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【エッセイ】さくら

春のうたた寝。

今日も一日ファスティングをして、家族の帰りを待って19時頃になると、いい感じの空腹感が心地よい。
帰り道、勢いで焼肉弁当の肉増し・ご飯大盛りを買い込み、家に帰ってゆっくり食べる。
久しぶりの白米が美味しい。
そのあとは最近きまって床にゴロンとなり読書タイム──、という名の睡眠タイム。
今日もしっかり2時間くらい寝てしまった。
春は何時でも、うたた寝が気持ちいいなと。


さくらが咲いた。

毎日のように朝のお散歩で通っている靖国神社に、気象庁が桜の開花をみるための、ソメイヨシノの桜の標本木がある。

先月くらいから、春の足音が近づいてくるのを感じながら、その標本木の枝の先にあるたくさんのつぼみ達を見守ってきた。

3月13日。
数日前からテレビ局の取材がきていてたから、そろそろ開花なのかな、と楽しみに覗き見する。
細い枝から小さなさくらが一輪だけ咲いていた。
ひそかに気象庁よりも早く開花を見つけたぞ~、と鬼の首を取ったように内心思ってたけれど。
仲良しのnoterの方が「桜の開花は、五輪以上の花が開いた時みたいよ」と親切に教えてくれた(笑)

その日は午後から雨。
さくらの木は雨をすって、一晩ゆっくり休み、翌日の3月14日の昼頃に、五輪よりもたくさんの花をしっかりと咲かせていた。

テレビ局の騒がしい取材はさておき。
私も躍起になって、同じようなことをしていたことが少しはずかしくなった。

桜の標本木を眺めてから、鳥居をくぐり本殿にお参りする。
ここ数日、小銭がなくて入れてなかったお賽銭を、今日はさくらさん開花祝いということで、奮発して1000円入れておいた。

これから花が沢山開いて、沢山のひとを楽しませてくれますように──


流れる季節の中で。

季節の移り変わり。
ここ数年、五十近くになってはじめて、ゆっくりと移り変わる季節に敏感になったり、ゆっくりと桜の蕾を見守ったり、
花ひらき、そして散ってゆくこと
自然の移り変わりを、楽しめるようになった気がする。

自然の循環は、人間みたいに小さなことで一喜一憂したりはしない。
さくら達も、みんなに見られようが、僕が応援しようがしまいが、お賽銭を入れなくても、
毎年、ときが来ればしっかりと花を咲かせて、人間を楽しませてくれる。

自尊心や向上心、承認欲求や自己実現欲求なんてなくても、自然は循環している。

人生の循環はどうだろう。

今年はいよいよ50歳になる。
100年前の日本の平均寿命は40歳ちょいだから、もう相当な長生きのレベル。

ここ数年、環境問題を仕事で取り組んだり、地域コミュニティーに入って社会貢献な活動をしてみて、少しは利他的な気持ちになれるようになってきた。

仕事もしかり、何にせよ循環は大事なこと。
若い世代が活躍できるようにしていくことが、何よりも大切なことに、より感じるようになってきた。


明日も朝の光を浴びて、風を感じ、季節を感じながら──────

ときの赴くままに、自然体で気張らず力まず、生きていきたいな。





©️2023 Mahalopine


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