「小学生最後の夏休み、俺はママになる」第1話(全7話)
<あらすじ>
俺・悟の、小学生最後の夏休みが始まった。
親友の慶太と正と、いつも通りの夏休みになると思っていたけど、大学生のいとこ・真里姉ちゃんがしばらくうちに来ることに。しかも未婚の母として、赤ちゃん連れで。
ところがその真里姉ちゃんが、赤ちゃんの涼太君を置いたまま、姿を消してしまった。
姉ちゃんと母さん、近所に住む大学生のシゲ兄ちゃん、慶太と正、さらに母さんと離婚した父さんにも手を借りて、俺は涼太君のママになると決めた。
真里姉ちゃんが戻るまでの間に、お母さんの大変さを少し理解した俺は、真里姉ちゃんのサポートをしながら夏休みを過ごすが、そこで事件が起こる。
そして夏休みの最終日へ。
セミが鳴いている。
「あっちい……。」
正(ただし)がボソッと言った。
「うん……。」
俺も。
「あっちい……あっちいよぉ……。」
「何度も言うなよ、正。余計暑くなる。」
慶太(けいた)がため息混じりに言った。
「あ~あ、俺、母ちゃんに何て言われるだろう。これ捨てたい。」
正がもらったばかりの通信簿をヒラヒラさせた。
俺も、正ほどではないけど、まあ似たような内容の通信簿だ。
「二学期は態度を改めてがんばりますって言えば?」
慶太が正に言う。慶太は胸はれる内容だから余裕だ。
「な~んか、俺がそれ言ってもなあ……説得力ないっつうか、うそでしょ。」
……うん、そりゃうそだな。正がこっちをちょっとにらんだ。
「悟(さとる)、お前今、うんうんってうなずいただろ?」
言われて俺は、改めてうんうんとうなずいてみせた。正がため息をついた。
「反論できないよ。……はあ、あっちい!」
明日から、小学生最後の夏休み。かと言ってたいしたイベントもなく、いつも通り正や慶太とバカやって過ごすことになると思う。
俺は二人と別れて我が家に到着。鍵をあけようとして、玄関脇の庭に面した、居間の窓が開いていることに気づいた。
!
まさか、泥棒?
俺はそっと開いた窓に近づいた。声が聞こえる。ゆっくり顔を近づけて部屋の中をのぞいた。
「きゃあっ!」
甲高い女の悲鳴につられて、おもわず俺まで。
「うひゃあっ!」
カーテンがザザッと開いて、そこに立っていたのは母さんだった。
「母さん?」
「悟?いやだ、驚かさないでよ、カーテン越しに誰かがのぞいているからびっくりしたわよ、もう!」
「俺だって、窓が開いているから泥棒かと思ったよ!母さん、なんでいるのさ?」
胸をなでおろすようにして、母さんは言った。
「ああ、うん、そうなのよ。今朝、兄さんから電話があってね、今日は仕事休んじゃったの。」
母さんの兄さん、つまり俺の伯父さん。
「なにかあったの?」
「うん、まあとりあえず家に入りなさいよ。」
「え?ああ、うん。」
俺は玄関にまわって家に入った。
俺の両親は、二年前に離婚した。父さんは、会社の近くにマンションを借りて引っ越して、それからは、母さんと中学三年の姉ちゃん・加奈子(かなこ)と三人暮らしだ。母さんは、離婚する前から働いていた。レストランの女店長をしている。けっこう忙しい人だ。母さんが仕事を休むなんて、あまりないことだから、たぶんちょっとやっかいなことになっているのかもしれない。
「真里(まり)ちゃんなんだけどね。」
部屋にかばんを置いて来た俺に、母さんが話し出した。
「お母さんになったのよ。」
「真里姉ちゃんが?いつ結婚してたの?」
しばらく会わない間に、いったいいつ?
