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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#人文学

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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燠火のように息の長い「好き」の気持ち

 最近は家事などの作業をしているあいだに、Youtubeで歴史や経済や自然科学等に関する講義動画や対談動画などをよく聴いている。多くは専門家が自ら出演して語っているものであって、誰が作っているのかわからない、いわゆる「ゆっくり解説」などにはあまり手が伸びない。台所仕事などをしているから画面をあまり見られないということもあるが、何より専門家の肉声による語りを聴くことで、その人が勉強や研究を通じて培ってきた人格も多少は感じ取りながら、「門前の小僧」になってみたいという気持ちがある

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嫌われまくっている「人文学」さんのためにできること

 私は「人文学の中の人」でもなんでもないのだが、因果の不可思議により、このところなぜか humanitiesに関するエントリをいくつも書くことになってしまっている。

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賢くて誠実だからこそ、「役に立つ」の杜撰な議論には乗らない人もいる

 そもそもこの話は木簡を実際に研究している人たちがはじめたわけではないらしいので、いちばんのとばっちりを受けたのは、真面目な木簡研究者の方々である。とてもかわいそう。  テクストの読解を主たる営みとするタイプの「人文学」の意義については上掲の過去エントリで詳述してあるから、そのことについてここで再説するのはやめておこう。本稿では、冒頭に引いたツイートでも少しふれている、「人文学」と「役に立つ」ということとの関係について補足してみたい。

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「人文学」は、あなたが価値判断するための「辞書」にすぎない

「人文学」と価値判断の関係については、今月も複数のエントリを出しているところであるが、この点についてはさらに、補足が必要であるように思われる。具体的には、「人文学者」以外の者が自身の価値判断を公に示そうとする場合において、「人文学」が果たし得る役割についてだ。

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「人文学者」に適切な価値判断は期待できるか

「人文学」が再びそこはかとなく話題になっているのを観測したので、私の立場から、少し補足をしておきたくなった。

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「読む」ことのプロであるとはどういうことか

 昨日のエントリでは、なぜ「人文学」の人たちは原典を読もうとするのか、という問題について、私の立場からの解説をひととおり記した。本稿ではそれに引き続いて、「人文学」の教育現場で多く行われている原典講読のゼミ(演習)の効用についての話からはじめて、さらにこの知的営みの性質について明らかにしてゆくことにしたい。

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回転寿司

 ついに開発できたッッ!この回転寿司レーンこそ、人類の救いだ。14世代にわたる開発によって人類の悲願が達成された。今までは自然現象に任せるままの「輪廻転生」を、これで機械化できるのだ。自然に対する文明の勝利、人類の魂の力の結晶、それが「回転寿司レーン」なのだ。  あれから百五十年、飛躍的に進んだ科学技術の進歩は、もはや回転寿司の当初の意味を忘れていた。リニア化・量子テレポート化された回転寿司では、本来の回転寿司レーンが持つ魔術的な意味には足りなかったのだ。世間の誰も気づいて

おじさんと希望

 10代のころは何もわからなくて、ただセカイに過敏に反応していた。20代の頃に「言語」の世界を習得し始めて、30代もなかばを過ぎた頃に、やっと「自画像」との折り合いがつき始めた。壊れたバケツも水の中に放り込めば、満たされたことになると知った。もともと人生の進みが遅い類なのだと思う。  気がつくと40代になっていて、鏡に映る自分は、怠惰で図太くて、物憂い世をはかなむ夢のなれ果てだった。勢いと夢、祈りの向こう側に足がついていた。  数日前、学部レベルで人文学をやることに意味が

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トンビと鼠とキリスト

  著名な児童文学作家で、谷真介がある。相当な数の作品を発表しているが、彼の仕事のひとつに「キリシタン童話昔ばなし」がある。おそらく、その仕事の集大成、または基礎となった著作が、新版『キリシタン伝説百話』(新泉社、2012年)である。  控え目にいっても珠玉にして出色、最高峰のキリシタン文学短編集だと思う。本書が収録するのは、日本土着の民話とキリシタン伝承の融合した諸伝説である。一話毎に感想を綴りたいほどに美しい。誤解を恐れずにいえば、これこそ、日本語で書かれた福音書と言っ

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