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選手としての終わり・・・

期間が少し空いてしまいましたが・・

しましまです!

今回も前回の続きです!
今回の日記で手術シリーズ最後になります。

皆さんに少しでも何か伝わるものがあればいいのですが、どうでしょうか?笑
今回もしっかり書いていきたいと思います!

今回は・・・

退院後から選手をやめるまで


の経緯を少し書いていきたいと思います!

退院後もリハビリが結構多い回数ありました。

結構辛かったです笑

結果的にリハビリ+トレーニングは選手やめるまでやり続けたので4年間ありました。
そこまでやるとは全く思ってないし、いつか病院とか行かなくなり、治るもんだと思ってました。
なので病院関係の人とはかなり仲良くさせてもらいました。
感謝の言葉しかなかったです。
だからこそサッカーで恩返ししたかったです。

リハビリを続けていく中で後遺症があり、サッカーを続けていくには少しでも軽減したかったので、手術を選択しました。
後遺症は痺れでした。
結構足先や傷口辺りの痺れが酷かったです。
手術的にはそこまで大きくなかったので日帰りで部分麻酔でしました。
手術後普通に歩けたので「すげーやん」って思ってたんですが麻酔が切れた瞬間激痛がきて2日間ぐらい動けなかったです。
今思えば何日か入院しとけば良かったです笑

手術もし、リハビリも続け、約1年ちょっとでピッチに戻るまで復帰をすることが出来るようになりました。

ですが、本当の戦いはここからでした。

なかなか上手く行かない日々を過ごし、怪我の再発ばかりでした。

1回再発しちゃうと(捻挫)治りが悪くまた3ヶ月間怪我人生活を何回も繰り返してました。

多分選手を引退するまでしっかりサッカー出来たのは1年ちょっとのような感じがします。

病院も通いずめで色んな医師に見てもらいたく多分10ヶ所ぐらい行った気がします。

行った病院先で半分以上の人が、ビックリされたり、よくサッカーできてるねという雰囲気を出されショックを受けました。

直接医師から言われてないけど、そこで選手終了勧告を何回も感じてしまいました。
まぁー自分の中でもうすうす嫌でも考えたり、どうしようかなと思うことも多々ありました。

ストレスがかかる中でやるサッカーは正直楽しくないことばかりでした。
ですが自然にピッチの中で楽しんでる自分もいました。
楽しめてる時はまだやれるって感じはありました。
あとはもう少し自分が思うように足が動いてくれれば良かったのですが・・・

左足のロングボールや細かいステップの部分は選手をやめるまで自分が思うように回復はしませんでした。
ちょっとずつ戻ってきてはいましたがギリプレーができるぐらいだったと思います。

いつの間にか手術した足首以外にも痛めることが多くなりました。
太ももの筋肉のトラブルや腰痛が次々起こるようになってしまいました。

筋肉の怪我なんか選手生活やっていてプレー出来なくなるほどのものはなかったので正直驚きました。
腰痛はヘルニアになってしまいました。
腰痛により私生活にも影響して手術も考えましたが、少し回復したので現状はしなくてもいいぐらい回復しました。

