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やきものの職人さんを訪ねて、民藝運動をしたくなった話。

いろいろとわけあって、とあるやきものの職人さんを訪ねた。
これはぼくにとってなかなか大きな出会いだった気がするから、文字にして残しておこうと思う。


・出会った経緯

出会いは偶然だった。
ぼくは最近「民藝」というものに興味を持っていて、民藝運動の主唱者である柳宗悦についての本を読んだりしている。
とりあえず一冊読んだけど、もっと柳の思想に触れてみたくてメルカリで本を探していると、こんな本が出品されていた。

すると商品の説明欄に、「熊本県菊池市の陶工が辿った画期的な一冊」と書いてあった。
驚いた。
熊本県菊池市はぼくの住む山鹿市の隣町だ。
もちろん購入した。
そして後日、農家のОさんにこのことを話したら、Оさんも最近「民藝」に興味があったそうで、「ぜひ著者の方に会いに行ってみようや!」という話になった。

しかしネットにはあまり情報がなく、Googleマップで検索しても出てこない。
ただしこの本が出版されたのは5年ほど前のようだから、著者の松竹洸哉さんという方は恐らく今も菊池にいる。
なにか情報はないかとネットを漁っていると、以前松竹さんの工房を訪ねた方のブログを見つけた。
ありがたいことに、その記事の最後に工房までのざっくりとした道順と松竹さんの電話番号が添えられていた。

Оさんがその番号に電話をかけてみると、無事松竹さんに繋がった。
見学のアポをとり、たった3行の簡単な道案内を頼りに、なんとか「菊池窯」までたどり着いた。
こうしてぼくたちは、松竹さんにお会いすることができたのだ。
まだふたりとも本を読んでないのに。

中山間地の奥地にひっそりと佇む「菊池窯」
狙って来なければ辿り着かない

・松竹さんの人生

松竹さんは穏やかでやさしそうなおじいさんだった。
もうすぐ78歳になる。
もともと出身は福岡で、若い頃は東京でサラリーマンをしていたという。
そのころある民藝展を見に行って、民藝の世界に惹かれ、26の時に陶芸の道に入ることを決心。
福岡県の小石原焼の窯元などで4年間の修業を経て、30歳の頃に独立した。
それから半農半陶で作陶を続け、まもなくこの道半世紀だ。

柳宗悦の思想については東京時代に民藝展を見に行っていた頃から触れていて、それから何年も、何十年もかけて、思想を自分の中で深めていった。
あるとき、松竹さんは同人誌の連載に自分の文章を乗せる機会があり、そこでこれまでの思想を文字に起こしてまとめられたので、とりあえずは納得していた。
だけどその連載がきっかけで、「これはぜひ書籍化したい」という話が入ってきて、本を出版することになったという。

・職人の言葉は深い

そんな松竹さん、実は「陶芸家」という呼ばれ方はあまり好きじゃないらしい。
「陶芸家」という言葉には「芸術家」というような意味合いが含まれる。
「芸術」とは自己の表現だが、松竹さんがしているのは作の中から自分を消すことだから、「芸術家」という呼ばれ方はしっくりこないのだという。

柳宗悦は「自我を捨て自己を忘れることが他力の救いに身を委ねる道である」と言った。
松竹さんの言葉には、そんな「無心の美」や「他力の美」といわれるような民藝の思想を感じる。
そしてその口調はずっとおだやかで、淡々としていて、でもなんとも言えない奥深さがあった。
松竹さんは言った。

民藝の思想は、自分に染み付いている近代思想を一度まっさらにしないと理解できない。

柳宗悦が提唱したような民藝の思想の根底には、近代批判思想という前提があるから、近代の思想の上で考えてもよくわからないというのだ。
ぼくは最近読んだ本の一節を思い出し、松竹さんの話の奥深さを生み出しているのは、まさにこの過程なのではないかと感じた。
その本は水尾比呂志さんという方が柳宗悦について書いたもので、そこで著者はこう言っていた。

