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『時間は存在しない』を読んで

各メディア絶賛 5万部突破!「時間とは、人間の産み出すものだと、物理学者が言ったらどう思います?」円成 塔氏推薦。

何やらすごく興味深いキャッチコピーにまんまと引っ掛かった感はありましたが、もともとアインシュタインやホーキング系の物理学は、わからんけど好きなジャンルです。

原題 L'ordine del tempo
アナクシマンドロス 「時間の順序に従って」の言葉から。
自然哲学の系譜に連なる者として「時間」を論じる。
冨永 星 訳

かなりの高度な抽象化された論理なので、メモがいっぱいになってしまいました😅飛ばし飛ばしでレビューしていきます。本気で読むなら何度か読破しないとダメかなぁ💧


第一部  時間の崩壊/第一章  ところ変われば時間も変わる

時間の減速
時間の流れは、山では速く、低地では遅い。
インターネットで数千ユーロ(数十万円)もだせば買える正確な時計を使えば測ることができる。

最初はわかりやすい。この手の本は何度か読んでいるから、時間が相対的で重量とか物体によって、時空が伸縮して時間の流れが変わると、見たことはないが知っていた。
数十万円でそれを測ることができる正確な時計が買えるとは、驚き❗️そんな時計売ってるのかな?と調べてみたけど、スカイツリーのニュースがあるくらいでしたw

アマゾンで売っているレベルではなさそうです・・・。やっぱりスカイツリーの高低差計測とかで確認するんですね。光格子時計って初めて聞きましたが、コウコウシ?なのでしょうか、なんだか凄そうですね。

アルベルト・アインシュタイン『時間の構造の変化』
物体は周囲の時間を減速させる。

アナクマンドロス
2600年ほど前のギリシャの哲学者
事物は必要に応じて、ほかのものに変わる。
そして時間の順序に従って、正義となる。
時間は、最初の層である「単一性」という特徴を失う。

この辺は予想通りというか、アインシュタインの話。そこから更に2600年前のギリシャの哲学者の言葉からも、「時間」について、意味深な言葉が残っていることが証明されています。
そう考えると、時間という概念は、身近なもののようで解らない、人間にとっての最大の謎なんでしょう。

第二章  時間には方向がない

この2章のタイトルから見て、なかなかついていくのが大変になります。ではいきましょう😅

過去と未来は別物。原因が先で、結果が後。
熱の正体  :熱いものから冷たいものへと「落ちる」ことでエネルギーを生み出すある種の流れ。

わかるようでわかりにくいw 
ここでは、過去と未来という全く別のものがあり、その順番を決める唯一のエネルギーは"熱"だというのです。

クラウジウス
熱は冷たいものから温かいものに移れない。
時間と熱には深い繋がりがあり、過去と未来の違いが現れる場合は決まって熱が関係してくる。

一方通行で不可逆な熱過程を測る量。
エントロピー  △S≧0

クラウジウスという学者がいうことが唯一だそうで、過去と未来の違いがあらわれるところの、すべての事象に熱が関係するということです。
こうやって、iPadで文字をタイピングするには、頭を回転させるとニューロン反応という熱が出る、また、タイピングすることにより、指先とキーボードが摩擦して熱が出る、というような具合に・・・。

そのような、不可逆的な熱過程を図る量のことを"エントロピー"というようで、この本で、唯一出てくる数式が書かれています。
全く式の意味はわかりませんが、過去の未来の違いが現れる時には必ず"熱"が関係していて、その熱過程を図る量を"エントロピー"と定義していると、そのまま理解しちゃわないと次に進めません(笑)

ボルツマン  熱は、分子のミクロレベルの振動。私の愛しいまるぽちゃさん

エントロピーとぼやけ
時間の流れを特徴づけるすべての現象は、この世界の過去の「特別」な状況
その状況が「特別」なのは、わたしたちの視野が曖昧だから、に由来するもの。
エントロピーが、この世界を見ている自分たちの視野が曖昧なせいで区別できないミクロ状態の個数を示す量でしかない、という驚くべき事実。