真里姉ちゃんは、伯父さんの一人娘、今二十一歳のいとこ。もっと小さい頃はよく遊んでもらったけど、俺が小学生になって少しした頃、真里姉ちゃんのお母さんが亡くなってからは、会う機会が少なくなっていた。
「ただいまぁ!母さんいるの?」
玄関から姉ちゃんの声がした。
「こんにちは!おじゃまします!」
続けてシゲ兄ちゃんの声。
「あら、シゲちゃん?早いのね。お昼は食べたの?」
母さんが玄関の方へ声をかけると、姉ちゃんとシゲ兄ちゃんが居間に顔を出した。
「いや、実は今朝寝坊して、ついさっき朝飯食べたばかりで。」
へへっとシゲ兄ちゃんが笑った。
「外見たら、ちょうど学校から帰って来た加奈ちゃんが、うちの前を通るところだったんで、呼び止めて一緒に来ました。」
「ぐうたら生活してるのねぇ。就職活動の準備はどうなの?」
母さんに言われて、シゲ兄ちゃんが鼻の頭をかいた。
「しなきゃいけないとわかってるんですけど、どうも気が乗らなくて。」
「もう……そんなんじゃ、やす子の手前、シゲちゃんに加奈子の家庭教師を頼みにくいわ。」
「いやいや、バイトしなきゃ財布スッカラカンですから。おふくろにももうこづかいもらえないし。」
「うちはありがたいけど、就職活動優先で家庭教師お願いね。」
「はい!」
シゲ兄ちゃんがシシッと笑った。それを見て、隣で姉ちゃんがクスッと笑った。
シゲ兄ちゃんは、近所の和菓子屋さんの息子で、大学三年生。そうか、真里姉ちゃんと同級生になるのか。シゲ兄ちゃんのお母さんのやす子さんと、うちの母さんは友達だ。中学三年生で高校受験をひかえた姉ちゃんの、家庭教師をお願いしている。この夏休みの間は、都合がつく限りうちに来てもらえることになった。俺にとっても、いろいろ話せるいい兄ちゃんだ。
「でも、ちょうどよかったわ。シゲちゃんにも話しておいた方がいいと思ってたから。これから毎日のようにうちに来てくれるようになると、そのたび顔を合わせるだろうから。」
そういう母さんの顔を見て、
「なんのこと?」
と姉ちゃんが言った。
「うん、加奈子も聞いてね。しばらくうちに、加奈子と悟のいとこの真里ちゃんって子が来ることになったの。」
「真里姉ちゃん?ひさしぶりね!」
びっくりしながらうれしそうな姉ちゃん。
「え?来るの?」
俺はさっきの話の続きも気になってたから、余計びっくりだ。
「うん、それでね、真里ちゃん、赤ちゃんが生まれたのよ。」
「ええっ?いつ結婚したの?」
姉ちゃんが俺と同じことを聞いている。母さんはちょっと困ったような顔をした。
「それがねえ、真里ちゃん、結婚はしてないのよ。」
「未婚の母ですか。」
シゲ兄ちゃんが腕組みして言った。
「まあ、そういうことね。」
母さんがうなずく。
そういうことってどういうこと?俺にはわからない。姉ちゃんも、とまどったような顔をしている。
「真里ちゃん、本当なら今、シゲちゃんと同じ大学三年生なんだけどね、子供が生まれて休学してるんだって。赤ちゃんのパパは同じ大学の同級生らしいんだけど、お腹に赤ちゃんがいるってわかった時、パパになりたくないって言ったんだって。でも真里ちゃん、ひとりでも育てるって言って産んだらしいわ。」
なんだかドキドキしてきた。真里姉ちゃん……。
「伯父さんはなんて?」
姉ちゃんが言った。
「兄さんは、ほら、出張とか単身赴任とかそんなのばっかりの人でしょ?姉さんが亡くなってからは、家政婦さん雇ってるんだけど、真里ちゃん、ずうっと赤ちゃんのこと誰にも言えなくて、家政婦さんも始めは気づかなくて、気づいたときにはもうお腹の赤ちゃん、だいぶ大きくなってたみたいなの。」
シゲ兄ちゃんが、まじめな顔で何か考えながら聞いている。
「家政婦さんから聞いて、兄さん、家に飛んで帰って、真里ちゃんと大ゲンカしたみたいよ。でも真里ちゃんは産むって決めててどうにもならなくて、結局産んだらしい。」
姉ちゃんがちょっと考えてから言った。
「でも、真里姉ちゃんひとりで育てられるの?」
母さんがため息をついた。
「大ゲンカしたってやっぱり、兄さんが娘を見捨てたりはしないし、兄さんがなんとかするんでしょうけど、今もまた出張で家にいられないんだって。それでしばらく力になってくれないかって、今朝私に電話してきたのよ。」
母さんがまた困った顔をした。
「でもねえ、私も家にいる時間が短いから、そんなに手伝ってやれないしなあって、ちょっと困ってたのよね。でもまったくいない兄さんよりはいいし、私は先輩ママでもあるし、真里ちゃんはかわいい姪っ子だから断れないよ。」
そして母さんは、俺と姉ちゃんを見た。
「それでね、あなた達にも助けてもらおうと思って。」
「俺?」
「どうやって?」
何をどう助けるんだ?
