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父とのやり取りは自分との対話

私はなかなか優等生の枠を取り払えずにいる。(笑う人もいるかもだけど^^)怒られることが怖くて嫌で、先生に忘れ物をしたことを言えず泣くような子どもだった。いまだに両親の前では優等生であろうとする自分に驚くことがある。

だから農薬を使ってきれいな農作物を作ること(別ブログ参照)が最善と信じ、某協同組合の役員も勤めてきた父に「農薬を使わないで!」と真っ向から否定し新しい手法を提示することは、いまだにエネルギーを費やす。

「汚いミカンを誰が買うんだ?」という彼のもっともな疑念。1年に1度の収穫に年間の生活費がかかっている果樹栽培で、自然が持つ力だけを信じるなんてリスクが高すぎる、と心配する親心。「農薬(クスリ)や肥料を使わない=良いものをつくる責任を放棄する」の田舎あるあるの思考回路。

それでも齢70歳を超えるからだに鞭打って、これまでとは真逆のことにチャレンジ父してくれる父には感謝しかない。が、意見がぶつかることは多い。

私は静岡の実家を離れて暮らしているので、作業やスケジュールの調整など電話でのやりとりも多く、私はいまだに苦手、というかドキドキする。

うちの父は電話がとにかく短い。用件だけ済ませたらハイおしまい。それが何か?という感じ。世間話でお互いの近況を話すとかはそんな発想はない。自分のことを想像力が弱いとぽろりと言ったことがある。自覚はあるのはよいのだけれど周りは氣を使う。

電話しながら「分かってもらえたかな」「怒らせたかな」焦りにも似た不安に襲われる。私が農家を継ぐとしても父とは違う考えだから本当は嫌なんじゃないか、作業を人にやらせておいて勝手なことばかり言う娘に嫌気がさしているんじゃないか、弱氣な自分が顔を出す。

緊張してうまく言えなかったり、自分のことなのにまどろっこしくてもやもやする。

もともと私は自分の本当の氣持ちを言葉にするのが苦手というか避けてきたんだと最近氣がついた。親の期待に応えたい長子にはよくある傾向なのかもしれない。だけど周りに対して「分かってくれている(はず)」という甘えも無意識のうちにある。(私の話が分かりにくいといつも夫に注意される。)私のずるいところ。

意見の相違、氣持ちが伝わらない父へのイライラは本当は自分へのイライラなのかも知れない、と思う。「何でわかんないの?!」私が私自身へ訴えているのかも知れない。もっと私の氣持ちに耳を傾けてよ!と。

もっと言えば、自分自身の覚悟が問われていると感じる。うふふなミカンが本当にやりたいのか、どうか。そう考えると、父とのやりとりは自分との対話であり、父というよりももっと広い意味で無農薬栽培への理解が遅れている社会そのものとの対話に思えてくる。

そう思うと、自分が絶対これ!と覚悟を決めたものについては意外と「いいんじゃないか?やってみるか。」と拍子抜けするほど簡単に返事が返ってきた経験もある。父が変わったのではなくて私自身が肚を決めたことで未来が現象化した物理的なことなのかも知れない。

それにしても書いていて私は父のことが好きなんだなと思う。衝突のたびに悶々としながらも、うふふなミカンの会員さんからの応援メッセージ々に「家族みたいだなぁ」という父のつぶやきに心が躍ってみたり。不器用だな、私(笑)。

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