THE COACH プロコースをおえて
おわるとは、そしてはじまるとはどういうことか。
4月から受講していたTHE COACH Academyのプロコースが終わって6日目の今、おわるとは手放すことだと感じている。手放したあとも大切なものはわたしという存在とともに在ると信じられている。そうして軽くなった状態でもなお残る大切にしたい精神や衝動をはらに据えて、創りたい小さな一歩をふみだすことがはじまりではないだろうか。
さらっと手放すことだって容易だが、最後に丁寧にとどまってやりきることが大切な気がしている。プロコースの旅路をこのnoteを通して完了させ、手放すプロセスとしたい。
完了させるためにやや長丁場だが、お付き合いいただけるととてもうれしい。
ふり返れば、期待とは全く異なる旅路だった。
まっしろのなかから
プロコースの旅はきっと、申し込んだときから始まっていたように思う。
THE COACHのコーチングマインドに出会ってから、「自己の器」というものに魅かれていた。コーチングマインドの最も根幹に位置付けられている。
わたしが在りたい人間性は、少なからずプロコースまでいかないと得られないように感じて申し込んだ。今思えばこれは思考側の言い分で、ただ基礎コースで体感した好奇心による衝動的行動だった。
とはいえ、プロコースでは有償クライアント3名以上との継続セッションが課されている。開始前3月には表面的ではなく、それなりに思考も感情も納得のいく募集ができる自分でいたくて自己探究を進めていた。
自分のなかの違和感に向き合う過程は、ひとつひとつの気づきとの出会いにびっくりしとてもわくわくする気持ちと、そのバイアスによって浮き彫りになる固定観念とにもがいていた。
その結果、当時の等身大で募集noteをだすことができて、クライアントさんとのご縁もいただけた。ここまではなんとか予定通りで、なんだかんだ上り調子に感じられていた。
がらっと状態が変わったのはnote投稿の翌日以降だった。翌日はこころのなかが言語化できないなにかで大荒れだった。落ち着くのを待っていたら、凪になり、気づけばまっしろななかに立っていた。
ひと月以上とまどっていた。まっしろな、ゼロのような、はじめての感覚。コーチングもせっかく継続セッションがはじまるのによくわからない感覚に包まれていた。
そんな状態でぬるっとプロコースが始まってしまった。
明らめる、満ち足りる
とまどいのなかで、また異なるとまどいにも遭遇していた。
3月から5月まで、No Bordersさん主催の自分の中にARTをもてWSに参加していた。
自分の意志とは関係なく、自分というものは場に現れるのだということを実感し、良くも悪くも明らめるようなことを積み重ねていた。その結果、自分の中でないものにしていたものがあるんだと感じられた。
気づいたらこころがひらかれた状態でWSの場や仲間との境界線が溶け合って、全身で満ち足りる感覚を体感した。うれしいとまどいだった。
満ち足りたとき、詩として言葉がうまれるというよろこびも、わたしの表現が循環していくよろこびも知った。
在るんだから、そとのなにかと繋がるときは空っぽが良いな、なんてことも感じていた。こんなことを思えるなんて想像もしていなかった。
ギャップと焦りの思考ジャック
一方で、目の前の現実はなにひとつ変わっていないことに焦っていた。また、コーチとしての本質的な変容が起こっていないことにも焦っていた。
この焦る思考は、理想との差分を測る思考の癖でもある。そのおかげで成しえるものもあるが、ただ自分のことをまだ信じきれていないからこそ生じたのだろう。
プロコースでビジョンを改めてみてみると、満ち足りた体感が反映されたビジョンが現れる。しかし、そのビジョンをどうすれば創り出せるのかという思いよりも、満ち足りる体感をしたからこそ感じる現実とのギャップや半年感感覚に身をゆだねても現実はかわっていないじゃないかという思いが覆いかぶさっていた。
思考が、現状を解消するために「たくさんのやったほうがいいこと」を未完了としてつくりだすが、「確実性」を求めはじめて安易に動けない。そのうち行動が少なくなって、動けない原因をメンタルモデルの中に見出そうとするも内省できず、なにも進まない状態に自己嫌悪になっていた。
コーチとしても、プロコースで向き合う未完了リストそのものに向き合えないという未完了に嫌気がさしていた。
どんどんこころはとじていき、気づけば心身ともに疲れ果て、しんどさの沼にずっぽりとはまっていた。
ただ、一緒にながめる
