ゆきいろ

イタリアとワイン、美味しい物。美しい物。自分が思う「好き」という気持ちを大切にしたい。

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イタリアとワイン、美味しい物。美しい物。自分が思う「好き」という気持ちを大切にしたい。

最近の記事

父が逝ってしまう。

父が逝ってしまう。 幼い頃。大好きだった父。たくさん遊んでくれて、色々な所に連れて行ってくれて、優しくて楽しくていつでも味方だった。 思春期の頃。少しウザいと思ってた父。 学校でやらかして母に怒られても「次から気をつけろ」と味方をしてくれた父。 成人した頃。嫌いだった父。 成人して分かったのはお金にだらしなない父だった。いわゆる闇金で借金を繰り返し、財産の全てを失った。何度も何度も繰り返して最低な父。 家族と思いたくなかった。最低。 そしてここ数年。父が病気になり過去のわだか

    • 母と似ていた性格

      母の口癖は「みっともない」「きちんとしなさい」だった。周りの人の目を兎に角気にしていた。私もよく言われていて、人からどう見られるのかを常に気にしていた。 海外在住の友達夫婦と私達夫婦で何回か食事をした時に「ねぇ、前から気になっていたから言うね。美味しく食べてるんだから旦那さんに指図するように食べ方を注意するのやめな!」「誰も見てないし、楽しく食べようよ!」と言われた。私も母と同じように夫に言っていたんだ。 最近父が脳梗塞になり足や手が不自由になった。でも意思疎通も出来るし

      • このまま夏は終わるのだろうか?それならやり残した事がある。このまま1年は終わるのだろうか?それならやり残した事がある。結局いつもやり残してしまう。今夜は美味しいご飯を食べよう。

        • この感情は初めてだ。これを「萌え」というのか?恋に似た…でも違うような…。とにかく、ただやり過ごしていた毎日が彼らの音楽によって少しずつ景色が変わってみえるような…。「雨」さえ愛おしく思える。

        父が逝ってしまう。

        • 母と似ていた性格

        • このまま夏は終わるのだろうか?それならやり残した事がある。このまま1年は終わるのだろうか?それならやり残した事がある。結局いつもやり残してしまう。今夜は美味しいご飯を食べよう。

        • この感情は初めてだ。これを「萌え」というのか?恋に似た…でも違うような…。とにかく、ただやり過ごしていた毎日が彼らの音楽によって少しずつ景色が変わってみえるような…。「雨」さえ愛おしく思える。

          こんな夜は、キミの話し方。キミの匂い。キミの事が好きだった日々を思いだす。キミが幸せであるよう願っています。何年も経った今でも。もう会う事のないキミへ。

          こんな夜は、キミの話し方。キミの匂い。キミの事が好きだった日々を思いだす。キミが幸せであるよう願っています。何年も経った今でも。もう会う事のないキミへ。

          桜の季節に…。

          桜の季節に先代のマルチーズが天国へ旅立った。聞いた話では旅立つ時に挨拶してくれた。など。だか、我が家の愛犬は何も言わずに寝ている私の横で逝ってしまった。目が覚めた時、愛犬に触れた時の感覚は今も忘れられない。子供の時以来に声を上げて泣いた。ひとしきり泣いた後に何故かこの子に最後の桜を見せてあげようと思い、毎年一緒に見ていた桜を見に最後のお散歩に連れて行った。 それから、私はこの桜を「愛犬の名の桜」として毎年見に行ってる。愛犬が天国へ行ってから暫く経って次の愛犬を迎えた。今年も

          桜の季節に…。

          昨年は「お花見は来年ね」を挨拶のように話していた。今年は「お花見」の話も出てこない。春なのにね。サクラサクなのにね。

          昨年は「お花見は来年ね」を挨拶のように話していた。今年は「お花見」の話も出てこない。春なのにね。サクラサクなのにね。

          変わっていくもの。

          フィレンツェ行く度に訪れていた「大聖堂博物館」私がそこに行くようになったのは、ある人に会うため。 ドナテッロ作「マグダラのマリア」 私は初めて会った瞬間、彼女から目が離せなかった。布とも髪ともとれる衣装を纏って、贖罪を乞うようなマリアの目線の先には磔にされたイエス様。その場の空気が変わった感じがしました。 しばらくして、改装により近代的な技術でより見応えのある博物館になったと友人からの連絡が。 だけど「マグダラのマリア」はあの時のマリアじゃない。展示方法も変わってしま

          変わっていくもの。

          年明けに思う。

          明けましておめでとうございます。 2021年が始まりました。こんな状況でなければ海外で年越しを予定していた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 私もその1人。年末年始の14日間イタリアで過ごす予定でした。やるせない気持ちを抱えたまま迎えた年末。観客のいない紅白を観て、行く年来る年で年明けを迎え…5分程過ぎた時。電話が。 「Ciao carissima!Buon Anno!Happy New Year!」イタリアの友人の旦那さんからだった。「ニホンハ ニューイヤーデスカ

          年明けに思う。

          ミラノがセミロックダウンに入った。1か月良い子にしていれば楽しいクリスマスが過ごせるよ!と、言わんばかりだと友人が嘆いていた。

          ミラノがセミロックダウンに入った。1か月良い子にしていれば楽しいクリスマスが過ごせるよ!と、言わんばかりだと友人が嘆いていた。

          スタバとイタリア

          スタバランチ。 フォカッチャサンドを温めてもらい「お待たせしましたぁ」の声と一緒にふんわりイタリアの香りがした。 バジルフォカッチャだったんだね。 懐かしい香りに楽しい思い出が蘇って少し切なくなった。

          スタバとイタリア

          Cin cin!

          「はい!じゃ皆さま、チンチーン!」毎年イタリアから日本に遊びにくる友達との乾杯はカジュアルイタリア語で「Cin cinチンチン」必ず。オペラを生業としている彼女の声はものすごく響き渡るのである。日本人としては少し気になる単語なので恥ずいのだ! その「Cin cin」も慣れてくれば楽しい宴の「始まりの音」に聴こえてくるから不思議だ。ある日彼女と日本でブラブラしている時「もう夕方だし、疲れたからチンチンしようか?」などと電車の中で言われた日にゃ周りの目が気になって仕方ない。声が

          ケンタと祖母

          まだ私が高校生だった頃、祖母が家に泊まりに来た事があった。祖母は難病にかかっていて、うまく話せないし脚も不自由だった。でも、ボケていなかったし孫の私とは会話も出来ていた。母は「孫の中でもあんたの事を一番可愛がっていたね」と、今でも言う。そうそう話を元に戻そう。 祖母が家に泊まりに来た時だった。近所にケンタがオープンした。母におねだりしても無駄だと思った私は祖母におねだりした。もちろん「買ってきなさい」とお金をくれて、お昼ごはんとした。祖母にはナゲット(入れ歯だったので)とポ

          ケンタと祖母

          お盆の時期に…。

          小学生の頃、お盆の時期に小金井の「祖母の家」に泊まりに行っていた。なぜ、祖母の家?祖父は私が小学生低学年の時に亡くなっているので…私の中では「祖母の家」として記憶されている。 その祖母も亡くなり小金井の家には行く事もなく、きちんとお墓参りに行くでもなく、ただ短い社会人の夏休みをやり過ごしている。 そして、ふと「お婆ちゃん元気かなぁ?」とアホな事を思ってしまい、そんなアホな孫をニコニコと見ているだろう祖母の顔を想像している…。 多分今年もお墓参りには行けない。でも「祖母の

          お盆の時期に…。