自分の人生に価値と、幸せをもたらしてくれる、とある気づき。
自分自身に価値がない、そんなふうに思っていると何が起こってくるでしょうか? 自分の人生を楽しむことやよりよい創作をすること、自分の深めたい事柄について探求していくこと。そういった生きるなかで喜びを感じることを行うのではなく、誰かの顔色ばかりをうかがって「大丈夫だろうか、大丈夫かなぁ...?」と心ここにあらずで生きる時間が増えるのではないか、と思います。
あなたはどうでしょうか? ありのままの自分に価値がある。そう思えますか?
人生がうまくいかない理由のひとつに、この無価値観というものがあるようにおもいます。それは、自分には生きている意味がないとか、自分は役立たずな人間だ、と自分自身に呪いをかけながら生きているような状態です。
それに厄介なことには、この無価値観というのは自分では、あるのに、気付いていないこともあるということが、問題をややこしくしているのです。
普通あるのなら、気付くでしょ?
と思われるかもしれませんが、心にはいろいろなゾーン(層)があり、ある層では感じていることでも、別の層にいるときには「全くそんなの、思ってないしぃー」となっていることもあるのです。
なので、いまの自分では感じられないから、わからないからないから、ないと思います、ということにはなりません。
もしかすると、大なり小なりみんなが、持っているような感情かもしれません。
僕自身もこの自己への無価値感の強い影響を受けていました。自分に価値がない。なんて思っていると、人生楽しめそうにないですもんね、どちらかといえば日陰、日陰に隠れながら生きていかないと、いけないような気さえして....、一体何のために生きているのか? なんて人生にとって重要な問いも持ちずらくなります。
あなたはここまで書いてきたような、自分を否定して、「わたしには価値がない....」なんて思っていませんか? 「自分はひとりでは何もできないだぁ...」とかね。
もしそんな節を感じるのであるなら、人生の今までの歩みを振り返ることをおすすめします。
ひとつひとつを感じ、思い出す、そして自分がどんな人間で、何を想い生きてきたのか、問うてみてください。
自分を認めながら、受け入れながら生きてきたのか? それともまわりからも自分自身でも、受け入れられている感なく、はじかれるようにして生きてきたのか? 人生に愛や感謝は、あったのか?、と。
つらい記憶は思い出す必要はなく、なんとなしに、思い出せることで思い出しながら、自然に出て来ることを感じるように、過去と接してみる。
自分を知る旅に、出ることで、人生の質が上がっていきます。
癒しが必要であれば、癒しながら、苦しみを感じたら、「そっ、と受け入れて」。そんなふうに自分の辿ってきた人生の軌跡を感じること。
そうしていくと、生きることが岩山を顔をしかめながらクライムするような感じではなく、そよ風や温かな日差しが差し込み、辺りに生い茂る心地よい緑の拡がる丘で、たのしむようにピクニックでもするかのような、そんな生き方に変わってきます。
その変容の旅は、いちにちふつかで辿ることはできなくても、時間とエネルギーをしっかり注いでいけば、いつの日か、日の目を見ます。
このたびの特徴は、かならず努力が報われることです。やり方や歩み方さえまちがわなければ、かならず、結果がついてきますよ^^
社会へも世界へも大きな希望が持てない今の時代、自分の内面に広がる広大な心の世界と向き合いながら生きていくのはいい生き方だと思います。
今回、書いたような〝自分には価値がある〟という気づきが生まれたりすると、自分の人生の価値も相乗効果で上がると思いませんか?
ひとつずつの課題をクリアしながら、生き方を、整えていきましょっか?✨
「未来は明るい^^」、そう心深くから感じながら生きていける、あなたに出会えますように。
そう祈っています。
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