しんどいということを、ぼそっと出す機会があった。同期のかなおさんが今ぐちゃぐちゃなんだよって自己開示してくれたおかげだ。同調したら同期のこちゃんが助け舟をくれた。
9期のみんなにお声がけしたら、多忙のなかありがたいことに4名も一緒にながめてくれた。
わたしがぐちゃぐちゃをだして、フィードバックをもらうということを繰り返した。フィードバックに対して質感が違うものには違うということを受け止めてもらえたことには感謝しかない。
わたしは終始泣いていて、会の終わりには身体もがちがちで汗もおどろくほどかいていた。たまたま会の直後に9期のトライポッドが入っていて、揺れる状態で一緒に時間を過ごさせてもらえたことも支えになった。
そうして落ち着いたら、ずいぶん呼吸がしやすくなっていて、なにも物事は動いていないけれど移り変わりを感じていた。
同期のみんながしんどいわたしを受け止めてくれたおかげで、自分自身でも受け止めることができたのだろう。とじていた私が、パートナーシップに気づき直した体験にもなった。
立ち止まる
焦らないよう、エネルギーが回復することにつとめた。
その期間中、気づいたことや受け取れたことがある。
・今の思考ではパターン化するということ
創り出したい状態に対して、解消バイアスがかかっては表面上解決できても再び同じ悩みが発生するという確信。なぜなら、わたしの解消思考では自ずと枠組みが発生して可能性が狭まるから。
・人生を創ることは0→1ではないということ
おそらく大学受験のときにはこの観念を握っていた。だから、どんな人生を創り出したいかと問われると、難解だなあと思っていたし逃避していた。でも、すでに私の人生はここまででも意思とは関係なく創られてきていることに気づいた。これまでの納得度に関わらず、0ではないということ、すでに持っていることに気づいて、心が軽くなった。
・こんな顔していたいんだった
プロコース中のワークで生まれたイラストに、はっとすると同時に安堵した。ああ、こんなスタンスで歩んでいきたいし、とても自然体だ。
みつめる
気づきを越えてわたしの内にあるものを見つめていたら、思考にも感情にも分離のない状態になってきた。いまでもわたしを信じられないわたしは顔をだすけれど、それにひっぱられることはない。さきえるさんに頂いた言葉をかりると双方の極に触れることができたからだとおもう。
プロコースに申し込んだわたしも、3月のわたしももっとぐんと先の想像できないところに立っていることを期待していた。実際は、このプロコース期間中、なにも現実はかわっていないし、コーチとしての実績も当初の理想とは程遠い。
でも、ただ聞いてもらうことも大した「願い」なのだということをひしひしと実感し直した。
そして、カラーもリズムもばらばらの同期のみんなが改めて教えてくれたことがある。ひとりひとりの自分というものは当たり前にその場に現れるということ。たしかに在るということ。そして、わたしの内側にもとみんなとの間にもパートナーシップが在るということ。
とじて、ひらいて、つながることで満ち足りるということを再び体感した。
この偶発的な気づきとの出会いと、場とみんなと自分の化学反応こそがわたしの大好きなものであり、衝動を生み出すものだと実感し直した。初めての気づきではない。だけど、用意された場ではなく、自らの行動が起点となって気づけたことは、思い出している今も涙が出てくるほどにかけがえのないもののように思えている。
ここまでの背景は、「社会構造」と「わたし」の分断からはじまっている気がしている。だからこそ、衝動を起点に社会構造や企業と個が混ざり合い、創造が循環する未来を創りたい。自分とつながることも、他者や組織とつながることも織り交ぜながら。そのために、はじまりを迎えよう。
さいごに、本noteは8月29日から9月9日にプロコース9期の仲間12人とつなぐ「ボン★ボヤ」マガジンのひとつです。わたしは2日目。それぞれのコース期間中の変容を振り返ります。
9期のご縁をいただけたことがとてもうれしい。この体験はひとりでは得られなかったし、越えられなかった。みんな本当にありがとう。
クライアントさんも本当に感謝しています。
探究心を軸に、今のあなたが大切にしたい想いやビジョンを協働探究するコーチングを行っています。イメージから広げるコーチングを得意としています。noteを読んでご興味を持たれた方はLINEもしくはtwitterのDMからお待ちしております。
プロコース直後の思いを声に出してみたラジオもあります。