ここでまた、新しい人物、ボルツマンがある発見をします。
この"エントロピー"を計測しようとしても、自分たちの視野は限界があり、当たり前ですが分子レベルの状況を視野で捉えられない、だからそのぼやけの中で、ここでいう"特別"になるということが書かれています。非常にわかりにくかったですが、要するに分子レベルで見れちゃうと、逆に何が特別なのかわからなくなるということでしょうか。
そもそも、物質などを含め、分子や量子レベルで見ると、常に流動的なものであり、分子レベルの振動が熱だとすると、一方通行の過去と未来の流れを作るものだらけになり、人間が視野として持つ"ぼやけ"がないと過去と未来すら区別できないということなのでしょう。
非常に哲学的な考えの抽象化だと思いますが、熱という唯一のエネルギーをベースに思考するとそのような結論になるようです。
でも、そのレベルの思考を昔の人たちがしていたのだとすると、やはり歴史に学ぶことは非常に大切なことだと思いました。

第三章  「現在」の終わり

速度も時間の流れを遅らせる。
動いている物体が経験する時間は、静止している物体が経験する時間より短い。

宇宙旅行の映画などでも出てきたものもありましたよね。
動いている物体は静止している物体よりもゆっくり時間が流れるということで、わかりやすくいうと、宇宙旅行に行ってきて、戻ってきたら地球にいた人は歳を取っていたというあるあるストーリーの元ネタかと思います。

共通の現在なるものは存在しない。
何らかの形態の宇宙が「今」存在していて、時間の経過とともに変化しているという見方自体が破綻している。

ここまその応用問題なので、少し難しかったw
共通の現在はあるのか?ということを、いろいろなストーリーをベースに考察していますが、要するに相対的で流動的な時間・時空、時間の経過(エントロピー)などから考えると、「今」というものが宇宙に共通に存在しているという論理は考えられないということを言っています。なんとなく、わかったような解らんような💧


第四章 時間と事物は切り離せない

難しいことをいっぱい考えた後で、ここからは「時間」というものが、事物と独立して流れているものか、どうか?という考察に入ります。私もそうでしたが、普通は、絶対的な「時間」というものが流れてて、それを時計とかで見ながら生活してきたので、その感覚だと思いますが、そうではない!というのです。

わたしたちが時間はどこでも同じ速さで流れていると思い込んでいたのは、いったい全体なぜなのか。
日周リズムは、わたしたちの時間の概念の基本的な源である。
昔から事物が変化する様子を数えることによって、時間について考えてきた。

確かにそうです。事物が変化する様子を数えること、ここでは日が朝が来て夜が来るというような例などが紹介されていますが、そう言われると世界時間のような標準時間も、政治的に無理やりどこかの場所を基準にして決めているだけなので、その絶対的な基準というものが正確性は全くないことになります。

アリストテレス
時間とは変化を計測した数であるという結論に達した。
ニュートン
事物とはまったく無関係な時間。近代物理学を構築できた。
三人の巨人によるダンス
アインシュタイン、アリストテレス、ニュートンの時間の統合。
ディラック場、電磁場、「重力場」
時間と空間をより深く理解。
ニュートンの「真の数学的時間」は存在する。重力場と呼ばれる伸縮自在なシートとして。しかし、この時間が事物から独立していて、規則正しく揺るぎなく経過するという考えは間違い。
アリストテレスが、「いつ」と「どこで」が必ず何かとの関係で決まると考えたのは正しかった。しかしその「何か」もまた単なる場でしかなかった。アインシュタインの時空的実在だった。

時間の解明はまだまだですが、過去のアリストテレス、ニュートン、そしてアインシュタインのそれぞれの考えがわかりやすくまとめられています。今の時空的実在の証明まで来るための思考の道のりというものでしょうか。
本当に、今までの当たり前と思ってきたことが、天地逆転的な発想を持って覆されてきたということです。


第五章  時間の最小単位

量子重力理論はまだ存在していない。
ループ量子重力、ループ理論、粒状の時間
重力場における最小規模は「プランク・スケール」、最小の時間は「プランク時間」と呼ばれている。

今までホーキング博士などの本などにもありましたが、一般相対性理論と量子力学の統合したものが量子重力理論ですが、現在はこれがまだ存在していないということです。
ここでいうプランク時間という最小単位の時間の計測などが、まー考えるだけでも大変そうというか、想像もつきませんね。

時間の持続期間を定める基層は、この世界を構成する他のものと異なる独立した実態ではなく、動的な場の一つの側面。
跳び、揺らぎ、相互作用によってのみ具体化し、最小規模に達しなければ定まらない側面・・・だとすれば、時間の何が残るのか。

またまた、わかったような、わからんような話。絶対的な時間というものがないのであれば、先程の熱でありエントロピー、もっと言えばそれを認識するのが、視野的な"ゆらぎ"なのだとすると、プランク・スケールのような量子の世界観で見たときに、確かに何が残るのだろう・・・と思いました。何も変化していない、時間などない?という考え方もできそうです。


