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障害のある利用者さんから学ぶ自分のための時間の使い方

私はノルウェーにある障害のある人たちのための施設、日本でいうグループホームのようなところで働いています。

そこで気づいたのは実は私よりも利用者さんたちのほうが時間を楽しく使っているのではないかということです。

ゆっくりコーヒーを飲んだり、アイロンビーズに何時間も熱中したり、洗濯機が回るのが楽しくて洗濯が終わるまでずーっと洗濯機を眺めていたり。利用者さん一人ひとり過ごし方は違いますがそれぞれの時間をゆっくり楽しんでいます。

何かを楽しむ時間がない

スマホという便利なものを手に入れてから私達は情報が常に入ってくる状況に慣れすぎて次々に新しい情報が入ってこないとつまらなく感じたり不安に感じたりするようになりました。
5分でも何もしていない時間があるとその隙間を無理やりにでも情報の波に溺れさせてしまいます。
ぼーっと窓の外を眺めたり、静かにお茶を楽しんだりという時間は意識しないと取れません。
誰かとおしゃべりしたり遊びに行ったりしても常になにか新しい話題を探して、写真を撮って、スケジュールをこなすのが精一杯です。

脳が休めない

私達の脳は多分起きている間中新しい情報が次々と入ってくる状態でおそらく過労運転です。
スマホから目を離して、ただただ空想に浸ったり、暖炉の火がパチパチいっているのを最後に見たのはいつだろう。聴き慣れたオーケストラの録音をただ聴いていたのはいつだろう。今は情報中毒になってしまって新しい情報が入ってこないとつまらなく感じてしまいます。
芸能人のスキャンダルも、政治家の汚職事件も、インスタグラマーのファッションも、大昔の同級生の新しい彼氏も本当はどうでもいいはずなのに気づけば私の頭の容量を埋めるためにどんどん情報が飛び込んできます。

利用者さんの過ごし方

私の周りの障害のある利用者さんたちはあまりスマホやパソコンに興味がなく毎日ゆっくり過ごしています。
朝はコーヒーを飲んで、おしゃべりをしたり自動ドアが開閉するのを眺めたり、昼には片道40分ゆっくり歩いてカフェまで散歩に行って1時間かけて一つのパンを食べたり、もう何周も観たであろう映画を観たり。小枝を道端で拾って遊んだり、夕食のメニュー当てごっこをしたり。
そうやって過ごす利用者さんといると自分はなんてつまらなくなってしまったんだろうと思います。

いつから空白の時間がなくなったのか

ミヒャエル・エンデの名作、モモでは灰色の男たちがどんどん時間を盗んでいきます。灰色の男たちからすればおそらく上にあげたような時間の使い方は真っ先に節約されるべきでしょう。なにも生産せずなんの役にも立たない。私が仕事中に利用者さんたちとゆっくりおしゃべりして時間を過ごすのもおそらく無駄な時間だと切り捨てられるでしょう。
たくさん働いてお金を稼いであれを買えこれを買え、そう情報の波に洗脳された私たちはいつしか空白の時間に罪悪感すら覚えるようになってきました。
でも利用者の彼らの過ごし方を見ていて最近思うのです。空白の時間こそが人生に意味を与えてくれているのではないかと。
人よりゆっくりでもいい。お金を稼がなくてもいい。心にゆとりがあれば毎日ショッピングに行かなくても十分楽しめる。灰色の男たちの活躍で世界の経済は発展し、情報は世界の裏側からでもコンマ何秒で届きます。しかし私達は本当にそれで豊かになったのでしょうか。
私はそろそろこの情報であふれる毎日から逃げたいと思うのです。何もしない時間を楽しめる本当の豊かさを利用者さんから学んでいきたいです。

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