進行しているのは、実は「規範の(無自覚な)単一化」という事態ではなかろうか、という話をした。それを受けて本稿では、この「規範の(無自覚な)単一化」という事態の問題点について、とくに宗教との関係に着目しつつ、さらに詳論してみることにする。

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いちからせつめいしないとだめ

 先日のキャスで現代日本の諸問題とその根源について論じていたら、徐々にヒートアップしてしまい、久しぶりに(?)お気持ちを爆発させてしまった。 (※録画視聴パスは、1月2日のエントリより取得できます。)

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当たり前のように思える話こそ、順を追って丁寧に考えよう

 先日のエントリで、「人格」や「尊厳」という概念(言葉)の基本的な意義について解説したが、これがわかっていることで、クリアな判断がしやすくなる問題も様々にある。そのうちの1つが、たとえば子供の「自由」や「自律」について、どのように考えるべきかという問題だ。

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なぜ私たちはこのように没義道で、獣性の前面化した野蛮な社会を形成したのか

 昨日のエントリでは、社会の最弱者たる幼児の生命までも次々と犠牲に供し、ゆえに欧米(文字どおりの欧米)からも徹底的な非難の対象となっている我が国の人権蹂躙状態が、それにもかかわらず事実と論理も完全に無視しながら、なぜか維持され続けているという、愚かというのもうんざりするような本邦の現状について述べた。そこで本稿では、どうして私たちはそのようなバカバカしい社会を形成するに至ってしまったのかという点について、私の視点からの簡単なコメントをしてみたい。

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賢くて誠実だからこそ、「役に立つ」の杜撰な議論には乗らない人もいる

 そもそもこの話は木簡を実際に研究している人たちがはじめたわけではないらしいので、いちばんのとばっちりを受けたのは、真面目な木簡研究者の方々である。とてもかわいそう。  テクストの読解を主たる営みとするタイプの「人文学」の意義については上掲の過去エントリで詳述してあるから、そのことについてここで再説するのはやめておこう。本稿では、冒頭に引いたツイートでも少しふれている、「人文学」と「役に立つ」ということとの関係について補足してみたい。

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現実を見ているつもりで、観念を信仰してしまう人たちのこと

 最近 Youtubeでよくおすすめに上がってくる、予備校世界史講師・Youtuberの茂木誠さんによる、以下の著作を読んでみたのだが、とてもよかった。  上掲の「増補版」は、2022年9月に出ているもので、元の著作は同じタイトルで2019年7月に上梓されている。3年で増補版が出ているのは、直近のウクライナ戦争の勃発を契機として、当該地域の歴史を踏まえた上で事態の背景を解説する章を加筆しているからだ。この加筆部分も非常に読みごたえがあったので、本稿をきっかけに購読される方は

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