第二部  時間のない世界/第六章  この世界は、物でなく出来事でできている

事物は「存在しない」。事物は「起きる」。
この世界が「出来事」、すなわち起きる事柄、一連の段階、出現する何かによって構成されていると考えることもできる。
この世界は物ではなく、出来事の集まり。
もしも「時間」が出来事の発生自体を意味するのなら、あらゆるものが「時間」である。時間の中にあるものだけが、存在するのだ。

そうなると、第二部からはタイトルに近い「時間のない世界」を考察することになります。事物が絶対的に存在するという理解ではなく、事柄として捉えると、世界は出来事の集まりとなり、それをベースにすると「時間」というものが存在することになる、という考察です。
あー深い。地球が回っていたと同じレベルでパラダイムシフトできれば良いのですが、なかなか量子レベルの話なので実感は湧かないですね。もう哲学としか言いようがない!


第七章  語法がうまく合っていない

哲学者たちは、流れや変化が幻であるとする見方を「永久主義」と呼んでいる。
アインシュタインの言葉
わたしたちのように物理を信じている者にとって、過去と現在と未来の違いはしつこく続く幻でしかありません。

もう、アインシュタインも幻とか言ってるくらい、哲学ですね。これはw

「ブロック宇宙論」
宇宙の歴史全体を単一のブロックと見るべきで、そこでは全てが同じようにリアルで、ある瞬間から次の瞬間への時間の移り変わりは幻でしかない。という考え方。

ブロック宇宙論、この考え方もやばいですね。これは、数年前に宇宙はユニバースじゃなくて、マルチバースだ!という書籍を読んだことがありますが、そのベースとなる宇宙論。全部のパターンの宇宙があるよってやつです。過去・現在・未来も同じ枠にセットで四次元論としてあるので、タイムマシーン的な考え方も可能という。ネットでもいろいろ記事が出てますね。それはそうだったとして、今自分が体験している宇宙は単一なわけで、そこからどうだという話ではないのですが、「考え方」として理解しました。

この世界の変化が包括的な順序に従って生じているわけではないという事実。
自分たちの言葉や直感を、なんとしても新しい発見に沿わせようと四苦八苦している最中。「過去」や「未来」が普遍的な意味を持たず、場所が変わればその意味も変わる、という発見に。

このように、固定観念を捨てて、考え方をいかに変えられるかが非常に重要なのだなとつくづく思いました。天動説から地動説になったのと同じような発見を繰り返していかないと時間は理解できない・・・ということですね。


第八章  関係としての力学

量子重力の基本方程式。時間変数を含むことなく、変動する量の間のあり得る関係を指し示すことで、この世界を記述する。
1967年 アメリカの物理学者 ブライス・ドウィットとジョン・ホイーラー
ホイーラー=ドウィット方程式
これがわたしたちにとっての時間なのだ。記憶と郷愁。そして、不安がもたらす痛み。不在が悲しいのではない。愛着があり、愛しているから悲しいのだ。
愛がなければ、不在によって心が痛むこともない。
不在がもたらす痛みですら、結局は善いもの、美しいものなのだ。人生に意味をもたらす糧として育つのだから。
起こりうる出来事とそれらの関係だけを記述している。

時間変数がない関係式、何か情緒的な文章ですが、人間が感じている時間というものは、それが認識する出来事だけだとすると、実際はその人の人生そのものが時間なのかもw

ループ量子重力理論の方程式
時間という変数がない。
「空間量子」
量子は相互作用という振る舞いを通じて、その相互作用においてのみ、さらには相互作用の相手との関係に限って、姿を現す。
この世界は互いに関連し合う視点の集まりのようなもの。
「スピンネットワーク」
もはや、時間と空間はもはやこの世界の入れ物でも一般的な形態でもなくなる。時間や空間そのものが、時間や空間のことなど知りもしない量子力学の近似なのだ。存在するのは、出来事と関係だけ。
これが、基本的な物理学における時間のない世界。

そんな時間変数がない考え方もあるようで、それが筆者が研究を進めているループ量子重力理論というものらしいです。量子重力理論の有力候補なので、ホーキング博士に次ぐ天才ですね。なんとなくイメージできるけど、これも難しい😅

