わたしのこととロンドンとなにか


2013年から1年間、ちょうど20のときにロンドンにいました。
正直本当に最近までふらふらしちゃったな、もっと違う時間の過ごし方があったんじゃないかって後悔することも多かったのですが、いま考えると私の中で大きな変化があった一年でした。

私がいたロンドンは開発学(途上国支援)を学びに来てる日本人の友人が多くて、その子たちについていった勉強会であったりとか、街中にたくさん掲げられているNGOの広告や活動に触れるうちに、開発途上国についてやそこでの教育格差の存在を始めて、それまでよりすこし自分に近いところで認識しました。
それからなんとなく、子どもや子どもの教育に関わる部分に興味をもってロンドンの取組みを覗きに行くようになりました。私が住んでいたイーストロンドンはあんまり裕福な地域じゃなかったので、週末も親が働きに行っちゃうようなおうちの子供と週末遊ぶボランティアとか日本の文化を現地の小学校で授業をするボランティアに顔を出しました。

お気楽で特に勉強したいテーマもなくふらふらしていた私にとっては、
子どもの教育支援は、大学時代にほとんど初めて関心を持てたテーマでした。

もともとの性格的に上下関係とか、だれかの不利益の上にだれかの幸福とか利益があるのがずっと気持ち悪くて、
(私はなぜだかここへの違和感?反発心?嫌悪感?が昔から異様に強いです。みんな同じように貴重な人間という存在なのに、ちょっと長く生きてるとかちょっとお金持ってるとか肩書とかそういうものを振りかざしたて失礼な態度をとる人が本当に嫌です。もちろん人として合う合わないはあるけど、個々の人間性を尊重して、フラットにみんな同じように大切な存在であることを理解して、ほかの人と関わっていきたいとずっと思ってます。)

だから先生ー生徒の学校とか、先輩ー後輩の部活動とかが肌に合わなかったんですけど、
もっとフラットに、もちろん生まれ持ったカードはみんな違うけれど、せめてベーシックな機会くらい、だれにでも手に届くようになってほしいなってその時思いました。

ロンドンでそういうことに少しずつ触れて、帰ってきてから子どもの人権系のNGOでPRのインターンをさせてもらったり、子供の教育に関わることがしたくてキッザニアでアルバイトしました。
NGOの人たちは本当に尊敬できる人たちばかりで、人柄も能力も本当にすごいひとしかいなくて感銘を受けました。
一方で寄付に頼って支援をすることの限界も垣間見ました。その時本当に支援を必要としている支援先よりもスポンサーが望む支援先にしか資金を使えなかったり、限りある活動資金を援助に使うために内部の職員の人たちがぎりぎりの状態で働いていたり。

そのときに、本当に自分たちが必要と思う支援をするには、支援の原資となる資金も自分たちで生み出すことができないと、支援自体がサステナブルにならないと思いました。特に子供の教育支援のような現場は、すぐに成果がでる性質のものではないので長い目線での支援が必要で、ただその活動に必要な資金を他人からの援助に頼っていると、いつそれが途切れるかもわからなければ、ぎりぎりの状態で頑張っている職員のモチベーション(というより健康)がいつ失われるかもわからない。
他人に依存せず、自分たちのハッピーも保ちながら、長い目線で支援できるにはどうしたらいいのか。

そういう活動ができるようになるために思いつく手段は二つしかなくて、①有り余る富を使って、なんの制約もなく惜しみなく支援活動をする、②そもそも活動からお金を生み出しながら、そこで生まれたお金をまた活動に再投資していく、かなんじゃないかと。
もちろん有り余る富はないので、まずはお金を生み出す仕組みや構造を学んでから、誰かのためになったり誰かにとって本当に必要なことからお金を生み出して、またそれを誰かのために使えるようになりたいなと、思うようになりました。

子どもの教育や機会提供に関することに関心はあったけど、何が自分にできるのかわからなかったし、どうしたらいいかわからなかったので、
まずはお金の生み出し方を知れて、少しは途上国支援とも関りがある仕事と思い、総合商社に新卒で入りました。(こう書くと立派ですけど、別にミーハーな総合商社で働きたい!丸の内!的な気持ちももちろんありました。。。。)

そこから今まで、子どもの教育や機会提供に少しは役に立ちたいという想いと誰かのためになったり誰かにとって本当に必要なことからお金を生み出して、またそれを誰かのために使えるようになりたい、という想いは一貫して自分の中にあります。

ovgoはプラントベースのお店で環境問題が一番わかりやすい目的意識にあるけれど、私自身がプラントベースに関心を持ったのは、結局畜産が食糧問題につながっていたり、気候危機から生じる難民のひとがいたりと、元から関心のある人権分野につながっていることを理解したからなので。
機会提供や教育に関しては、発展途上国とかにまったく限らず、日ごろ身近なところでもどこでも大事だと思っています。だからこそうちのスタッフには年齢や未経験とか関係なく、関心があることややってみたいことをできる環境づくりをすることをがんばんなきゃって思ってやってます。

話がだいぶ戻って、ロンドンにいてよかったのは本当にアートやカルチャーとの距離が近い時間を過ごせたことが私にとって大きかったし、本当にいまの私の一部になりました。

やっぱりロンドンはカルチャーの先端だし、かっこいいものがたくさんあって、なによりミュージアムは無料だし公園やマーケットもたくさんあって、大好きなカフェやベーカリーも素敵な店がたくさん。
ほんとにいま、ovgoを始めたからこそ、そこで培ったものをようやく自分の中で感じたり認めることができ始めたなと思います。

ロンドンにいた20のころは、学びたいことがあってロンドンにいる人たちとかやりたいことがある人たちがキラキラして見えて、私には特に学校で学びたいことも頑張りたいこともみつからなくて、
好きなことだけはあったから毎日ひとりですきなことしてほとんどあそんでて(ひとりで)、
正直ひとりだから英語もそんな使わなくて上達しないし(かなしすぎる)、努力してる人の横でなんて怠惰な人間なんだって、帰ってきてからも貴重なロンドンにいた時間を無駄にしてしまったって、ずっと恥ずかしいし後悔してました。コンプレックスすぎて、一生懸命何か学びたいことがあって留学を頑張ってたような元カレと付き合ったり、逆に頑張ってる友だちがまぶしくてあんまり会いたくなくなっちゃったり。

毎日のように通ったvictoria parkの中のお気に入りのカフェやbethnal greenのベーカリー、ただなにをするでもなく座っていたtate modernのmark rothko roomやV&Aのカフェ、ただ目的もなくひたすら歩きまわったり、バスから眺めたロンドンの街並み

今思えばそんな贅沢な時間の過ごし方はなくて、確実に私の中にその場のなにかが刻まれていて、きっとそれがいまの仕事につながっていると感じます。
あのまま商社マンでいたら、きっとわたしはロンドンにいた自分の時間を一生認められなかったんじゃないかなと思います。

今の私がスキなことを、自分が必要と思うやりたいことにつなげられるようになったのは、ロンドンにいた時間のおかげです。

30の誕生日にはロンドンにいたい!
仕事とかいろんなこと考えず、スキなものとステキなものに囲まれにいくのが目標です!!


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