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音のない記憶

 もうなにも聞こえない。

◆ ◆ ◆
 有志の希望があって、会社として地域の駅伝大会に出ようと数か月前に決まり、もの好きが僕の会社にはいるんだなあとしみじみと感じた。僕は子供のころから長距離マラソンが嫌いだった。どうしてあんな苦しい思いをして足を動かし続けなければいけないのだろうか。
 今回の駅伝は5人選出されるということで、心のなかで出走者にエールを送っていたら、社内の駅伝グループチャットに僕がぶち込まれ、「お前も走れ」と言われた。僕の1歳下の女性先輩にあたる、顔が武士のようにしぶい通称もののふさんから言われたら、断ることができなかった。
 彼女は、心もしぶいところがあるので断るとこわかった。

◆ ◆ ◆
 ひとりが走る距離は3.5キロである。大学時代以降走ったことなどない僕は3.5キロがどんな距離なのかわからなかった。わからなかったけれど、なんとなくあっという間に走破できる気がしていた。
 大きな湖のふちをためしに走ってみる。駆け出してそうそうに呼吸が苦しくなり、息が大きく乱れ始める。もう1キロは走っただろうとアプリを確認すると、なんとまだ200メートルしか走っていなかった。
 僕には走破は無理だなと思った。

◆ ◆ ◆
 今日、その駅伝大会があった。朝早くに起きて目的地の大きな公園にたどりつくと、他の走るメンバーと合流した。
 なんだか特別感があり、僕の眠気もだんだんと覚めて、気がついたらメンバーとうきうきしながら写真を何枚も撮っていた。大きな湖から見た日の出がなんと美しいことだろうか。
 しかし、大会のスタートが刻々と近づくにつれて、緊張が高まっていった。僕が完走できなければ、メンバーみんなに迷惑がかかる。そのプレッシャーが静かに僕の背で重さを持ち始めていた。
 第1走者であるもののふさんがそろそろもどってくる。僕はスタートラインに立った。白い帽子をかぶったもののふさんが遠くに見える。だんだんとその姿は大きくなる。そして、僕の目の前に彼女は立った。
 たすきが僕につながった。

◆ ◆ ◆
 僕はランニングシューズを持っていない。駅伝のメンバーに選ばれたと同時に、足のサイズが同じという男性ベトナム人から黄色いシューズを借りた。このシューズで何度か練習はしたのだが、大会の土壇場で気がついた。
 これは、サッカー用のスパイクシューズであった。
 スパイクシューズでアスファルトの長距離を走るとどうなるか、みんなはご存知だろうか。足首にとんでもなく負担がかかり、めちゃくちゃ痛くなるのだ。
 今までの練習ではこんなにも痛くなったことはなかったのに、スタートラインを駆けだしてから数100メートル走ったところで、左の足首がかなり痛くなり始めた。昔に骨折したところだ。
 前を向くと、道がはるか先まで続いている。足の痛みは癒えることなく、ますばかりだ。呼吸が苦しくて、過呼吸になりそうだ。
 絶望が心を満たす。
 ここでギブアップしたら、チームメンバーはどんな顔をするだろうかと真剣に考える。許してはくれないだろうか。
 途中で歩きながら息を整えて、また走り始める。歩く時間のほうが長くなっていくが、それでもこまめに走る。周囲の音は、いつのまにか消えていた。
 しかし、ゴール地点に近づくと、ベトナム人たちの無作為の「がんばれ」が聞こえる。僕に向かっても声をかけてくれている。痛みが少しだけ引く。
 永遠に思える時間をへて、第3走者に僕はたすきをわたした。

◆ ◆ ◆
 走っている時間はあんなにも苦しんでいたのに、最後の走者とゴールの手前で全メンバーといっしょに走ったとき、悪くはないと思った。
 この感動は、とてもなつかしかった。
 不思議なことに、メンバーでゴールするとき僕は無邪気に吠えていたはずなのに、今ふり返る記憶は、ずっと無音なのである。
 なにかに満ちたとき、ひとの周囲から音は消えるのだろうか。

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