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育児写真は下手なほど 5年後の私のために

こちら大阪
最近は夜になると雨が降る
とても気に入っている。

煮詰まってしまったので久しぶりに街に出ると
人が多くて驚いてしまう。
それぞれに人生があり、嬉しいことや悲しいことがあると
思うと、あまりの途方の無さに宇宙のような深海のような
怖さを感じる。

夏になると山や海に働きに行く友人からの便りが眩しい。
私がもし、自分で何にでも決められる瞬間が人生で少しでも
あれば、何をしていただろう。
世界を縮小できる時期を逃してしまったと思っていたが
今から冒険のような旅に出かけることもできるんだろうか。

娘の昔の写真を掘り起こしたら、沢山の人に見ていただけて
Xの通知が追えなくなっている。
あの頃はとても必死で、食事を摂る暇も無いほどで
風呂場に逃げ込んでよく泣いていた。
写真で見る我が家は「めちゃくちゃ」とは言えない程度の
散らかりで、とても平和で楽しそうだ。
写真を見るとその時の気持ちも思い出す、と言うが、
育児の混乱した日々の中の、束の間の昼寝の写真は
感情が結びつかず、ただ私の美しい人生の思い出になっている。
そんなに大変がらなくても良かったんじゃないか。
この程度で散らかってるなど思わず適当に端っこに寄せて
おやつでも食べたらよかったのでは。
今ならそう思えるのに。

「僕と再婚したからもう一度育児をすることになって、悪かったね」と、夫は酔うたびに私に謝る。
なんやねんそれは、など適当に流すが、
私が再び子供を育てることができたこと、
育児に混乱できたこと、
いま少し落ち着いたから分かることだが、とてもよかった。
何の才能も自信も無い私が、
精一杯生きた、力の限りを尽くした、と
分かりやすく感じられる出来事だった。

この写真を撮れたこと、
毎日適当にシャッターを押していたことが
何年も経ってから私を救ってくれるようで
信じられない。
上手い下手なんて関係なく
とにかく記録しておくことが大切なのだ。

私の父は写真が嫌いで、
私の子供の頃の写真は数える程しかない。
どこかにでかけた時に撮影したものや、
ポーズをとっているものが数枚残っているだけだ。
私がどんな顔でごはんを食べていたか
どんな時に泣いていたかが見つけることができれば
子供の頃の私を抱きしめに行けるのに。











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