私は、自分で自分を洗脳し続けてきた
「私は素晴らしい存在だ」
「私ってなんてすごいんだろう!」
こんな言葉を、繰り返して生きてきた。
自信を持ちなさいと色んな人に言われてきたからだ。
小学生の時、野球をやっていても、高校生の時、自分の進路を伝える時も、大学生の時、躁うつ病が発覚してベッドの上で苦しんでいる時も、その言葉を唱え続けた。
けれどその言葉は私に、自信なんてくれなかった。与えてくれたのは、悪い意味でのプライドと周囲の期待に応えなくてはという、強迫観念。
想像に難くなく、プライドと強迫観念は私を蝕んでいた。
ある時、私は素直になった。なぜなら、同級生が社会に飛び立つ中、フリーターになることで、私はレールから飛び降り、自分の感情に向き合い、沿って生きる、という状況ができたからだ。
そこからは、自分への洗脳の言葉はなくなっていった。
「私はなんて素晴らしいんだろう」。
なんて言葉は実際は要らなかったのだ。
必要だったのは、「思ったままに体を動かせ」というシンプルなものだった。
自身の「あれがやりたい、これがやりたい」という欲求に蓋をせずに、自由に溢れさせることが重要だったのだ。
洗脳されていた私は、自分の人生を歩んでなどいなかった。
「自信を持たなければいけない」という他者の誘導に従って、他人の人生を生きていたに過ぎなかった。
ある種の洗脳が解けた私は、どう生きていくのだろうか。
もっと素直に生きていくのか。それとも違う洗脳を受けようとするのか。。
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