第三部  時間の源へ/第九章  時間とは無知なり

マクロな状態が定める時間
時間  →  エネルギー  →  マクロな状態
まず時間が存在して、ほかのものとは独立だということ。
逆から読むと
マクロな状態  → エネルギー  →  時間
(詳細を無視した)マクロな状態によってある特定の変数が選ばれ、それが時間のいくつかの性質を備えている。つまり時間が決まるのは、単に像がぼやけているからなのだ。
相対論的物理学では、先見的に時間の役割を演じる変数は皆無で、マクロな状態と時間の進展の関係をひっくり返すことができる。時間の進展が状態を決めるのではなく、状態、つまりはぼやけが時間を決めるのだ。
「熱時間」  マクロな状態によって定められた時間。

最初の方にあった、熱、エントロピーのぼやけがまた出てきました。熱時間というマクロな状態(ぼやけ)によって決まった時間です。絶対的に流れている時間がないのだから、このような話になってくるんですね。

非可換だから生まれる時間
量子変数の「非可換性」
電子の位置を測ってから速度を測ると、速度を測ってから位置を測ったときとは違う状態に変化する。
「非可換フォン・ノイマン環」
コンヌが提示した数学。物理的な変数の非可換性によって、時間的な流れが定義されることを示した。
数学的な構造を定義し、これらの構造自体のなかに内在的に定義された流れが存在することを示した。
マクロな状態によって定められる時間と、量子の非可換性によって定められる時間は、同じ現象の別の側面。
時間の核には、二つのぼやけの起源
物理系がおびただしい数の粒子からなっているという事実
量子的な不確定性
私たちはまだ、自分たちが経験する時間にたどりついていない。
過去と未来の差、私たちにとってこれほどまでに重要なこの差は、一体どこからきているのだろう。

とは言っても、非可換な事象が元になって時間が生まれるという事実。ここら辺が研究で苦労しているところなのでしょう。それが量子的なレベルだから尚更です。マクロな状態(ぼやけ)で定める時間と、量子は非可換性があってそれで定める時間。これらの差がわからんということかな。

第一〇章  視点

エントロピーは恣意的でもなければ、主観的な量でもなく、速度のような相対的な量なのだ。
熱時間の流れの二つある端の片方におけるエントロピーが低くなっている。
これらの系Sにとっては、エントロピーの変動は対象でなく、増大する。
そして私たちは、この増大を時の流れとして経験する。


第一一章  特殊性から生じるもの

この章あたりから、哲学的な考察がガンガンきます。深いなと思った文章をメモしたら、めちゃめちゃいっぱいになってしまいました。それではぶっ続けてどうぞ!

エネルギーではなくエントロピーがこの世界を動かす。
石が一つ、地べたに落ちる。なぜ落ちるのか?
「石が自分を、"エネルギーの低い状態"に持っていくから」
石が地球に当たって地球を温める、つまり、石の力学的エネルギーが熱に変わるから、というのがその答え。
宇宙自体が、閉じたり開いたりする部分同士の相互作用を通じて少しずつ自分をかき混ぜる。宇宙の広大な量いいが、秩序だった配置に閉じ込められたままになっているが、やがてそのあちこちで新たな回路が開き、そこから無秩序が広がる。
この世界で出来事が生じるのは、そして宇宙の歴史が記されていくのは、
あらゆるものが抗いがたくかき混ぜられ、いくつかの秩序ある配置が無数の無秩序な配置へと向かうからだ。
痕跡と原因
過去が現在のなかに痕跡を残すということ。
過去の痕跡が豊富だからこそ、「過去は定まっている」というお馴染みの感覚が生じる。
未来に関しては、そのような痕跡が一切ないので、「未来は定まっていない」と感じる。
わたしたちの脳は過去の出来事の広域な地図を作り出すことができる。
だが、以来の出来事の地図は作れない。
この事実から、自分たちはこの世界で自由に動ける、たとえ過去には働き掛けられなくても、さまざまな未来のどれかを選ぶことができる、という印象が生まれる。
進化の過程で未来の可能性を計算できるように設計されてきた。
それが、わたしたちのいう「意思決定」
未来の特定の出来事の「原因」とは、その事柄だけが取り除かれた未来の世界では問題の出来事が起こりえないような過去の事柄なのだ。
記憶や因果、流れや「定まった過去と不確かな未来」といったものは、ある統計的な事実、すなわち宇宙の過去の状態としてありそうにないものがあるという事実がもたらす結果にわたしたちが与えた名前でしかない。
これら全てが、はるか昔の事物の配置が「特殊」だったという事実から生じた結果にすぎない。
そのうえ、「特殊」というのは相対的な単語で、あくまで一つの視点にとって「特殊」なのだ。

