人生における正しい「陣取りゲーム」の遊び方
はじめまして、ゆきひかりです。
「陣取りゲーム」ってありますよね。
陣地を誰よりも拡大したほうが勝ちというのが一般的な遊び方ですが、単純なルールにもかかわらず色々な遊び方をしている人たちがいます。
陣地を拡大するがよし。最も多く持つが良し。奪われたら取り返すがよし。
果たしてそうなんでしょうか。
人生とは幸福を目指すゲームである
私の友人に、とても幸福観に長けている人がいます。
「常に幸福である状態を死ぬまで保つだけだ」
私はなかなかそうはできませんでした。
データとして、幸/不幸になりやすさは遺伝子で50%ほど決まってしまうと言います。残りは周囲の環境と考え方です。
私はわりと、情緒が揺さぶられやすい人間だと感じています。
ゆえに不幸になるタイミングも多い。よって、そんなときのために逃げ道を用意しておきます。
その逃げ道こそがある意味での「陣地」というわけです。
具体的にどんな陣地を獲得するのかという前に、もう少し幸福について補足させてもらいます。
幸福とは安心を土台にしている
「マズローの欲求5段階説」という言葉はかなり一般的な言葉になってきました。
内容としては、安心・安全の欲求を満たさなければ、さらに高次の欲求(自己実現欲求など)を満たしたり追及することはできないという意味です。
ここで言う安心とは、身体に危害が及ぶほどの危険要因も内包していますが、一方で社会的な安心感というのはわれわれにとって一般的でしょう。(社会的欲求にも絡んでいます)
社会的に安心感が得られるというのは、つまりコミュニティーのことではないでしょうか。
家族、友人、クラスメイト、同僚、SNSグループ、社会貢献団体……
つまり自分がそこの一員としてみなされている状態こそが、安心感を生む源泉となっています。
逆に言えば、疎外感を覚えることは不安感を生む源泉とも言えるわけです。
逃げ道を増やす陣取りゲーム
先ほど、逃げ道とはつまり「コミュニティーにある」と言いました。
よって私たちは、新しいコミュニティーを構築することで逃げ道を多く獲得し、さらに新しく構築すること自体にも達成感を見出します。
コミュニティーを構築、または発掘する(陣地を増やす)ためには「前に進む」という行為が必要になります。
たとえば「新たな友人を作る」「新たなグループに加入する」というシンプルなものから、「物事をより突き詰めてレベルの高いコミュニティーへ進出する」という時間や労力を伴うものもあります。
そうすることにより、自分の安心できる場所をたくさん作っておく。
それはつまり、不幸からの回復が早いということを意味しています。
しかしそれは、他人に依存した幸福のあり方であり間違った考え方です。
不幸の原因は他者のせい?
なぜ不幸に思うのか。
それは、他人が自分を認めてくれないように思ったから。
自分の権利を侵害し、他人が陣地を奪ってきたのだ。
そして私たちは、そこから逃げ出して自分を迎えてくれる場所に帰る。
帰った場所には温かい人が待っている。
その人に慰められて、また元の場所へ戻ろうと頑張ってみる。
でもそれは幻想です。
基本的に、人間は他者にずっと関心を向けていられません。
目を引くトピックがあれば、そちらに誘導される単純な生き物なのです。
帰った場所に、必ず温かい人が待っている確率は高くありません。
家族はもっとも温かい可能性がありますが、それでも彼らにはそうできない瞬間があります。
自分の場所が一つもない瞬間があると、安心感を失い「前に進む」ことさえできなくなります。それは陣地の完全な消失(ゲームオーバー)を意味します。
そして最悪の場合は、自分を認めてくれない他者ばかりのこの世の中を呪い、勝手に絶望していくのです。
陣地を取られたら取り返す。また取られるから取り返す。
「なんで奪ってくるの?」と相手が恨めしい。
不幸を生み出す張本人
先ほどの話の中で間違っていた箇所があります。
「他人が自分を認めてくれないように思ったから。」です。
これはもう一つ掘り下げると簡単にわかることなのですが、他人が自分を認めてくれないのではなくて「他人に認められていない自分に対して、自分はそれを認められない」というのが正しいですね。
そうすると「その人に慰められて、また元の場所へ戻ろうと頑張ってみる。」についても理解が浅かったことが分かります。
つまり「その人に慰めされて、自分のことを再び認めることができたから───」という原理なんです。
