「怖い」の正体を内に見た
「怖い」と思って足がすくんでしまう経験はないだろうか。対象は必ずしも、暴力的なものや、恐怖心を煽るものとは限らない。
例えば、私は高校で習ったはずの理系科目に対して苦手意識を持っている。そう、「理解出来ないこと」が「怖い」のだ。
その次に、高校を出た人であれば出来るであろう、と思われていることを基盤として生計を立てているにも関わらず、「出来ないかもしれない自分」が露見することが「怖い」。
いや、もしかすると環境によってはこの順番は逆転するかもしれない。
そんな時、たまたま積読のなかから引っ張り出してきた「チーズはどこへ消えた」を読んだ。
その中に、『もし恐怖がなかったら、何をするだろう?』という問いが出てくる。この問いがじわじわと私の「怖い」を侵蝕して、「客観的な問い」へと変えていった。
もし今私の中の「怖い」がなかったら、私はどうするだろうか。きっとこうするだろう、という幾つかの方向性が見えた時、いつの間にか「怖い」は影を潜めていた。
危機感を持つことは確かに大事だろう、けれど「怖い」という思考が頭から離れない状態で行うなにかは、大体いい結果を生まない。
私の内にある「怖い」を把握して、前を向いて対処していこうと、なんとなく思った。(すぐにどうにか、ということは難しいから、とりあえずなんとなくね。)
今日のとい。