ここまで深い考察を述べられると、本当にその通りな気がします。思考の深さが深すぎてとても追いつけないですが、過去や未来についての捉え方も、真実という言葉さえも、量子重力理論の中では、虚構なのでしょうね。


第一二章  マドレーヌの香り

もうここは完全に哲学です。私はすごい好きですが、自分の存在やアイデンティティーについての考察。余計な解説は無用なので、そのままで。

そもそもわたしたち人類は何なのか。実在するものなのか。
しかし、この世界は実在するものではなく、互いに結び合わさった出来事によって構成されている・・・であるならば「わたし」とはいったい何なのか。

わたしたちは、時間と空間のなかで構成された有限の過程であり、出来事なのだ。
わたしたちのアイデンティティーの構成要素
①わたしたち一人一人がこの世界に対する「一つの視点」と同一視されるということ。
一人一人がこの世界を反映し、受け取った情報を厳格に統合された形で合成する複雑な過程なのだ。
②わたしたちはこの世界を反映するなかで、世界を組織して実在にする。
「概念」のような「もの」は、感覚器官への入力や連続する自己形成の反復構造によって誘導されたニューロンの動的システムの不動点だということ。
「人」としての自分を考えるとき、わたしたちは仲間に当てはめるために自ら開発した精神的な回路を自分自身に適用している。

(デカルトのものとされることが多い考え)
わたしたちの経験ではすべてに先立って「考える、だから存在する」という事実を認識するという。
「考える、ゆえに、我あり」はデカルトによる認識の再構築の第一歩ではなく、第二歩。デカルトは、主観による初歩的な経験ではなく、洗練された知性による方法的懐疑から出発した。
自分の周囲の世界を見ることであって、自分自身を見ることではなかった。
わたしたちは、自分自身の同類から受け取った「己」という概念の反映なのである。
③記憶。
『脳と時間:神経科学と物理学で解き明かす<時間>の謎』
脳は過去の記憶を集め、それを使って絶えず未来を予測しようとする仕組み。
しかもこの作業が行われる時間のスケールは、きわめて短いものからごく長いものまで、ひじょうに広範かつ多様。

わたしたちが近くしているのは現在ではなく、時間の中で生じ、伸びていくもの。時間の中での発展が脳の内部で凝縮され、継続として認識される。
アウグスティヌス『告白』第十一巻 時間の性質の考察
時計の継続を計るものは、わたしの精神の中にある。自分の精神が時間は客観的なものだと言い張るのを許してはならない。わたしは時間を測る際に、自分の精神の中にある現在の何かを計っている。これが時間でないとしたら、時間が何なのか、わたしにはまったくわからない。
アウグスティヌスは、時間が経過したという意識が己の内側にあることに気がついた。それは精神の一部であり、過去が脳の内部に残した痕跡。
音楽経験の論拠
音楽は時間の中にしかあり得ないのに、わたしたちが常に現実にしか存在しえないとしたら、どうして音楽を聴くことができるのか。
わたしたちの意識が記憶と予想に基づいているから。
時間は丸ごと現在にある。わたしたちの精神の中に、記憶として、予想として存在する。
メロディーに耳を澄ますという比喩
ある音を聞いた瞬間に、その前の音は「記憶にとどめられ」、今聞いた音もすぐに記憶の一部になる。そうやって音の記憶が連なり、やがて現在のなかに、次第にぼやけていく一連の過去の痕跡が形成される。
マルティン・ハイデッガー
「時間は、そこに人間存在がある限りにおいて時間化する」
精神は、脳の機能によってもたらされる。
人間の脳全体がニューロン同士をつなぐシナプスに残された過去の痕跡の集まりに基づいて機能している、という事実。

プルースト
「現実は、記憶のみによって形成される」
わたしたちは物語なのだ。
記憶と呼ばれるこの広がりとわたしたちの連続的な予測の過程が組み合わさったとき、わたしたちは時間を時間と感じ、自分を自分だと感じる。
わたしたちが内省する際に、空間やものがないところにいる自分は簡単に想像できたとしても、時間がないところにいる自分を想像することができるものなのかを。
時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主であるわたしたちヒトの、この世界との相互作用の形であり、わたしたちのアイデンティティーの源なのだ。
仏陀は苦しみの源といった。
時間の経過に耐える。時間に苦しめられる。時は悲嘆の種。