子どもや原始人の絵は、二元を通して二元を超える悩みを経ていないから、充分に自在に熟したものではなく、清くはあっても深さに欠ける。

『日本民俗文化大系 第6巻 柳宗悦 民藝』

恐らくこの一文を切り取っただけでは話が掴めないだろうから、2つの前提を付け加えよう。
①子どもや原始人が描く絵が美しいのは、彼らの心に何にも囚われない自由さが保たれているからだ。
②しかし知恵を得ると分別が生じて二相でものを見るようになるから、多くの大人が描く絵には自由な美がない。

つまりこれは、「知恵のある大人はすぐに頭で理解しようとするけど、それは一つの視点からの分別に過ぎないよね」という、一種の反知性主義的な意見を持った上で、「だけど、子どものように理解することを何も知らないのは、清くはあるけど深みがないよね」というような話だ(たぶん)。

そして「二元の分別の世界に入った後に、そこから抜け出して(二元を越えて)不二の世界に入れれば、より深くなるんだ」というのだ。そういう意味で、松竹さんの「まっさらにする」という言葉はこの「二元を超える」ということと近いものを感じて、彼の話の奥深さの由縁はそこにあるのではないかなんてことを考えた。

松竹さんが書かれた本のサブタイトルは「無対峙の思想」だから、本の中にはそんな話もあるのかなと思った。
松竹さんは、「子どもたちには、本は読まずに済むなら読まなくていいと伝えている」ということも言っていた。
それもまた、「無対峙の思想」なのかもしれない。

・手仕事は身体の思想

松竹さんの書籍『柳宗悦〜無対峙の思想〜』のサブタイトル部分の案としてもうひとつ、「身体の思想」というものもあったらしい。
これはいわゆる身体性や身体論のようなもので、「実体験を通して自分の感覚で感じる」ということについての思想だ。(たぶん)

松竹さんの話の中でよく「自前の哲学」とか「自前の思想」という言葉が出てきたのだが、その根底にはこの身体の思想があるのだろう。
Оさんが「実際にやきものを作られる中で、そういう思想が深まっていく感覚はあったんですか?」と聞くと、松竹さんは頷いた。
柳宗悦が言った「陶人が轆轤を回すのは南無阿弥陀仏を唱えるのと同じだ」というような感覚を感じるのだという。

「そういう意味では昔は恵まれていました。修行ができる場所がたくさんあったから。」
松竹さんが修行をしていた頃は急速なデジタル化が進む激動の時代でもあり、同じようにサラリーマンから職人の道へ移る人は多く、また修行の受け入れ先も今よりたくさんあったようだ。
今では修行という道に進むより、大学の学部で学んだりすることの方が増えてきているが、それと弟子入りとはやっぱり違うと松竹さんは言う。

ぼくも料理の世界で弟子入りのようなことをした経験があったからか、なんとなく腑に落ちる部分があった。
修行ではただ黙々と手を動かす時間を積み重ねることが基本にあるから、理屈や答えを理解したいと思っていると苦しくなる。
だからそれは決して理解への近道ではないけど、気づけばその積み重ねた時間が自分の思想の土台になっていたんだと感じることがある。
「自前の思想」とは、そういうものなんじゃないかと思った。

・個人主義を超えてゆけ

松竹さんは自分の思想を一冊の本にして出版した。
これが思ったよりも影響があったようで、これまでにも何人かの読者が、松竹さんの思想に衝撃を受けて実際に松竹さんの家まで訪ねに来たそうだ。
ある人は本に付箋をびっしりと貼って、わからないところを聞きに来たり、奈良からはるばる新幹線やバスを乗り継いで松竹さんに会いに来た若者もいたという。

松竹さんいわく、その若者は学校の勉強に忙しく、少し自分の時間を作っては息抜きにゲームをしていたが、本当にそれでいいのかという気持ちになって、自分の関心がありそうな分野の本を読み始めて、松竹さんのことを知ったらしい。
そしてその人は「自分の居場所がなかった」と話していたそうだ。
右向け左向けで自分の興味関心や意見を持たせようとしない教育が、人の居場所を失わさせているという苦しい現実があった、、、。

