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吃音と新学期

「っおっ…おお母さんは吃音じゃないから
 わたしの気持ちなんか分かんないよ!」

新学期が始まりました。
長いお休みが終わる頃には
安定の不安定


今回は、ハッキリと
「お母さんには分かんないよ!」


あぁ、よかった。
モヤモヤをぶつけてくれた。

下の子が生まれてから特に余裕のなかったわたしは、長女に1人でなんでもやってよ!て自立を急かしたり、高圧的にいうことを聞かせようとしていた。そんなわたしに怯えて、吃音がひどくなったんじゃないかって、本気で思ってた。

不安の強い環境で育つと治りにくい、とか聞くと、あー、わたしのせいだって思ってた。

吃音のある娘を、かわいそう、治してあげたいと思っていたよ。


言語訓練をしているクリニックに通ったり
発達相談にも通った
この子は治るんだろうか。
治らなかったら、きっと辛い思いをする。
不安でいっぱいだった。

そんな一生懸命なお母さんのわたしをみて、行政のひとが心配して相談を勧めてくれたりもした。

いっぱい心配した。

この子が辛い思いをしないようにって。

誰かに傷つけられないようにって。


不便だ。困るだろう。自己紹介でみんなの前でスラスラ話せないのはかわいそう。日直できるかな?失敗したら自信を失う。失敗させたくない。誰かにからかわれたらどうしよう。友達と話さなくなったらどうしよう。友達出来なかったらどうしよう。恋愛できるかな?
入試は?面接は?社会人になったら?


傷つく子どもを見たくなかったのはわたし。

あるとき
このままいつまでも
一緒にくっついて歩いて
「この子を傷つけないでください」
てやりたくない!


てなった。
もうやり切ったのと、
キリがないことと、いま幸せでないことに気づいた


吃音があってもなくても
幸せでいられるし

この子が生まれるときに選んできたものであるなら
無くそう、隠そう、みんな触れないで!じゃないよなぁって。


わたし、かわいそうって思われたくない。

かわいそうっていったい何なの?

吃音てかわいそうなの?かわいそうにしているの、わたしだ。


2歳半から吃音が出て今11歳。
いろいろ葛藤したけど、
かつては吃音の話題を腫れ物に触るようにしていたけど
いまは日常。吃音があってもなくても娘は大丈夫。


”お母さんには分からない”生き方ができるひと。
敏感に色々感じて日々疲れるよね。
よく寝るしぼんやりしてる。自分でバランスをとってるんだなぁ。
すごいなぁ。

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