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耳を通って胸のうちへ

 ただの音じゃなかった。

 ◆ ◆ ◆
 さる木曜日、仕事終わりの夜に、僕は上司とサイゼリヤにいた。ピザをかじる上司とカルボナーラをすする僕。僕たちは、パソコンをそれぞれ立ちあげて、メールの画面を眺めていた。
「これでいいか」
 上司が僕にパソコンの画面を見せてくる。僕はうなずく。
「おれがメールを送ったあと、お前も自分のメールを送ってくれ」
「わかりました」と答える。にぎやかな店内の底に、重苦しい空気がただよう僕たちのテーブルだけが沈んでいた。
 メールの宛先はふたりとも同じで、会社の代表取締役だった。

 ◆ ◆ ◆
 代表取締役に、ベトナムに行くために辞めると挨拶をした数日後、僕の上司にメールが届いた。内容は、「現地採用で海外に勤めるリスクを彼は理解していない」というもので、日本の社会保険の優位性や現地採用の過酷な現状などがつらつらと長くつづられていた。
 僕と上司はあせり、僕は今さらながら向こうの待遇や日本で必要な手続きとそれらにまつわる懸念点を精査した。同じ大学で現地採用で働くひとたちと、ネットと、市役所が僕の先生となった。
 情報を整理しながら逐一上司と話し、ひとつずつ確実に飲み込んでいく。
 それらを文章にまとめて、そしてベトナムでの就職の意は揺るがないと結んだメールを、上司と僕は代表取締役に送ったのだ。

 ◆ ◆ ◆
 後日、上司は笑いながら言った。
「代表からのメールは、いい勉強の機会になったと思う」
 まちがいなかった。あの手厳しいメールがなければ、こうやって調べる時間はもしかしたらなかったかもしれない。そして、将来設計の重要性にもこの歳で気がつけなかったかもしれない。
 入社当初から、保険や貯蓄をもとに老後の生き方をずっと僕に問いただしていた上司だった。僕は、ずっと曖昧にうなずいて聞き流していた。だけれど、今回の件で、それらすべてが、右から左に流れるだけの音から、意味と発した者の体温が乗った「声」となった。

 ◆ ◆ ◆
 音なのか、声なのか。どう生きるのか。
 僕は、ずっとずっと考え続けなければいけない。

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