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オフラインの必要性

リモートワーク、オンラインミーティング、オンライン講義、オンライン飲み会の日々、人間同士の関わりは、コンピュータネットワークを媒介とするコミュニケーションによってどう変わるのか?
それは、つながりや社会参加への私たちの思いや欲求を満たしてくれるのか?
私たちは自分のバーチャルな行動に対する倫理的責任他どのような責任を負うことになるのか?
個人(individus individual)という言葉は「デバイドできない=分割不可能」という意味だけれど、私たちは、インターネットを利用することによりいやおうなく「デバイドできる=可分性」となり、細分化された様々な情報、データに振り分けられていく。
さらに、インターネットは、自分のアイデンティティを多元的、あるいは多重人格的なものへと「デバイド=分割」しやすくする。
そんな個人(individus individual デバイドできない=分割不可能)ではなく「デバイド=分割」された存在から、人々はたくさんの「自己」の間を往還しながらリインテグレートされた自己を作り上げることができるようになるのか。

どちらにしても、オフラインの活動が元のように戻ることはなく、私たちは不可逆的は変化を意識レベルでも生活レベルでも迎えることになる。

なお、人間の五感は「オンライン」だけで相手を信頼しないようにできていると指摘しているのは、霊長類の第一人者・山極壽一京大総長。
「五感のなかで、一番リアリティをもたらすのは視覚と聴覚。『見る』『聞く』は共有できる感覚だから。一方、触覚や嗅覚、味覚は100%共有することはできない。匂いや味は言葉で表現するのが難しいし、触覚に至っては触っている人は触られてもいるわけだから、その感覚はお互いに絶対共有できない。ところがおもしろいことに、この触覚や嗅覚、味覚という『共有できないはずの感覚』が、信頼関係をつくる上でもっとも大事なものなんです。」
「母子もカップルも、肌の触れ合いを長くすればするほど信頼が高まる。それは、『触覚』という本来『共有できない感覚』を一緒に経験しているからなんですよ。味覚も同じです。一緒に食事をする人たちを見たら『あの人たちは親しい間柄だ』と思いますよね?でも、視覚を共有したって、誰もそうは思わないわけです。」

確かに、同じ釜の飯を食う=パン(食事)を共にする=COM(一緒に)+PANY(パン)=COMPANY(仲間・会社)だ。
つまり視覚や聴覚ではなく、嗅覚や味覚、触覚という「共有できないはずの感覚」を一緒に経験すること、身体感覚を共有することが信頼関係を醸成するためには大切だということ。
人間は、いまだに身体でつながることが一番だと思っているということ。

さらに山極さん曰く「人間は言葉や文字をつくり、現代ではインターネットやスマートフォンなど、身体は離れていても脳でつながる装置をたくさんつくってしまった。だから、安易に『つながった』と錯覚するけれど、実際には信頼関係は担保できているわけではないという状況が生まれています。」

一般的に上位感覚と言われる視覚、聴覚だけが肥大化していく脳化社会の危うさを理解し、オンラインの視聴覚のリアリティとオフラインの身体感覚の共有とのバランスをとるということ。
信頼関係を醸成していくためには、フィジカルディスタンスを縮めること、いわゆる濃厚接触が大切なのは、ポストコロナ/ウィズコロナの時代でも変わらないということだろう。

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