「うん、真里ちゃんが手を借りたがってる時に、ちょっと手伝ってあげてもらえないかな?」
それってどんな時で、どんなことだろう?ちょっとためらう俺をよそに、
「私でできることならするよ。」
と姉ちゃんが言った。それで俺もあわてて、
「あ、うん。」
とだけ言った。
母さんはうなずくと、シゲ兄ちゃんを見て言った。
「そういうわけだからシゲちゃん、悪いけど、もしできる時はシゲちゃんも助けてやってね。やす子にも話しておくから。」
シゲ兄ちゃんは、ずっとしていた腕組みをほどいて、
「わかりました。」
と言った。
「それで、その真里さんは、いつここに?」
シゲ兄ちゃんに聞かれて、母さんが答えた。
「明日。」
あした!?
「明日も私、なんとか仕事休めるようにする。とにかく今日は、真里ちゃんと赤ちゃんを迎える支度をしないと。あ、その前にお昼ご飯ね!お腹すいたでしょ。シゲちゃんも食べていって。」
そういって台所に向かいかけた母さんが、あ、そうそう、と振り返った。
「ねえ、通信簿どうだった?」
……慶太が正にアドバイスしてた反省の言葉、どう言うんだったっけ?
「悟君?ひさしぶり。元気だった?」
聞き覚えのあるようなないような、どこか遠くではね返ってきた音みたいに力のない声が、受話器から聞こえる。
「うん。俺は元気。」
「そう、よかった。……叔母さんから聞いているかもしれないけど、私しばらく悟君の家でお世話になることになって。」
「うん、聞いている。」
「突然ごめんなさい。しかも子連れで……申し訳ないけど。」
言いにくそうに真里姉ちゃんが言った。
「うん、大丈夫。」
「ありがとう。今駅に着いたから、タクシー拾ってそちらに向かいます。」
「わかった、気をつけてね。」
「うん。叔母さんによろしく伝えてください。」
「はい。」
受話器を置いた俺に、母さんが聞いた。
「真里ちゃん?駅だって?」
「うん、タクシーで来るって。」
「じゃあもうすぐね。」
母さんはいつもより早起きをしていたみたいだ。
俺が目を覚ますと、洗濯も掃除も何もかも済んでいて、朝食もテーブルに用意されていた。
「自分でレンジして食べてね!」
母さんは、起きてきた俺にそう言うと、バタバタと部屋の中を行ったり来たりして、探し物やら片づけやらしていた。
「懐かしいものがいっぱいよ、客間。私達が小さい時にあったものが出てる。悟は覚えてないかもしれないけど。」
俺より先に起きていた姉ちゃんが言った。
「手伝うって言っても、何していいかわからないのよね。」
「姉ちゃんもか。俺も。」
とりあえず、姉ちゃんと俺は朝食を食べて、食器を片付けた。
真里姉ちゃんからの電話は、ちょうど食器を洗い終わった頃にかかってきたのだった。
玄関のチャイムが鳴った。
「はーい。」
姉ちゃんが玄関に出る。
「加奈ちゃん!ごぶさたしてます。お世話になります。」
真里姉ちゃんの声がした。俺はおそるおそる玄関に顔を出した。
……ああ、真里姉ちゃんだ。
実はひさしぶりに会うので、なんだかちょっと緊張していた。しかも赤ちゃんだろ?真里姉ちゃんに抱かれている。
「わあ、小さい!寝てるのね。疲れたでしょうね、赤ちゃんも。ねえ、涼太(りょうた)君。」
そう、赤ちゃんは涼太君というそうだ。姉ちゃんが赤ちゃんをのぞきこむ。
真里姉ちゃんが俺に気づいた。
「悟君!お世話になります。」
「え?ああ、はい!こちらこそ。」
俺はちょっとあわてた。
後ろでパタパタとスリッパの音がして、母さんがやってきた。
「いらっしゃい、真理ちゃん。駅まで行けなくてごめんね。」
「とんでもない。叔母さんもお忙しいのに、本当に勝手なお願いですみません。」
「まあ、そういう話は後にして、あがりなさいよ。ねえ、涼太君。」
母さんが赤ちゃんを笑顔でのぞきこむ。
「私、荷物持つの手伝う。」
姉ちゃんが言うのを聞いて、俺もあわてて荷物を持った。
「あ、俺も!部屋まで持って行くよ。」
