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日本に帰りたいことと、自分に言い聞かせることと

「旅」といえばどこかへ移動することであり、現代において旅をするといえばたいてい窓のついたスピードのはやい乗り物に乗っている。だから「旅」といえば、日常では止まっている視界の風景が、たいていは長時間にわたってどんどん流れていく状態にある。旅の「非日常感」はその視界の流れにあると思う。

そしてなぜかその非日常感には、高揚感や好奇心の陰に、言葉になるにはちょっと足りないくらいの寂しさが薄くまとわりついている。無視できるほど小さいときもあれば、手にとってちょっと見てみるべきかもしれないというくらいには存在感を醸しているときもある。

そのときの寂しさははっきりした輪郭を持たず、寂しさとも呼べない代物だった。かといって無視できるほど小さいわけでもなかった。だから手に載せてよく見てみるためにこうして文章にしているわけだ。

何度音楽をとりかえても、そのときの気分に合う曲にはたどり着けなかったし、頭の中で流れるリズムもメロディーもそのとらえどころのなさを飲み込んではくれなかった。その輪郭をつかむ前に、その空気のかたまりは会話やら新しい風景やら尿意やらで打ち消されていった。

短い旅は終わった。私は家にいて、夕食を終えたあとだった。電流を流すラケット状の殺虫バットで殺した蚊が、驚くほどいつまでもグルグル回っているのを見ていた。気温は夜も30度近く、頭上では巨大扇風機のようなファンが音を立てている。

ここ以外のどこかに行きたかった。日の短い冬のイギリスでも、埃っぽく日照りの強いギリシャでも、泥棒の多いローマでも。

あのときうまく輪郭をとらえられなかったせいか、旅が終わったにもかかわらず例の空気のかたまりが出切らずに細胞に残っていた。

そいつが、わたしの読む本や、聴く音楽や、食べるものや、話す人や、外の世界に語りかけた。何かを読んだり聴いたりしながら、事あるごとに「早く日本に帰りたい」と思うようになっていた。

最近、ある景色を思い出す。私は山の中を歩いている。秋の深みを裸の木に感じ、息を少し切らしながら坂道を登りきったところで少し視界がひらける。視界の上の方に白いカーテンのかかった古い洋館がある。そこにはおばあさんが二人住んでいる。

そこまで記憶を辿ったところで、それは全然 ”記憶” ですらないことに思い当たる。

1週間前に読んだ堀辰雄の軽井沢の風景だ。想像の中で構築した風景を、夢を再現するかのように見ているのだった。そんなことはこれまであまりなく、現実と想像の境があいまいになっていることを奇妙に感じた。「少し前まで自分がそこにいた」かのように、何度かその軽井沢のシーンを反芻しているのだった。

そうしてわたしは『日本への帰りたさ』を育てているのかもしれなかった。でもどこまで登ろうとも、秋の森の風に吹かれ、足の下で踏みつけられた落ち葉が音を立てようとも、今いるのは蚊取り線香の匂いが充満したバングラデシュだった。ときどき、イライラさえした。日本に帰りたかった。

それは、人寂しいとか、現実逃避をしたいとか、仕事をしたくないとか、お風呂に入りたいとか、同情してほしいとか、そういう種類の精神的な疲れではなかった。むしろある覚悟を決めたあとだったし、その決断について後悔は今もまったくしていなかった。

精神的に参っているのとは別の種類の、希望であり願望であり、もっとシンプルな欲だった。お酒が飲みたい、カフェに行きたい、蚊のいない夜を過ごしたい、自由に外にでかけたい、他人のいない時間を過ごし、自分で自分の時間を、どこで休日を過ごすかを、誰と会うかを、何を食べるかを決めたかった。自由、要するに選択肢がほしかった。

ありきたりなようだけど、自由であるときに自由について深く考えることはない。健康そのものであるときに、健康についてくよくよ考えないのと同じように。

外国にいて、これほど帰国を指折り数えたことはなかった。そう考えると長い2ヶ月だ。

でもそれもみんな、勉強の身でお金をもらえる立場への対価(もしくは代償)だった。ただの、プライベートなわがままだ。

お湯も出るし、トイレも流れる。胃が受け付ける食べ物もある。人が自分を心配してくれる。こうして文章を書く時間もある。帰りたくなるたび、そう考えた。

テーブルの上に目を落とすと、スプーンの腹の中で、天井に取りつけられたファンがグルグル回っていた。


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