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その伝統技術で現代作りたいものが無いのであれば、本当の伝統技術の保存はむづかしいと思ふ

伝統工芸というと=独特で高度な技術

みたいなところがありますね。

実際、伝統技術は素晴らしい。

その民族の先人たちが、経験を積み重ね試行錯誤し、洗練させ伝承して来たものですから、非常に合理的なものが多いように思います。仮に現代基準で言えば非効率的なやり方だったとしても、実は「超長期使用」や「メンテナンス性」に優れていたり・・・

また、その非効率的なやり方だからこその味わいや奥深さが出たりしますし、その技術しか無かった頃にはその方法が最新だったという事情がありますから、現代人は「伝統技術のみでなく、それが使われていた時代と背景を知り、理解しておく事」は大変に有効だと思いますし、その伝統技術にまつわる色々な情報を詳細に記録しておくべきだとも思います。

しかし、昔の名品のような品格や勢いを持ったものが出来ないのは何故か?

仮にその「伝統技術」がほぼ変形なく現代に伝承されていたとしても、現代人には出来ません。

それは、ものすごく単純な事が理由で

「現代、その伝統技術を使って作りたいものが無いから」

と私は考えております。

「昔の名品は、どうしても作りたいものがあって、どうにか作った」

=「作りたいモノと、それを作るための新しい技術と、両方創作した」

という事です。

良いものは

「何が何でも、これを産み出したいいいっっっっ!!!」

という情熱によって

出来上がりました。

(それが制作者の内部の創作的情熱からであろうと、お金がお欲しいからという情熱であろうと、権力者からの依頼で失敗すると首が飛ぶから自分の命のためであろうと、強い創作への衝動や情熱や逼迫感があった)

技術が先ではなく、まずは作りたい欲求から、あるいは社会の人々の強い要望から、どうやったらそれを産み出せるか、と技術自体も創作して形にするのです。

なので、現代でもそういう欲求のある分野は伝統技術が伝承され、良いものも産み出されています。

昔も今も、その仕組は同じなので、いわゆる伝統技術ではありませんが「強い欲求からの創作性と技術開発によって産み出された素晴らしいもの」が、現代には沢山あります。

例えば、パソコンやその周辺技術や、最先端の自動車などはそうではないでしょうか。マンガなども、プロ・アマ関係なく、マンガを描くアプリも進化し、マンガ自体も進化しています。(・・・他にもいろいろなものがありますね)

まずは強い衝動・欲求により始まり、制作を重ねるうちに制作者自身が進化し、さらに同業者同士の競争により技術・創作性が進化し、使う人々の感性が洗練され、制作者への要望が高度になり・・・制作する側、使う側の両者の相乗効果で技術的及び審美的完成度が上がり、臨界点を迎え、爛熟期を迎え、衰退期に入り、その技術や美意識は消散して行き、モノだけは博物的に残り、後世の人々がそれを過去の記録として観る、という流れですね。

衰退期に入り、その文化自体が失われたとしても、その文化がその後の世代や、他の分野に影響を与えるという事で、形を変えてその核心部分は伝承される事もあります。

だから、単純に、ただ伝統技術はありがたいから残せ、といってもダメで、その伝統技術によって産まれるモノと文化的ないろいろを、現代人が楽しい、欲しいと思うようなものを作るために「キチンと伝統技術を使わないとダメ」という事ですね。

「その名品が産まれた時代と同じレベルの創作熱を持ち、同じレベルの文化水準に達していなければ同じレベルのモノは出来ない」

のです。

例えば、素晴らしい画家の書いたドローイングを、他の人が精密にトレースしたからといって、同じ絵にはなりませんよね。

仮に、寸分違わず同じように写したとしても、同じ絵にはなりません。

そういう事です。

中身が無いのですから。

政治であろうと、芸術分野であろうと「民衆や、その時代の権力者のレベル以上のモノは出来上がらない」のは当たり前です。

なぜなら、それらの全ては「人為」だからです。

技術だけ残すというのは、性能の良い自動車があるけども、その自動車の性能を活かす運転を出来る人がいないようなものです。仮に偶然素晴らしい自動車が出来たとしても、誰もその自動車の能力を使い切るように乗りこなせなければ、その自動車の素晴らしさは現実的には誰にも分からないのです。

それと、伝統技術保存には、必ず「仕事量」と「その技術保存に必要な経済規模」が必要になります。

一定の規模を下回ると、一気に衰退します。

仕事量が減れば、職人の腕が落ちます。

仕事量が減れば、その業界の経済が回らなくなり、後進を育てる事も出来なくなります。その分野のプロが減ると、その伝統技術に使うプロ用の道具をつくる職人さんがいなくなり、高度な技術の保持がむづかしくなります。流通や販売の現場には分からないような、制作の場の末端から壊死して行きます。

そのような流れで、仕事が減り、その分野の経済が一定以下の水準に下落すると、昔と同じ水準で伝統技術を維持する事は出来なくなるわけです。

現代型に小さく回るように工夫しても、昔と同じにはなりません。

「保存会」のような団体をつくって技術を維持する場合がありますが、それは昔の高度なものとは違ってしまう事が多いようです。

技術面においても、昔と同じようには出来ないのです。

そういう面でも「制作側と受け止める人々の強い欲求」が無いと維持出来ないのですね。

制作者と、買い手の強い欲求があれば、市場は維持されます。

しかし、その欲求が薄れた時には、終わりは始まっています。その文化の賞味期限が来ているのです。

いろいろな面において、伝統工芸の技術やその存在意義について新しい解釈と再定義が必要な時期に来ていると私は思っております。

ただ伝統技術だからありがたがれ、という態度では保存出来ないでしょう。


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