荷物の大半は宅配便で送ったらしく、すぐに必要なものだけ持って来たと聞いたのだけど、それでもすごい量の荷物だった。赤ちゃんを連れていると、荷物ってこんなに多いんだ。赤ちゃん抱くだけでも大変なのに、これはきつそうだな。
「すごい荷物だね。何が入ってるの?」
真里姉ちゃんは、ふふっと笑いながら、
「うん、赤ちゃんのおむつとか着替えとかタオルとか。湯冷ましの入った水筒もあるし、なんだかんだと増えちゃって。だいぶ整理して少なめにしたつもりだったんだけど。」
と答えた。
それを聞いて母さんが言った。
「うちにあるもので使えそうなのは出しておいたんだけど、他にいるものがあったら言ってね。」
「ありがとうございます。」
姉ちゃんが手招きした。
「真里姉ちゃん、こっちの部屋よ。涼太君の布団、敷いておいた方がいいかな?」
真里姉ちゃんは、赤ちゃんの寝顔を見ると、
「そうね、まだ寝てるし、布団に寝かせてもらおうかな。」
と言った。
「わかった。じゃあこっちに来て。私敷くから。」
「ありがとう。」
俺も、真里姉ちゃんの後から荷物を持って客間に向かった。
赤ちゃんを寝かせて、荷物を客間に運ぶと、母さんが居間でお茶にしようと言った。
「疲れたでしょう?今、真里ちゃんが持って来てくれたお土産のお菓子も出すわね。」
母さんがいれてくれた紅茶から、いいにおいの湯気が立ちのぼる。
「何から何まですみません。子供のことも……叔母さんにご報告が遅れて、しかもこんなふうにお世話になることになってしまって、本当に申し訳ありません。」
真里姉ちゃんが、小さく小さくなってしまったみたいに見えた。
「いいのよもう、そういうのは兄さんからさんざん言われているから。」
母さんが笑って言った。そして、優しい目で真里姉ちゃんを見ると、
「真里ちゃんも、つらかったわね。ひとりでよくがんばったと思うよ。」
と言った。
真里姉ちゃんは。
一瞬はっとした顔をして、そして急に顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
俺は何も言えなかった。たぶん、何も言わなくてよかったんだと思う。
姉ちゃんも、黙って、真里姉ちゃんと、真里姉ちゃんの背中をさする母さんを見ていた。
母さんが時計を見て真里姉ちゃんに言った。
「涼太君、起きないわね。真里ちゃん、母乳だけ?」
真里姉ちゃんは、お茶の後のテーブルを片付けるのを手伝いながら、
「はい、母乳だけです。」
と答えた。
母乳。
一瞬、俺の頭の中に、真里姉ちゃんのおっぱいが浮かんだ。もちろん想像だけど。
で、次の瞬間、あわててその想像にひたりかけた自分を引き戻した。
やばいやばい、俺、半分口あいてたよ。
「母乳だけでこれだけ寝てるなら、真理ちゃんのおっぱい、けっこうたくさん出てるのかもね。」
と母さんが言った。
「いえ、いつもなら二時間くらいで起きるんです。たぶん、涼太も疲れてるんだと思います。」
と真里姉ちゃんが答えたが、俺には意味がわからなかった。
「二時間で起きるってどういうこと?」
俺が聞くと、母さんが答えた。
「赤ちゃんって始めのうちは、寝てるか、おっぱい飲んでるか、泣いてるか、それのどれかなんだよね。
粉ミルクだと、きちんと量を測って作って飲ませるし、腹持ちもいいから、長い時間お腹は満足してて寝てくれるの。でも母乳だと、いったいどれだけ飲んだかよくわからないし、飲むのに力もいるから、たいして飲んでなくても疲れて寝ちゃうのね。そうするとすぐお腹がすいて、あまり長い時間寝られずに泣いて起きるわけ。」
ふんふん、それなら。
「じゃあ粉ミルクのほうがいいの?」
俺が聞くと、母さんが。
「まあ、それの方が、赤ちゃんはぐっすり寝てくれて、ママは楽だし、赤ちゃんも満足できていいかもね。でも母乳を飲むと、ママの持ってる病気に負けない力が赤ちゃんの体に入って、病気になりにくくなるし、一生懸命力を入れて飲まないと母乳は出ないから、顎が鍛えられるって言うし、ママとのスキンシップにもなるのよ。ママも、おっぱいを吸われる刺激でお腹が大きかった自分から、もとの体に戻りやすくなるしね。ママとしての自覚も出るし。」
