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「頑張る」という言葉について考えてみた

振り返ってみれば、私は長年、頑張る人でした。

子どもの頃から、頑張れば周りから褒められる。

どこか期待に応えようとする。

知らず知らずのうちに、頑張ることが美徳のようになっていました。

大学では、足が思うように動かないにも関わらず、踊りたくて、ダンス部に入部。

入部当時は、足が痛くなってもなんとか頑張って練習していたことで、先輩から「よく頑張るね」と言ってもらえました。

だんだん頑張れなくなってきたのは大学2年の後半。一時学校にも行けなくなり、人と会うのが怖くなってしまいました。

そうすると、頑張りを褒めてくれた人たちはがっかりし、私自身も「頑張れない自分はダメだ」と思うように。

結局、なんとか復活はしたものの、自分にダメ出しをする癖は、その後も長いこと抜けませんでしたね。

今から5年ほど前のこと。
「自分を労いましょう」と教わって、自分自身にかけた言葉は「よく頑張ったね」

あー、まだ頑張るが抜けきらないんだなあと思いました。

今だったら、なんて声をかけるかな…

労うというよりも「あらん、今日も可愛い」とか「好きだわ〜自分」とか言いそう(笑)

少なくとも「頑張ったね」は言わない。
ダメ出しは、もし癖が出そうになっても、意識して切り替えます。

どれだけ周りを敵に回しても、四面楚歌の状態になっても、自分だけは自分の味方になれるんですよね。しかも自分の意志だけで。

そのことに気づいてからは、自分のここは嫌いとかダメとか思わなくなりました。

だからといって、自分完璧!とも思ってないです。

苦手なことも結構あるし、めんどくさいと思うこともまあまあ多い。だって人間だもの。

そんな部分をダメと思うよりも、自分大好き、自分おもろい、あとは自分が喜ぶように行動はしているかな。

自分にだけは嘘がつけないですしね。

だから、今は無理もしないし頑張らない。

ただ、自分がこれ!と決めてやり始めたことは、全身全霊で楽しみながら取り組む。

やりたくてやってるから、頑張るという言葉はしっくりこないんですよね。

また、頑張らない=楽をすることでもありません。

今は楽しいけど、ぶっちゃけ楽ではないです。
むしろしんどい(笑)

それでも、やりたいからやる。
ただそれだけ。

私にとっての「頑張る」は、人の評価が絡む要素が強過ぎたので、

頑張るをやめた今は、肩肘張ることなく、ずっと自由で私らしくいられる気がします。


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