子どもに罪はない

私は今怒っている。

今の感情を言葉にすると怒っているになると思ってこの言葉にしたが、内訳としては怒り寄りの悲しみ、悔しさ、疑問…。
それらが心の底で小さくメラメラふつふつとしている。


残念な話

というのも以前投稿した内容に軽く触れる形になるが、保育園の子ども達に対して嫌味を言ったり暴言紛いの言葉を投げかけたり気に入らない保育士に対してわかりやすく無視したり陰口を言ったりしていた保育士達が、異動先でも同じようなことをしているという話を耳にしたのだ。

異動先ではついに精神的に追い詰められた保育士が退職したということだった。
人によって感じ方や受け取り方の差があり、心に受けるダメージにも違いがあるとはいえ、人ひとり退職するまで追い詰めるって相当なことだと思う。
退職した人がどんな人だったのかはわからない。
ただ簡単に辞めるような人ではなく、穏やかで優しい人柄だと聞いた。
結局強気な人ではなく言い返してこないような人を狙うところも変わってないなぁという印象を受けた。

子ども達にはどう接しているのかまでは聞けなかったが、かつてやられていた身としては大人相手も子ども相手もきっと変わらない気がする。


そもそもなぜ子どもに辛く当たるのか


そんなにイライラして子ども達に当たるぐらいストレスを感じているのだとすれば、何もわざわざ身を削って薄給・激務の保育士である必要はなく、もっと時間の拘束が短くてお給料の良い仕事はあるはず。
今なんていつバレて告発されるかわからないのに、そんなリスク犯し子ども達に嫌がらせをしてまで保育士であり続ける必要があるのだろうか?
保育士にとっても子ども達にとっても苦しいだけの負の連鎖のような気がする。

中にはずっと保育士だったからそのままズルズル…という人もいるかもしれない。
でもきっと根底には子どもが好きだったり保育士という仕事そのものが好きだからという人もいるはず。

後悔や後ろめたさはないのだろうか。


保育士だって人間だもの

確かにイライラするし、もう何回言ったらわかってくれるのー!と頭を掻きむしりたくなるし、保護者の皆さんが大変なのはよーくわかりますけどコチラも大変なのわかってー!と喉まで出かけるし、お願いだから寝ようよー…頼むよぅ…と泣きたくなる時もある。

だけどそこでその感情を子どもにぶつけるのは違う。してはいけない。
かと言って気に入らない同僚に向けるのも違う。

だからいつも思う。
あなた達がやっていることを、あなたのお子さんがやられたらどうですか?
あなたのお母さんがやられたらどうですか?
あなたのご主人がやられたらどうですか?

なんとも思わないのだろうか。
うちの子が悪いんだからやられてもしょうがない!どんどんやっちゃって!と思うのだろうか。

こんな服似合うんじゃないかな?これかわいいかも?と愛情込めて選んだ服を、あの服はヤバイって笑われてると知ったらどう思いますか?

そこの想像ができない、やっていいことと悪いこと、言っていいことと悪いことの区別もつかないのに、どうして子ども達に教えられるの?
先生はいいけどあなた達はだめ!は通らないのに。

ピアノが弾ける、歌が上手、絵本を読むのも完璧。
事務仕事もさっさと終わらせる。仕事を休むこともない。
それなら何をしてもいいんですか?何をしても許されるのですか?

保育士だって感情のある人間。
だからといって何をしてもいいわけではありません。

よね?


『保護者に見せられない保育はしない』

以前先輩保育士が言っていた言葉だ。
すごくシンプルで、そりゃそうだ!と思った。
ズドンと心のど真ん中に突き刺さった。
きっとこの言葉には保育士にとって必要でとても大切なことが詰まっていると思った。

結局のところ、子どもに罪はない

イタズラもするし、意地悪もするし、泣くし、喧嘩するし、もう大変。

でもこれから知っていく。今はその過程にすぎない。
壁にクレヨンでお絵描きしてはいけない。
おもちゃは順番で仲良く使うもの。
お友達のことをかじってはいけない、叩いたりつねったり引っ掻いたり蹴ったりしてはいけない。
髪の毛を引っ張ったら痛い。
おもちゃを奪われると悲しい。
そういうことを今まさに吸収して学んでいる真っ最中。

そりゃあ毎日てんてこまいだけれど、子ども達だってやろうと思ってやってるわけではなく、まだわからないのだ。
だからこそお家で叱られるのと同じように、保育園でも根気よく伝える。

保育士は安全を確保しながら、子ども達に良し悪しを教えていく。
遊び方、関わり方、思いやり…そういうものを教えていく。

子どもたちを叱っている場面は、やっぱり保護者にはあまり見てほしくはないのが個人的には正直なところ。
立場があるとはいえ人様の大切なお子さんを叱っているところは、なんとなくいいようのない気まずさがある。
悪いことをしているわけでもなく、見られてまずいような“怒り”方をしているわけでもない。
それでもなんとなく、あっ…という気持ちにはなる。

でもそれも保育士の仕事。

子どもを好き嫌いで見て、ネチネチと嫌味を言い、人によって態度を変え、時には過剰な罰を与えるのは、保育でも仕事でもない。


願いを込めて

私はこの先保育士として働くことがあるかと問われると、即答はできない。

100%相手だけが悪いとは言えず私にも悪いところがあったとはいえ、それを理由に必要以上の不当な扱いを受けた身としては保育の世界に戻るのはかなりの勇気と心の準備が必要だ。

私の心がその準備を整えられるようになるかどうかが全然わからず、難しいかもしれないねと言われているのが現状。

気持ちの上では庇いきれなかった、守りきれなかった子ども達への申し訳ない想いはまだ心の奥底で燻っているし、虐待のニュースや今回のような退職者が出たという話を聞く度に今度こそは負けないという自分でもよくわからない闘争心がメラメラと燃えてくる。

それでも保育士である前に子を持つ母として、私自身の心が完全に壊れてしまうようなことは今は避けなければと思っている。
肝心の我が子を守れなければなんの意味もないと思うからだ。

子ども達には素晴らしい保育士がたくさんついている。
私の子どもの母親はこの世の中に私ひとりしかいない。
だから今私がすべきことは、心を休めることや我が子の成長を見守ること。そう受け止めている。

それでも何かできることはないか…と考えた時に、右も左も何もかもわからない状態ではあるけれど、こうして言葉にして形にして残すことだと思った。

こんな拙い文章でも心優しいどなたかが読んでくださって、スキをしてくれたり、わかるよー!とコメントをくれたり、こんなに嬉しいことはない。勇気が湧いてくる。

微力も微力、あってないようなものでしかないけれど、ほんの少しずつでも実態が広まってどなたかの目に留まり問題提起に繋がれば。

保育士やかわいい子ども達が穏やかに安心して保育園生活を送れるようになるのなら。

そんな願いを込めて書きました。

なんせ文章を書く事自体は好きとはいえ言葉にするのは得意ではないもので、ダラダラと長くなりがちで意味がわからないところも多く読みにくいと思う。

それでも最後まで読んでくださった方がいましたら、心から感謝致します。
ありがとうございます。

どうかこれ以上不必要に傷付く人が増えませんように。

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