第一三章  時の起源

時間についての総論がまとめられていたので、思わずメモ。長いですが、この本の最初から著者が言いたいことが書かれています。この部分を何度も読み返すとストーリーがあってわかりやすいな、と思いました。

宇宙全体に共通な「今」は存在しない。
すべての出来事が過去、現在、未来と順序づけられているわけではなく、「部分的に」順序づけられているにすぎない。
わたしたちの近くには「今」があるが、遠くの銀河に「今」は存在しない。「今」は帯域的な現象ではなく、局所的なものなのだ。
世界の出来事を統べる(すべる)基本方程式に、過去と未来の違いは存在しない。過去と未来が違うと感じられる理由はただ一つ、過去の世界が、わたしたちのぼやけた目には「特殊」に映る状態だったからだ。
自分の周りで経過する時間の速度は、自分がどこにいるのか、どのような速さで動いているのかによって変わってくる。
時間は、質量に近い方が、そして早く動いた方が遅くなる。
二つの出来事をつなぐ時間は一つでなく、様々であり得る。
時間の流れるリズムは、重力場によって決まる。重力場は真の実在であり、その力学はアインシュタイン方程式。今かりに量子効果を無視すると、時間と空間は、わたしたちが埋め込まれた巨大なゼリーの異なる側面。
しかしこの世界は量子的、世界の基本原理には空間も時間もなく、ある物理量からほかの物理量に変わっていく過程があるだけ。そこから確率や関係を計算することができる。
わたしたちが経験する時間に似たものはほぼないと言える。
「時間」という特別な変数はなく、過去と未来に差はなく、時空もない。
それでも、この世界を記述する式を書くことはできる。変数が互いに対して発展していく。
それは「静的な」世界でも、すべての変化が幻である「ブロック宇宙」でもない。
わたしたちのこの世界はものではなく、出来事からなる世界。

ここまでが、外に向かう旅、時間んもない宇宙への旅。
あり得る様々な時間ではなく、ただ一つの時間 ー 自分たちが経験する、一様で順序づけられた普遍的な時間 ー について語ることが可能になる。
わたしたちの特殊な視点、エントロピーの増大を頼りとして時間の流れにしっかり根差したヒトとしての視点からの、この世界の近似の近似の近似なのだ。

さまざまな近似に由来する多様な性質を持つ、複雑で重層的な概念。
科学哲学者 ハンス・ライヘンバッハ 『時間の向き』
パルメニデスが時間の存在を否定しようとし、
プラトンが時間の外側にある理想(イデア)の世界を思い描き
ヘーゲルが、時間性を超越して精神が全き己を知る瞬間について論じた
のは、時間がもたらす不安から逃れるためだったのだろう。
おそらく、時間に対する感情の高ぶりこそが、わたしたちにとっての時間なのだろう。
この広がり、ニューロン同士のつながりのなかにある記憶の痕跡によって開かれた空き地なのだ。記憶。そして、郷愁。わたしたちは、来ないかもしれない未来を切望する。このようにして開かれた空き地。
 ー 記憶と機体によって開かれた空き地 ー 
が時間なのだ。
わたしたちの存在を許すもの。わたしたちはもう、微笑んでよい。心穏やかに時の中に戻り、自分たちの限りある時間に浸って、この短いサイクルの束の間の貴重な瞬間を慈しむことができるのだから。

 眠りの姉

わたしたちが見ている現実のありようは、わたしたちが組織した譫妄(せんもう)であり、それが進化して、結果としてはかなりよく機能し、私たちをここまで連れてきた。
この譫妄と折り合いをつけて対処するためにわたしたちが見つけた道具は多岐にわたっており、中でも最良の道具の一つが理性である。


日本語版解説 吉田伸夫

ループ量子重力理論
量子論と重力理論を統合した「量子重力理論」の構築が大きな目標とされている。超ひも理論と並んで有力候補。
時間が経過するという内的な感覚が、未来によらず過去だけに関わる記憶の時間的非対称性に由来することを指摘。その上で、記憶とは、中枢神経系におけるシナプス結合の形成と消滅という物質的なプロセスが生み出したものであり、過去の記憶だけが存在するのは、このプロセスがエントロピー増大の法則に従うことの直接的な帰結であると論じている。
物理学の範疇を飛び出して、脳科学や哲学の分野へと踏み込む。
©️Mahalopine

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