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カヤックで知床半島一周④いよいよ出発

実は昨日、知床半島一周カヤック仲間で、地元に戻って初めて集まりました。
知床というか北海道から戻ってきたのは7月1日。そこから一か月も経っていない。。 なのに、集まったメンバーの半分くらいはその間にも日本中を駆け巡っていました。。さすがの狂人、あ、失礼、強靭なメンバーです。私はせいぜい大阪に出たくらいで、ちまちまとPCに向かって一人90分講演したり(笑)、市内を駆け走る感じでした。特に祇園祭ですからね。今は。

で。そんなメンバーからもこのnote記事について「なんであそこで終わるねん!もっと先、はよ!」と言われておりました。  ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ読んでもらえて光栄です。 

というわけで今度こそ、出発です。
早朝に岩尾別ユースホステル前に集まった私達。早速車に乗り込んで真逆の根室海峡側へと移動します。 

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Google先生のご推測通り、約1時間半ほどのドライブ。
その間に③話で記載した雲海を見たわけですが、このルートを取るには訳があります。 まず一つ目。宿となっている岩尾別近くから時計周りに出発すると真逆に到着してしまうので、着いてから移動するのが大変。。。ってことで宿と反対側から出発。二つ目(こっちの方が大事)根室海峡の波や風の向きが、こちらの方がフォロー。 でも、、マネして個人でこの半島一周を絶対!!!しないでくださいね!この記事終わるまで読んでから、しかもプロのガイドさんと一緒に(行ってくれる方が限られると思いますが。。)してください。。

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相泊漁港は、本当に漁師さん達しかいないような漁港。
私達カヤック隊始め、他に一般人のは方は見なかったような。。
だから漁師さん達は私達を物珍しいものを見るようでした。「こんな寒くて冷たくて暗い海に、なんで好き好んで(仕事でもないのに)来てんのや!?(注:関西弁は私の妄想だから)」と思われていたに違いありません。。。この時は自分でも彼らの職場に遊び着で入ったような感覚に襲われました。

「旅」に伴う「観光」や「レジャー」は必ずしも生活に必須条件にはなりません。 もちろんライフラインでもありません。 だから「余暇」暇が余るくらいある人が楽しむものと考えられても仕方ありません。
でも。。人生って何でしょう。
ただ、生きるために働いて、食べて、飲んで。それを続ける。
もちろんそれが基本です。
基本に忠実に毎日を過ごすことで、豊かな気持ちで生まれてから死んでいくまでを過ごす。 きっとそれが出来れば良いのでしょうね。
でも、そんな人はいません。常に変化や刺激を求めるし、他の人との差を意識します。新しい事を見つけたり、体験したり。
生きて行く為に忙しく仕事をしながらも、それらを求める事を忘れたりしないんです。 そして私は、その究極が「起業」と「旅」だと思っています。
刺激が好き!?な私はそのどちらとも接点の多いポジションにいます。 後々、そんなポジションにいるからこそ、この思いの交錯が変化していく様子も綴っていきたいと思います。

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というわけで、出発前の緊張なのか、これからしばらく人間らしいトイレにおさらばしないといけないというプレッシャーからか30分くらいの出発前チェックの間に私は3回も(それも結構遠い)漁港のトイレに行きました。が、みんなも緊張していたのか誰もそのことに気づいていなかったはず。

私のカヤックは黄色のタンデムと言われる二人乗り。
もちろん、初心者の私が前に乗り手元に用意したのは紛れもない、前日に用意したお菓子達と水。すぐに栄養補給できるように。
バディーは元陸軍自衛隊の木村爺様。74歳とは思えない狂人、あ、失礼。強靭な身体と身体能力に私はその後、姫カヤックと言われるくらい漕がなくてもすすんでいた事実。 ダンディーな御髭にハンサムなお顔立ち。更に無口(後ほど変わってきますが)で黙々と仕事をこなす様子は女性陣(といっても二人だけど)のハートを射抜いたのは(この時は)間違いありません。 

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冷たい海水をよける防水エプロンをしっかり付けて、いざ入水!
実はこの入水のタイミングが一番難しく、カヤックに入るタイミングを外したり、エプロンを付ける時間がかかったり、ずれたりしてるとすぐに足元に海水がどんどん入ってくる。
ですが、私はこの爺の素晴らしい入水テクニックと補助によってほとんど濡れる事が無く快適に過ごすことが出来たのです。 スパシーバ!爺!(なぜかロシア語) 

続く 
→次を読みたい方はこちらからどうぞ。⑤話へ
→①話から読む方はこちら

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