求めているもの
先日飲食店にて、近くの席を利用していたグループ客から聞こえてきた会話から感じたことを書いてみようと思います。
大事をとればいい
男女数名のそのグループから聞こえてきたのは
【友人の結婚式の服装について】
の会話だった。
聞こえていた内容から察するに、多分その女性は何かを見せながら
《この服で結婚式に行くのはアリかナシか》
を友人達に相談しているようだった。
口調からはそんなに切羽詰まったような印象は受けず、ダメならやめるし大丈夫そうならそれにするという話し方だった。
相談者が話し終えると男性の声が聞こえてきた。
『あのさ、迷ったらやめればいいんじゃない。迷ったらやめて無難なものを選ぶのが【大事を取る】ってことなんだよ』
その発言後、一瞬シン…となっていたのが印象的だった。
相談者と思われる人は
『あ…うん、だよねー。迷ったならやめるべきだね!ごめんごめん、常識なさすぎたわー』
と明るく言っていたけれど、周りは何も言えずに苦笑いするしかないといった雰囲気だった。
大事をとる発言をしたであろう男性から
『まぁ常識的にちょっと考えればわかるから、迷うぐらいなら間違いないのを買ったほうがいいよ』
という言葉が飛び出したのでチラッと見ると、いかにも “どんまい!” とでも言いたげな感じで1人明るく話し満足そうにしていた。
その後
しばらくして帰る雰囲気になった時、女性の1人が
『まだ話足りないからここで解散でもいい?』
と言い出し、男性陣のみ店を後にした。
出て行ったのを見届けてから、女性の1人が
『◯◯の言ってることは間違ってないけどあの言い方はなくない?』
と切り出した。
ところどころ聞き取れなかったし全てに聞き耳を立てていたわけではないから詳細はわからないが、大事をとる発言をした男性に不満がある様子だった。
なんであんな上からなの?
そういうことを聞いてるわけじゃなくない?
アリかナシか聞きたかったのにあんなこと言われたらアリもナシも言えなくなる!
うちらの世代まだ結婚する人少ないから服も持ってなかったりするよね。
呼ばれる度に毎回同じの着て行くわけにもいかないしねー。
男はスーツだからいいよね。女はそういうところにもお金かかるのにね。
知りもしないでえらそうに言うなって。
聞こえてきた限りではこんな感じのことを言っていた。
結婚ラッシュを通り過ぎたアラフォーもわかるわかると思えるような言葉たち。
私も若い頃は手持ちのほんの数着を着回したり、友達と貸し借りしたりで節約しながらなんとか乗り切っていた。
相談したであろう女性はあまり発言していなかったようだが、残ってくれた女性陣にしきりにありがとうとごめんねを繰り返していた。
女性の1人は男性陣も自分達が残る理由を察してたと思うと言っていて、みんなでその相談者を庇っているのが伝わってきた。
どちらも間違いではない
それからの会話は私が店を後にしたのでわからないが、帰り道にこの聞こえてきてしまった会話のことを考えてみた。
最初に大事をとる発言をした男性も、男性陣が帰った後にしていた女性陣の話も間違いではないと思う。
ただ確かに何ひとつ間違っていないのだが、女性側はYESかNOかを聞いていたのだ。
なのにYESかNOではなく教え諭すように『迷ったならやめる。それが大事をとるということ』などと言われ、更にその後『常識』とまで言われてしまったらそれ以上何も言えなくなる。
男性は悪意なく親切心から教えたのだと思うが、相談していること自体を否定する行為のように感じた。
私なら大人げなく『そういうことを言いたいんじゃなくて。アリかナシか聞いてるだけ』と言ってしまうかもしれない。
私の経験
私も似たような経験がある。
以前某SNSで耐えきれずに愚痴を投稿したことがあった。
その時に真っ先にいただいた言葉が
『あなたはどうですか。自分自身を振り返ってみて大丈夫だと、できていると言えますか?』
というものだった。
確かこの時は元夫に対する不満がパンパンに膨れ上がっていた時期。
別居して日々できないなりに家事育児仕事をがむしゃらにやっていたのだが、元夫は実家で仕事もせずに食っちゃ寝と趣味と遊びを謳歌していた。
こっちは明日食べるのも大丈夫なのかという状況なのに、元夫は実家で衣食住の心配は一切なく、お金がなくなれば親から貰い、好きな時に好きなものを買って好きなことをして好きなものを食べて暮らしていたのだ。
子どもには見向きもしない(元夫が子どもを抱っこしたのは現在に至るまでに2回、オムツ交換・ミルク・誕生日を祝ったことは各1回ずつ)、連絡はまともに取れない、離婚したわけではないのに既に彼女を作って好き放題、話し合いにも応じない。
それで嫁に口うるさく言われる可哀想な被害者。
この状況に不満を抱かず愚痴を吐かずに子どもとニコニコ穏やかに心に余裕を持って暮らしていける人はいるのだろうか。
私はこの不満を、自分にも悪いところがあることは重々承知の上で愚痴として吐き出した。
それが『あなたはどうですか』という言葉に繋がったというわけだ。
ド正論でしかないと思った。ぐうの音も出ない。
この人は【人の振り見て我が振り直せ】と伝えたかったのだろう。
もう本当に仰る通りすぎて、返す言葉も見つからなかった。
しかし自分のことを棚に上げて愚痴を吐くに至った経緯、そこにある背景をこの人は知らないのだ。
知らずに愚痴という切り取られた断片だけを見て棚に上げていると感じ取り、正論で教え諭そうとしたのだ。
愚痴を言うのにいちいち全ての詳細を説明した上で『だから私は納得がいきません』と言う人はなかなかいないのではないだろうか。
だが自分のことは棚に上げて愚痴を吐いた愚かさにも気が付くことができたし、教えてくれる人がいることはありがたいと思った。
その反面、自分が正しくないと愚痴を言ってはいけないのだなと過剰な我慢をするようにもなった。
(今は医師の指導もあり、そんなに我慢せずに吐き出せるようになった)
ド正論は時として人を悪意なく追い詰めるものだと知った出来事でもあった。
どちらも優しさ
最初に戻るが、結婚式の服装を相談していた人に対して正論で解決しようとした男性も、残って相談者を励ましていた女性陣もどちらも優しいと思った。
だが私は正論で解決しようとする優しさは苦手だ。
途中にも書いたが、正論は時として人を追い詰める。
私が一時期愚痴を吐けなくなったように、悩んでいる人のガス抜きの機会を奪ってしまうことに繋がる場合がある。
愚痴というものはそもそも言っても仕方がないことを言って嘆くことだ。
要するに、言ってもどうしようもないことはわかってるのだ。
でも自分の中に残しておきたくないし、モヤモヤしたままでいたくないから吐き出して悪いガスを抜いていく。
相談する時点で本当は答えが決まっていると聞いたことがあるのだが、それはそうだと思う。
だけど私としては、その決まっている答えに自信がほしい、背中を押してほしい、間違えていないかを知りたい…そんな気持ちで相談している気がする。
実際わかった上で相談し、愚痴を吐いている。
わかっていたら相談してはいけないし、愚痴を吐いてはいけないということにはならないはずだ。
正論をぶつけるのもいいが、それをぶつける前に
『いや待てよ。自分もわかっているのだから、この人もわかってるんじゃないか?』
と思うことも必要ではないだろうか。
正論を伝えることも優しさだが《きっとわかってて言ってるんだな》と察して受け止めることも優しさだと思う。
正論を伝えることだけが優しさや正しいことではないと思うユキヤナギでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?