個人主義なのに、個人を持たせない?
頭の中がぐちゃぐちゃになった。
一つの価値観に基づいた画一的な教育が「個人の居場所」を失わせているこの問題は、近代の思想によって民藝の美が失われていっているという問題と似たような構造があるような気がした。
実際、ぼくにとって民藝の美といわれるような美しさは「心の居場所」でもあるのだ。
松竹さんによると、柳宗悦は「直観力は近代、日本人が失ったもののひとつだ」ということも言っていたそうだが、これこそ民藝の美が失われていっているひとつの要因ではないだろうか。

資本主義社会故か、個人主義故なのか、今はよく「自分にどんな利益があるか」とか「エビデンスは?」というような合理性や論理性が問われる時代だ。
だけどそれによって価値判断基準の比重が自分の心より頭に傾きすぎていたり、視点が「自分」ばかりになってしまうことは、民藝の問題のみならず、さまざまな社会問題を生み出している根本的な問題のように思える。
だからこそ工藝の正しい美を取り戻す民藝運動は社会運動であると思うし、「工藝の美は社会の美である」という柳の言葉にも納得できる。

松竹さんは「個人であることを否定するわけではないけど、個人でありながらそれ越えたところまでいかなきゃいけない」と言っていた。
個人は個人でありながらも、それぞれが繋がりを持った協同体であるという意識がもっと必要なのだろう。
柳が提唱する「協団」という概念もそういうもののような気がするし、「結(ゆい)」といわれるようなものとも近いと思う。
このような、「共にある」ということを考えていく上でのポイントは「視点」にあると思う。
個人主義ではありがらも、視点を「自分」に留めず、相手や社会、またその「あいだ」に置いていけることができるかどうかが、今後の民藝においても社会においてもとても重要なことではないだろうか。

・松竹さんの青磁はやさしかった

そんなこんなで気づけば1時間以上も話し込んでいた。
そろそろ帰らないといけないけど、まだ肝心の作品をちゃんと見ていない!
慌ててギャラリーに並ぶ器を見始めるぼくたち。
何種類かの色の釉薬が使われていたけど、特に水色の湯呑みやお皿がたくさんあった。
松竹さんは青磁が好きらしい。
青磁というと高価なイメージがあるけど、松竹さんの作る青磁は普通に手を出せる価格帯だった。
「高い値段はつけたくない」と松竹さんは言う。
その言葉は松竹さんの作る器が民藝品であることを確かにする。
美術品ではなく、用いるための道具なのだ。

奥さんが青磁の湯呑みでお茶を出してくれた

松竹さんの青磁はかるく衝撃だった。
正直これまでぼくは青磁にはそれほど興味がなく、土物か石物かでいえば土物派だった。
だけど松竹さんの青磁は、いい意味で高級感がない。
もちろん安っぽいということではなくて、柔らかいような温かいような印象だった。
これまで見てきた青磁は、キリッと決め顔をしてるような雰囲気のものが多かったのに対して、松竹さんの青磁はやさしく微笑んでいるような雰囲気だった。
そして実際に手にとってみても、やさしい手触りで、手に馴染む形だった。

・民藝運動をしたい!

なにか買いたかったけど時間内に決めきれず、「本を読んだらまた来ます!」と約束して菊池窯を後にした。
なんてったって、隣町だから。 
まさかこんな近くに、民藝の思想を持ったやきものの職人さんがいるとは思ってなかったから、すごくうれしかった。
出会い方も偶然だったから、それもまたテンションが上がる。

帰り道、ぼくは民藝運動のようなことをしていきたいなとなんとなく、でもけっこう強く思った。
ぼくが「まだ少なからず民藝が残っている今、やっておくべきことがある気がするんです」と言ったとき、松竹さんは少し笑いながらこう言った。
「やらなきゃいけないことは、むしろ昔よりもたくさんあるかもね」


※この文章はぼくの記憶と解釈だけで書いているので、実際の松竹さんの言葉やその意味は違う可能性があります!!

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