結局、自分で自分を貶めて、自分で自分を鼓舞している。
陣地が奪われたというのは錯覚だったんです。
他者はまるで関係なくて、すべて自分の内側で起こっていることなんです。
本来は、「不幸を感じない」という選択肢があったはずなのですが、逃げ道を量産する人はそのように考える方法を忘れてしまっています。
他人はあなたの幸福の一切を左右することができません。(物理的な加害は除く)
よって、新しく獲得した「陣地(コミュニティー)」は、あなたを幸せにしてくれるとは全く言えないのです。
陣地をたくさん持っていると、不幸になりにくいという考え方は残念ながら間違っているようです。
これらとは反対に、幸福論の強者は「幸福に感じられる要素を見つけ、そこだけを選び取る」ことが実践できています。よって、不幸を選び取らない能力に長けているのですね。
さて、何なのでしょう。
たくさんの陣地を持つ人
一般的に、あらゆるものを所有している人は幸せ者だと言われます。
頭が良くて、スポーツができて、恋人もいる。
こんなのは学生にとっての幸せの象徴でしょう。これらは自己実現欲求というカテゴリーに入るものです。
ここまで「陣地」自体の逃げ道としての機能について言及しましたが、陣地をたくさん獲得している状態は俗に「勝者」と呼ばれます。
陣取りゲームの勝者は、一番多く陣地を持っていた人なのだから、多くを持つ者こそが勝者である。
だから、自分もそうやって色々なものを所有するために頑張る。
そして色々と携えた未来の自分は、きっと幸せになっているのだろう。
これもちょっと違うんですね。
幸福はゴールした瞬間に与えられるものではありません。
この場合の幸福観は「誰よりも多くの陣地を獲得したときに幸福になる」というものです。
つまり狭い範囲で考えてみると、「誰かに勝って上に立つこと、一番になることが幸福だ」という解釈になります。
でも考えてみてください。どんなに上に立とうとしても、相手は70億人いるんですよ。なのに勝者はたった1人です。
仮に”完全なる勝者”が幸福を得るのが真理だとしても、”小さな勝者”はさらに上を目指して歩み続けます。いつかそれらは衝突し、どちらかが敗者になります。
そんなことで得られる幸福は間違っています。
人類はほとんど平等に生まれ、ほとんど平等に幸福になる機会があるはずです。(ここでは難しい社会問題への言及はしません)
一人勝ちが正解の幸福論は、成立し得ません。
正しい「陣取りゲーム」の遊び方
ここまで、正しくない遊び方の説明書を書いてきました。
それでは何が正しい遊び方なのかというと
「陣取りゲーム」とは「陣地を取るのが楽しいだけのゲーム」なんです。
実は、世の中で一般的な陣取りゲームのルールとはちょっと違うんですね。
陣地を増やすという行為は「コミュニティーの獲得」でも「勝利への手段」でもなく、「単なる自己成長の目安」に過ぎないんです。
勉強をすると、陣地が増えます。
人付き合いをすると、陣地が増えます。
新しい体験をすると、陣地が増えます。
暗闇をライトで照らしていくのと同じで、陣地が増えていく様子は「世の中がどんどんわかっていく」ことに似ています。
陣地が増えると、次第に他者と交わっていきます。
それによってより強固な陣地となる場合もあれば、好ましくない陣地になることもあります。
例えばある競技のプロになった人の隣には、先を越されたと妬む敵がいるかもしれません。しかし、だからと言って必ずしも同情をはたらかせる必要は無いわけです。
まあ物によって譲りたいなら、譲ればいいんです。
本当は、誰もあなたの陣地を奪ったりはできません。
なぜなら、陣地になったという証拠はあなた自身が立てた旗から生まれているのだから。
旗を立てるのも、取り下げるのも、他人の旗をたてるのも、それは自分次第。
「奪われた」という感情はウソで、自分が勝手に違う色に塗っただけです。
世の中を俯瞰して、自分の陣地の数を確認する必要は全くありません。(どうせ勝てないのだから)
陣地を増やす行為だけを楽しめばいい。景色を見て、自分の旗がたくさんあって嬉しいなと思っているだけでいい。そうやって世の中へアクセスする手段が増えれば、さらに幸福が見つけやすくもなります。
これが、正しい遊び方です。
本当の勝者が誰なのか、あなたは気付きましたか?
まあ、私も現在進行形で間違った陣取りゲームを攻略している一人なんですけどね。
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