イラン・イスラエル戦争は秒読みか?

先月30、31日と立て続けに、イスラエルが、ハマス最高幹部イスマイル・ハニヤ氏、ヒズボラ最高幹部フアド・シュクル氏を暗殺しました。(正式には、イスラエルは犯行声明を出していませんが、否定もしていません。)前者の場合に至っては、ペゼシュキアン大統領就任式に出席から数時間後、イランの首都テヘランでの出来事でした。いずれのグループも、親イラン勢力です。殊に首都テヘランでの賓客暗殺ですから、面目丸つぶれであり、イランが激怒したことは想像に難くないでしょう。

ここで、怒りに任せてイスラエルに宣戦布告するのは簡単ですが、そうなれば中東大戦争に発展しかねない事態です。欧米政府も一斉にイランへ自重を促す声明を出しました。

確かに、イラン最高宗教指導者、ハーメイニ師は、イスラエルへ直接攻撃すべしと教令を出しました。しかし、まだ軍事的な動きはありません。掛け声倒れで、本当に幕を引くのでしょうか?

用意周到なイラン
まずイランが行ったことは、イスラエル以外の中東諸国との公開・非公開での意見交換でしょう。*(この時期、ヨルダン外務大臣によるイラン訪問が報道されています。)以前イラン革命後、「革命の輸出」を単独で試みることで、近隣中東諸国を警戒させ、イラン・イラク戦争にまで発展したことへの反省でしょうか。(「イラン革命の輸出」政策により、近隣中東諸国(全てスンニ派が主流)の中で従来少数派として二等市民扱いされていたシーア派が勢いづき、イランとの連携や社会的地位向上に向けて運動したため、スンニ派政府を警戒させ、サウジアラビアを中心に湾岸協力機構(GCC)が結成される等の動きを誘発しました)

ことを起こす前に、冷静に近隣諸国の意見を聞く姿勢は評価すべきでしょう。恐らく本格的な地域戦争を望まないと言われたでしょうが、イランの屈辱を考慮すれば、全く何もしないという選択肢もあまりないため、イランが動くとすればどこまでが許容範囲とみなすか、等話し合ったことでしょう。

もちろん、新大統領が誕生したばかりで、外務大臣も空席の状態**ですので、対応にしばらく時間がかかるという口実は有効です。ですが、大統領より強い国家権限を持つハーメイニ最高宗教指導者は健在ですから、なぜ即応せず、「敢えて」間を取る行為をしているのでしょう?それは、イランが望まない状況に追い込まれたからです。以下の要因が考えられます。

1)イラン経済再建が最重要課題
先般のイラン大統領選挙で、欧米との関係向上を通じ、経済制裁を緩和・解除させ、イラン経済を再浮上させることを訴えたペゼシュキアン大統領が当選したばかりです。そこへいきなり冷水を浴びせられる形で、対欧米関係を緊張させられる事件が勃発したのです。下手を打てば、選挙公約の実現が遠のきます。

2)長引くウクライナ戦争
自国経済状況も心配なのですが、いざとなれば世界第二位の産油国ですから、高止まりの原油価格のご時世、戦費調達自体は不可能ではありません。(同じBRICS+加盟国の中国やインドが喜んで輸入しますから)しかし、まともな国軍の武器調達となると、少し話が違います。欧米から経済制裁を受けていますから、欧米製の武器輸入もかないません。そのため、イランはロシアから兵器類を調達しています。

ところが、現在ウクライナ戦争継続中につき、ロシア自体が武器弾薬を消費中で、イランにどこまで回せるか不明です。ならば、中国等他国から輸入すればと考えがちですが、そうは簡単にいきません。兵器システムというものは、企業でいえば基幹システム(ERP)と同じで、周辺システム・部品も汎用性がないため、販売先から購入せざるを得ません。ですから、簡単に乗鞍できない仕組みになっています。

そのため、短期戦ならまだしも、長期戦は避けたいところです。

3)大義名分はイランにあることをアピールする必要性
従来からアメリカを中心に、欧米諸国が国際世論をリードしてきました。しかし、その衰退が見られる中、中ロやBRICS+の言動がようやく世界の注目を得るようになった状態です。

ですので、イラン側の論理を世界に知らしめ、欧米イスラエル側の論理がいかに無茶で、理不尽かを世界に印象付け、少しでも国際世論をイランに有利にするためには、よくよく出口戦略を見据えた上で、行動しなければなりません。

そのように考えれば、「平和の祭典」オリンピックで世界が盛り上がっている時期に、イランが戦争を仕掛けるのは、控えたいところです。(また、イランの言い分について声明を出しても、オリンピックの話題でかき消されてしまいます。)

4)ハマスの体制立て直しのための時間が必要
最高幹部暗殺から約1週間後の8月7日、ハマスは早々にヤヒヤ・シンワル氏を後継者に選出しました。この人物は、昨年10月7日のイスラエルへの攻撃・民間人誘拐事件の首謀者ですから、イスラエルに対するメッセージとしては、誘拐被害者の帰宅はおろか、停戦の見通しは相当暗いということになります。尤も、イスラエルが、10月7日事件の交渉窓口であった、穏健派のハニヤ氏を暗殺したのですから、交渉自体を実質不可能にしたのは、イスラエルであり、自業自得的な人事と言えます。

