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#自分ビジネス という仕事の仕方を勉強している。 自分の心とからだを一番大切にする生き方が そのままビジネスにつながるという受講生が1万人以上いるメソッド。 そこにはこれまで自分をおざなりにしてきたつけがたまっていて 時々私には心をえぐられるようなことが起こる。 今回は自分のずるさに氣がついて あまりに恥ずかしくてただただ自己嫌悪で… はぁ。 自分ビジネスにはマルシェがあり 私も出店し沢山の応援をもらっている。 心躍るビジネスが並ぶ、仲間のエネルギーを感じる大切な場所。
情報発信って難しい。 人からよく思われたいから発信しているのか 自分の心が動いたことを発信しているのか 時々分からなくなる。 特にミカンのことを発信しているとなおさら。 うわー、きれいだなぁとか まじか!くやしい!とか。 心が動いたとき、無意識のうちに カメラを出そうとしている自分に はっとした。 周りからよく思われたいから SNSをアップしている氣がして 恥ずかしくなった。 そしたら自分の人生まるごと 人からよく思われたいことをやっている氣が してきて怖くなってし
「自分のほんとうの声って何だろう。」 私はヒラメクことも多いのだけど、迷うことも多い。それがうまくいくのか、家族や友人・周りからどう思われるのか、採算はとれるのか、etc…同時にたくさんの声が頭で鳴り響き、パッと自分が思ったことに結局氣付かないふりをして日常の雑務で氣を紛らわすことも多い。 実はうふふなミカンも自分で「やりたい!」と思って始めたものの、「実は親に対する承認欲求のためにやっているんじゃないか。」「義務感でやっているんじゃないか。」、そんな迷いが生まれていた。
ここのところ「もやっ」としていた。コロナとか外的要因ももちろんあるのだけど「やるぞ!」ってどこか前向きになれない。その理由がいまいちピンと来ていなくて。企画も立てて新製品も作ってバンバン販売して…。ビジネス上は踏ん張らないといけないタイミング。でも元氣な発信をする氣がどうしても起きない。 そしてここ数日続くトラブルもその延長戦(だと考えている)。突然パソコンが壊れたり、データ移行の最中にネット詐欺に合いかけたり、そのタイミングですごく精度のいいフィッシングメールが到着したり
「こんなに自分をさらけ出すって…」八木さやちゃんとの衝撃の出会い。友人から紹介されて読んだブログや動画、当初「子宮委員長はるちゃん」として「性」のことを発信していて、私にとってそれはそれは驚愕の内容でした。 命の源である子宮、そこは女性自身の生命力と創造力の源泉。壮絶な人生経験を経てたどり着いた彼女だから響く、すべての女性に向けた幸せに生きるためのエール。表現や言葉は過激(ぶっ飛んでいる)かも知れないけれど、愛が詰まったストレートなメッセージで、私は私を大切にしていいんだ
うふふなミカンを始めるにあたり、たくさんの応援のお声やできごとがあり、スムーズにスタートできた私。今思えばよく始めたなぁと自分に驚いています。 始める直前の1年間、私は風と土の自然学校(当時山梨県)で自然農や自然に寄り添った暮らし方を学んでいました。 豊かさとは何か、様々な体験のなかで素晴らしい仲間とともに学ぶ1年間。笑いの絶えない、かけがえのない時間でした。 この講座で印象深いことのひとつが1年の集大成としてつくる「宝地図」。宝地図は自分の思い描く夢を1枚のボードに表現
ワークショップを企画していて、無意識のうちに「正解」を参加者にお伝えしようとしている自分にハッとした。 知識やノウハウをお伝えする企画であれば、そうあってしかるべきなのだか、今回のWSタイトルは「日本の自然×うふふなマイブレンドティーづくり」。身近な自然に目を向けて、ご自身が求める香りに出会い、ゆったりできる時間を過ごしていただくことがテーマ。 植物それぞれのお茶としての特徴を感じながら「私はこれがいいかな。」「この香り好き!」「この味にこの風味を加えたら・・・」などなど
部活少女だった私。中学校はソフトボール、高校は弓道。必死に練習するなかで上達する喜び。仲間とひとつの目的に向かう充実感。たとえ試合に勝っても負けても、よい経験をさせてもらったと心の支えになっている人も多いと思う。 このコロナ渦で中学高校総体、甲子園までもが中止となった。「僕たちの命を守るための決断だったと思います。」目を真っ赤にしてインタビューに答える高校球児に目頭が熱くなる。新型コロナウイルス対策について私たち大人がふがいなく、子どもたちの夢を守れなかったことを心から申し
私はなかなか優等生の枠を取り払えずにいる。(笑う人もいるかもだけど^^)怒られることが怖くて嫌で、先生に忘れ物をしたことを言えず泣くような子どもだった。いまだに両親の前では優等生であろうとする自分に驚くことがある。 だから農薬を使ってきれいな農作物を作ること(別ブログ参照)が最善と信じ、某協同組合の役員も勤めてきた父に「農薬を使わないで!」と真っ向から否定し新しい手法を提示することは、いまだにエネルギーを費やす。 「汚いミカンを誰が買うんだ?」という彼のもっともな疑念。1