これらの怪我は足首からきていることに薄々気づき初めてから精神的にかなりダウンしてしまいました。

それは選手を辞める前の3ヶ月前の出来事でした。

大袈裟とかではなく

先が真っ暗になり

いなくなりたい、死にたいと思うようになりました。

正直ちょっと鬱状態でした。

サッカーやっても自分の体が動いてくれない。

それにストレスを感じるようになり、練習始まる前から吐き気をするぐらいでした。

さすがにこの自分にやばさを感じ、就活の関係で実家に帰ったの時に

親に選手を引退すると伝えました。

そのときの光景は一生忘れすことはないと思います。
親の悲しい顔や独特な雰囲気・・
もっとサッカーで恩返ししたかったなともっとプレーしてる姿を見せたかったなと・・

親に伝えたあとは監督に伝え

学生コーチになることを決意しました。

学生コーチに関しては次の日記にでも書こうと思います。

辞めてからは鬱状態が少しずつ治ってきてはいたのですがプレーしない自分がなにか変な感じがしましたが、ピッチに戻りたいとは全く思いませんでした。

それよりも4年間怪我で沢山チームに迷惑をかけたので最後の5ヶ月はチームのためになるように仕事をしようと思いました。

自分の人生の中で大きな決断をしたあとは少し人としての自分に焦りを感じるようになりました。

「サッカーをとったら自分は何が残るのか」


正直全く思いつきませんでした。

サッカーを始めた頃からサッカーにしか興味がありませんでした。

なので人として成長するために

色々なものに触れ、知識を増やし、人としての武器を作らないと行けないと思いました。

学生コーチをやりながら成長のために時間を費やしてきました。

今までサッカーばかりの生活だったので少し新鮮さがありました。

学生コーチになったものの結果があんまりついてこなくそこでも悔しさを感じ、自分のコーチとして力量も低いなーと感じました。

この経験があったからこそまたサッカー現場で育成に携わりたいと強く思うようになりました。

今は普通の社会人ですが、またいつか戻れるように今は小さな努力をしていくしかないと思っています。

足の調子はやっぱり左足の痛み、違和感がありますが私生活には影響がないです。

現役生活のときに正直苦しんだので今はサッカーとかスポーツをする気にならないです。
かれこれボールなんか半年ぐらいまともに蹴ってないです。笑
やろうとも思わないですね笑

リハビリと体型維持の為に少しずつ筋トレは再開してますが、家で出来るようなものばかりです。笑

最後になりますが、

今回の日記では退院してから選手をやめるまでの流れをざっと書いていきましたがどうでしたでしょうか?

この怪我シリーズを始めた理由が同じような人の励みや情報になればなと思い、約3回に渡り投稿していきましたが、改めて言葉で文で伝えることは凄く難しいことだと実感しました。

スポーツは楽しむことが1番ですが、好きなことを追求すると苦しいこと、逃げ出したいことが必ずと言ってもいいほど出てくると思います。
これはイチロー選手も言っていました。

イチロー選手は生まれ変わってもう一度同じ現役選手をやりたいかという問に対して「やらないだろ」と言っていた気がします。

あんなに結果を残した選手でもやらないと答えることは結果の裏では相当な苦しいことがあったことだと思います。

本気で続けていけば苦しいことや壁があることはスポーツだけでなく、他のことに熱をもってやってる人にも言えることだと思います。

苦しいこと、壁にぶつかったときにどう対応するかが次のステップにいくためには大切な事で重要なことだと思います。

そして、それを乗り越えたらまた成長した姿が見えてくるはずです。

ですが、「逃げる」選択も恥ずかしいことではない気がします。

自分自身「逃げる」という言葉があってる事なのか分かりませんが、途中で大きな決断をして方向を変えました。

今の時代は減りましたが、逃げる選択をよく思わない人が多くいると思います。
もちろん口だけでコロコロ選択を変える人はなかなか信用、信頼は得られにくいと思いますが、追求して追求して行くところまで行ったのであれば見方を大きく変えることもいい変化だと思います。

自分自身

変化=進化だとおもっています。

メンタル、心が追い込まれると本当に「死」を考えるようになります。

自分自身も考えました。

たかがサッカー如きで。

でもそれほど本気で追求してました。

今考えればいい経験でした。

沢山悩んで、考えて、行動して、失敗しての繰り返しの大学4年間でした。

まさか大学4年間も続くとは思いませんでした。

読んでるひと!

一緒に

変化=進化しませんか?

自分は何も起きずそのままのほほんと生きてることが嫌いな人です。

これからも成長して、

後悔が出来だけない死に方をしたいです。笑


次の日記の内容はあんまり考えてないですがまた呼んでくれたら嬉しいです。

こういう日記はもっと影響力がある人が書けば色んな人に伝わるのですが

今の自分にはそのような人を巻き込む影響力はないです。

だけど数人でもいいから心に伝わるものがあれば僕自身うれしいです。

これからも少しずつ頑張って行きたいと思います!

adios!笑


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