「ふーん。いろいろいいことあるんだね。」
「でも、がんばっても母乳が出ないママもいるからね。最近の粉ミルクはいいのが出てるし、哺乳瓶でも、しっかりだっこして赤ちゃんの目を見ながらあげたら、りっぱにスキンシップになるし、無理し過ぎないのがママにとっても、赤ちゃんにとってもいいんだろうね。」
そして母さんは俺を見ると、にやっと笑って言った。
「悟は母乳だけだったのよ。あんたは母さんのおっぱい飲んで育ったの。」
なんだかちょっと照れくさい。
「私も?」
一緒に聞いていた姉ちゃんが言った。
母さんは、
「加奈子の時はね、母乳があんまり出なくてね、母乳と粉ミルクと両方だった。」
と答えると、ちょっと考えて、
「私も初めての子育てで、わからないことだらけでうまくいかなくて、ストレス感じてたんだろうね。」
と言った。
「ストレスが関係するの?」
「うん、ストレスで母乳って出なくなるんだよね。」
姉ちゃんは、へえ、というような顔で、
「いろいろあるんだねえ。」
と言った。
母さんはまた真里姉ちゃんを見ると、
「母乳だけなら、夜も何度も起きて大変ね。」
と言った。
「夜?」
俺は意味がわからなかった。
こんどは真里姉ちゃんが答えてくれた。
「赤ちゃんは、昼も夜もないの。お腹がすけば泣いて欲しがるの。おしっこもうんちも回数多いしね。涼太は、夜中もだいたい二時間おきに泣いて起きるの。」
夜中も二時間おき?
「え?じゃあ真里姉ちゃんそのたび起きてるってこと?」
真里姉ちゃんは笑った。
「そうよ、そのたびおむつ替えたりおっぱいあげたりするの。」
「真里姉ちゃん、眠れないじゃん!」
俺の言葉に、真里姉ちゃんと母さんが顔を見合わせて笑った。
「お母さん達はね、みんなそうやって、眠いのをこらえて我が子を育てるのよ。」
母さんが言った。
すると真里姉ちゃんが、
「それに関しては、母乳だと短時間で起きるから大変だけど、粉ミルクだと、そのたび消毒した哺乳瓶に湯冷まし入れて、粉ミルク溶かしてって作る手間が大変ですよね。」
と言った。
「哺乳瓶って消毒するの?」
姉ちゃんが聞いた。
「うん、生まれてしばらくは細菌に対する抵抗力が弱いから、消毒するの。お風呂も、赤ちゃん用の湯船を使うしね。」
真里姉ちゃんが答えた。
大変そうだなあ。
母さんがいない間、本当に大丈夫かな?俺、役に立てるんだろうか?
玄関のチャイムが鳴った。
「はーい!」
姉ちゃんが玄関に出る。
「こんにちは!お邪魔します!」
シゲ兄ちゃんの声だ。
「シゲちゃん、いらっしゃい!昨日話した真里ちゃん来てるわ。紹介するね。」
母さんが言った。シゲ兄ちゃんが居間に入ってきた。
「はじめまして。真里です。よろしくお願いします。」
真里姉ちゃんの方からあいさつした。
でも。
シゲ兄ちゃんはしばらく黙ったまま、ぼーっと真里姉ちゃんを見ていた。
そうなんだ。
真里姉ちゃんは美人なんだ。
初めて会ったら、ちょっと見とれてしまう男が多いと思う。
「シゲ兄ちゃん!」
姉ちゃんが、ちょっとおもしろくなさそうに、シゲ兄ちゃんを横からつついた。
「え?わっ、すみません!柿沼重人(かきぬましげひと)です。加奈ちゃんの家庭教師させてもらってます!」
シゲ兄ちゃんが、見てる方が恥ずかしくなるくらいうろたえている。
あ~あ、シゲ兄ちゃん、かっこわる~。
まあでも、男として気持ちはわかるよ。
真里姉ちゃんはきょとんとしている。真里姉ちゃんには、自分が美人だと言う自覚は、あんまりないらしい。その真里姉ちゃんの様子が、俺の姉ちゃんを更に不愉快にさせているように俺には見えた。姉ちゃんも悪くないんだけどね。でも真里姉ちゃんには遠くおよばないよ。真里姉ちゃんの方がはるかにイイ女だ。残念!
