【エッセイ】“目的”を持っていきること
九月になった。
町会長になってから
近所の小学校の便りが毎月届くようになり
子どもがいない僕は
なんとなく我が子がいたら男の子かなぁ
とかぼんやり思い浮かべながら
便りに目を通している。
昔は九月から始業式があったように記憶していたけど
今は少し早く始まっているようだ
小学生だった頃は、長い夏休み明けは
気合いを入れないとと思いながら
不安の方がいっぱいになっているような気持ち
でも、学校に行ってみると
いつものお調子者キャラが前に出て
がむしゃらに生きていたような感覚が蘇る。
新しい職場、むしろ新しい職業に就いて4ヶ月
なんとなく振り返ると
毎日毎日が繋がっていて、メリハリがなく過ぎ去っていく仕事をこなす時間の連続。
いろいろなプロジェクトのマイルストーン
山場は沢山あって
乗り越えることに皆で力を合わせてきた。
今読んでいるちょっとした哲学書に
人間は“目的”をつくり、それを如何に効率的に達成するか、ということの連続で──という節があって──
“目的”
という言葉の意味を深く考えさせられていた。
目的と対になる手段
仕事あるあるで、一生懸命に取り組めば取り組むほど、目的と手段が入れ替わってしまうことがある。
そもそも“目的”ってなんだってことで
目標と目的もちょっと意味合いが違う
目標は目的を達成する為の指標ってのが通説で
英語だと、パーパスとかゴール、ターゲットとか分かりやすく言葉が違うけど、日本語だと曖昧に考えてしまうことが多い気がする。
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“目的”がないと人は生きるモチベーションがなくなるんだろうか?
目的を消化し続けることで
達成感を得て、また新しい目的を探す。
それの繰り返しが人生なのだとしたら
少し味気ない気もして
逆に“目的”のないこと、
無駄なことをすることで
後になって良かったな、と思うことの方が多いから──
一概に“目的”を追いかけることに固執することはダメなんだろうな、と妙に納得したりしている。
僕の人生の“目的”は
小さい頃から夢とかないので(笑)
社会人になってからは
アイデンティティを高めること、にしている。
さっきトイレで鏡にうつる自分とちょっとだけ目が合った。
記事執筆のための、いろいろな本の購入費用として活用させていただきます!