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世界は優しい、を取り戻していく長女

小学校6年生の長女は吃音がある。

2歳半から出始めて、
言葉の出にくさに全身に力が入って
顔を真っ赤にして
自分の太ももを叩きながらやっと話すこともあった

私には、その小さな長女の様子が
苦しそうにかわいそうに見えていて
子どもを苦しめる要素を排除することが親の役目だと思う節のあった私は

だれのせいにもできない吃音を
ふと耳にした
「親が神経質に育てるとなりやすいし治りにくい」を
鵜呑みにして、長いことわたしのかかわりのせいで
長女を苦しめている、と思い込んでいた。

時には
話の途中で、話すことをあきらめることもあった。
わたしには、悲しい顔に見えた。

話の途中で、言葉が出ないもどかしさに当たり散らすこともあった。
わたしには、責められているように見えた。

吃音である娘を受け入れることは
わたしのせいでそうなったと認めることだった。

だから、一刻も早く”治してあげたい”って思っていた

けど、外側では、平気な振りをしてきたんだ。

長女が話し方で
からかわれるかもしれない
人前で恥ずかしい思いをするかもしれない
人目を気にして話さなくなるかもしれない
友達ができないかもしれない
自己紹介できないかもしれない
発表できないかもしれない
進学や就職の面接はどうしよう
恋愛は?
社会に出たらどうなるの?

思いつく限りの不安要素はいつもあって、
勝手に将来を悲観していた頃。

外側の私と内側の私がバラバラでとても不安定だった。
長女が自信なく不安そうな顔になるたび、
わたしの内側はかき乱されていた

それでも
【お母さんは弱音を吐かない生きもの】設定で
生きていたから
本当は生活に支障が出るほどに心配だと、夫にも親にも友達にも言えなかった。

あるとき、娘の言語相談で
市の職員さんに声をかけられて
初めて自分の話をした。
涙が止まらず、話も支離滅裂だったはず。

強がって生きてきたから
甘え方も分からなくて
初見の相談員さんのフラットなかかわりに
すごくホッとした。

「おかあさん、頑張ってきましたね。辛かったですよね。」
あぁ、そうなのかも。そうだよなぁ。
わたし、頑張ってきたよなぁ。
安心して止まらなくなった。

差し出してくれてる手はそれまでもたくさんあったはずだけど
ここまでひとりで抱えて、
もう限界だと悲鳴を上げるまで
わたしは人を頼れない人だった

と同時に

わたしはこんなに頑張っているんだから
あなたも頑張りなさい

と厳しさを強要していたので
夫婦仲も良くなかったし、吃音に関しては腫れ物をさわるようにしながらも、他の部分では子どもにきつく当たり散らしていた。

やさしい世界で生きていきたいと願いながら
優しさだけでは、甘やかしてはいけない、と
自分と身内に厳しい外面良子なわたしだった。

相談員さんとの面談から自分が限界だったことを自覚したら
少しずつ助けてって言えるようになった。

心配や不安を出して余白ができた分
人のやさしさに気づけるようになれた
ヘルプを出す勇気が出てきた

強がりの鎧がもう役に立たないことを知った
少しずつ子どもがかわいくなってきて
夫と話ができるようになってきた

結婚して10年経たあの頃
やっと家族になってきた。

吃音と娘を切り離すことも
吃音が親のせいではないことも
吃音があってもなくても長女は長女で十分なことも
わたしには想像が及ばない日常で、感度高く生活していることも
気づけることが才能であることも
痛みに敏感な分、人にやさしくできることも
オンオフを自分で調整しているところも

学んだり感じたりして今は
ぜんぶそのままで素晴らしいなぁと思えるようになった。

そんな長女は来年中学生になる。

昨日はことばの教室通級日。
通級できるのは小学生の間だけ。
月1回の通級を担当の先生と娘で中学に向けての準備にしようと年度初めに相談していたけど、残すところ今回を含めて4回。

自己紹介の内容も自分で考えていて
中学の先生へどう伝えようか、という話題で
「会って話したい」という長女!!

吃音であることを、隠そう隠そうとしていた時期もあった
スラスラ話すことに憧れて、泣いていることもある

担任の先生の話や長女の話で
今では発表の場面では
友達に「一緒に話して」と自分で頼んでいる、と
自分で工夫していると知ってジーーーンとしていたけど

”中学の先生に会ってみたい”
”自分のことばで話したい”

外で慎重に、控えめで過ごしているようだったけど
家だとおしゃべりでおもしろくてゆるゆるで好奇心旺盛。

そのラクに過ごしている長女のまま
「会ってみたい。話してみたい。」を外で言ってて
ジーーン

吃音バレたくない!
からかわれるのはもうイヤだ!
滑らかに話せない自分はイヤだ!

こう怒って泣いている姿を見てきた

吃音を空の上で選んできた、と話していることもあったし
分かっているけど、もう嫌だって言うこともあった。

昨日は
吃音のある自分を隠そうとしてきた長女ではなかった。

『どんな自分でも大丈夫』
世界は優しいんだ。

通級での先生とのやり取りをしている長女の背中が
言っている。

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