そんなやりとりの間に、赤ちゃんの鳴き声が。
「あ、涼太が起きたみたい。ちょっと行ってきます。」
真里姉ちゃんが客間に向かった。
「私も見たい!」
母さんがうれしそうについて行った。
真里姉ちゃんと母さんがいなくなったところで、シゲ兄ちゃんが興奮気味に言った。
「おいおい、聞いてないよ!すっげー美人じゃん!」
姉ちゃんの顔がけわしい。
「俺と同い年で美人で、でも……もうママかあ。もったいないな。」
それを聞いて、姉ちゃんが更にけわしい顔になった。
「なによそれ!ママになったらおしまいみたいな言い方。」
シゲ兄ちゃんがあわてて言った。
「いやいや、そういうつもりじゃなかったんだけどさ。まだまだ遊べただろうに、子供がいたんじゃ遊べないよなって思ってさ。」
姉ちゃんはムスッとしている。
シゲ兄ちゃんはちょっときまり悪そうに鼻の頭をかいて言った。
「けど、赤ちゃんの父親は、今どうしてるんだろうな。」
「俺達もくわしくは聞いてないよ。」
俺が答えると、シゲ兄ちゃんが腕組みした。
「そっか。あんなきれいな彼女ひとりにするなんてな。」
けわしい顔のまま、姉ちゃんが言った。
「きれいかどうかより、その人にとって、真里姉ちゃんのことがどれだけ大切だったかってことでしょ。本当に大事に思うなら、ひとりになんてしないと思うな。」
姉ちゃんが客間の方を見つめた。
「真里姉ちゃんがかわいそう。」
シゲ兄ちゃんも客間の方を見た。
「確かにさ。」
シゲ兄ちゃんが言った。
「その彼は無責任だと思う。彼女ひとりに押し付けて自分は逃げたわけだから。でもな、俺、なんとなく彼の気持ちもわからないではないんだよな。まだ学生で、収入もないのに父親なんて、どうすればいいかわからないし、妻子を養っていく自信なんてないもんな。」
それを聞いて姉ちゃんがしかめっ面で言った。
「それなら真里姉ちゃんだって同じ学生でしょ!二人の子なら二人で責任取るべきだよ。そんなこと言うなら学生でそういう付き合い方しなきゃよかったんだよ!」
姉ちゃんはムスッとしていたが、俺にはなんて言っていいかよくわからない。
シゲ兄ちゃんはそんな姉ちゃんと俺を見比べて、笑って言った。
「ま、なんにせよ、俺達ができることは協力しようってことだな。」
それを聞いて、姉ちゃんが言った。
「私、ちょっと見てくる。」
客間に向かいかけて、姉ちゃんが振り返った。
「男子はまだだめよ。もしかしたら、赤ちゃんにおっぱいあげてるところかもしれないし。」
おっぱい……あ、やばいやばい、空想タイムに入るな、俺!
「かわいいわねえ、赤ちゃんって!育ててる最中の真里ちゃんは大変だろうけど。」
母さんが、満足気に居間に戻ってきた。
「加奈子も悟も、あんなに小さかったのにねえ。大きくなったもんだ!」
そう言いながら、母さんが俺の肩をバンバンとたたいた。
母さんの後から、姉ちゃんと真里姉ちゃんももどってきた。真里姉ちゃんは赤ちゃんを抱いている。見ると、小さな顔の小さな目がゆっくり動いて、周りの様子をうかがっているようだった。
真里姉ちゃんが、俺とシゲ兄ちゃんに赤ちゃんを見せた。
「涼太です。よろしくお願いします。」
赤ちゃんが、俺を見たような気がした。本当に小さいんだ……。ぎゅっとにぎられたその小さな手を見ていたら、なんとも言えない不思議な気持ちになってきた。
小さな赤ちゃん……小さな命。
「ねえ。」
俺は真里姉ちゃんを見て言った。ちょっと声がかすれてしまった。
「なに?」
真里姉ちゃんが微笑む。
「赤ちゃん……ちょっとさわってもいい?」
真里姉ちゃんがうれしそうに笑った。
「うん。」
俺がおそるおそる赤ちゃんに手をのばしかけた途端。
「悟!涼太君を汚い手でさわっちゃだめよ!洗って洗って!」
……はい、母さん。
↓第2話
第3話:https://note.com/yukiejimusho/n/n7d8c3e84eee0
第4話:https://note.com/yukiejimusho/n/n74b635348eb0
第5話:https://note.com/yukiejimusho/n/n1621ea19e8e0
第6話:https://note.com/yukiejimusho/n/n3a3d09c5e5ad
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