一方、イランにすれば、共闘相手がしっかり闘志を燃やし、戦う体制ができたことになります。またこの間、恐らくイランとの間で「報復」する際の役割分担について協議が行われているでしょう。

5)欧米の理不尽さを証明する
今年4月の場合と同様、欧米政府はイランに自重を求めます。しかし、暗殺事件を引き起こしたイスラエルへの非難声明もなく、引き続き武器をアメリカがイスラエルへ輸出している***のであれば、欧米政府の言い分は、虫が良すぎ、理不尽というものです。

イランが次の一手を打つ前に、欧米政府がイスラエルを一様に非難し、武器輸出を停止し、イスラエル軍によるガザ地区からの自主的撤収を強く求めることで、暴力の応酬を止めようというのならば、筋が通ります。イスラエル軍の自主的撤収によって誠意を示すことで、ハマスとの停戦協定交渉を軌道に乗せるというのなら、イランの自重への対価は充分にあります。

しかしこれでは、イスラエルはやりたい放題なのに、自重するイランが馬鹿を見ることになります。そこで、8月13日にイラン外務省は、欧米政府の要請は「政治的論理性に欠け、国際法の原則に反している」と反論しました。****ここで注目すべきは、イラン革命の精神(イスラエルの撲滅)をホメイニ師から引き継いだハーメイニ師の発言ではなく、ペゼシュキアン政権管轄内の外務省による声明であるということです。イラン内の開明派も、ハーメイニ師に同調した、すなわち挙国一致で報復の方向に向かうということです。

そして、イスラエルへ武器輸出する形で、火に油を注いでいると分かっているアメリカは、当然力技で、中東地域の米軍を急遽増強させています。*****また、米外交の奥の院と言われる米外交評議委員会のサイトでは、イラン・イスラエル間で戦争が起きるだろうという予測を、7月31日に早々と掲載しています。******

さて、具体的にいつ、どのような「報復」をイラン及びその配下の武力勢力が行うかは、不明です。しかし、非常に危険な状態であることは、認識しておくべきでしょう。「黙殺」は、イスラエルをさらに助長させ、さらなる挑発を誘発するリスクが高いからです。

ネタニヤフ首相は何が嬉しい?
こんな状態にした張本人、ネタニヤフ首相の狙いは何でしょうか?大勢の見方は、ネタニヤフ首相個人の延命措置と言います。戦時下に関わらず、既にネタニヤフ政権の支持率は32%と低く、政権を失えば汚職、詐欺等の嫌疑で3件の刑事裁判を控え、今回の戦争で国際司法裁判所へ逮捕状請求中の身です。*

ですので、この戦争が長引くほど、ネタニヤフ政権(首相)は延命できます。ハマスが10月7日事件の首謀者をリーダーに据えたので、ネタニヤフ首相は堂々と「こんな奴と話せない」と、アメリカが強要する停戦交渉を拒否できます。加えて、イランと全面戦争となれば、そう短期的に戦争は終わりません。

イスラエルの面汚しともいうべき、ネタニヤフ首相の醜態ですが、この動きを封じ込められなかったアメリカも、随分と侮られたものです。現職大統領が再選を断念したショックが強く残るワシントンに乗り込んだネタニヤフ首相の政治感覚は流石ですが。。。

* “Iran’s response to Israel looms. What are the possible scenarios?”, Al Jazeera, August 6, 2024. https://www.aljazeera.com/features/2024/8/6/irans-response-to-israel-looms-what-are-the-possible-scenarios
** 8月12日にペゼシュキアン大統領が外務大臣を指名し、議会承認に約1か月を要する予定です。“Iran’s president nominates former nuclear negotiator as foreign minister”, Financial Times, August 12, 2024. https://www.ft.com/content/b5c3b2d1-796f-40fb-b2c0-ead80c661dcd
*** 8月13日、アメリカ政府はイスラエルへ200億ドル相当の武器輸出を許可しました。“US State Department approves $20 billion potential weapons sales to Israel”, CNN, August 13, 2024. https://edition.cnn.com/2024/08/13/politics/us-military-sale-israel-20-billion-fighter-jets/index.html
**** “Iran dismisses European restraint calls as contradicting international law”, Al Jazeera, August 13, 2024. https://www.aljazeera.com/news/2024/8/13/iran-dismisses-european-restraint-calls-as-contradicting-international-law
***** “U.S. to send more warships, fighter jets to Middle East to bolster defenses”, Reuters, August 2, 2024. https://www.reuters.com/world/middle-east/pentagon-tells-israel-it-will-adjust-us-troops-middle-east-2024-08-02/
****** “Are Israel and Iran Headed for All-Out War?”, Steven A. Cook, Council of Foreign Affairs website, July 31, 2024. https://www.cfr.org/expert-brief/are-israel-and-iran-headed-all-out-war

吉川 由紀枝 ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ライシャワーセンターにて上級研究員をへて2011年1月より現職。また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。
著書:「現代国際政治の全体像が分かる!~世界史でゲームのルールを探る~」

定期購読はこちらからご登録ください。https://www.mag2.com/m/0001693665


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?