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心の中のデリケートゾーン

身体にも敏感な部分があるのと同じように、
心にも、ひとそれぞれデリケートゾーンがあると思う。

ただ、後者の場合は、
他人から分からなかったり、見えなかったりすることが多い。
だから、互いに意図せず強烈なパンチを繰り出したり、ノーガードで受けてしまったりするという事故が起こりうる。

こうした事故を未然に防ぐ為には、予め〝お断り〟を入れておくことが望ましい。
「お手を触れないで下さい」の看板のように。
例えば持病の場合、考課表に備考として書くことも可能だ。
「持病の為、有給休暇をいただきます。」も言いやすい。

けれども、他人に言いづらいことの場合、
こうした先手を打つこと自体が難しい。
「触れるな!」という部分は自分の最も弱い部分であるわけで、
勇気のいる行為だからだ。

殊に、年代別、環境別に、触れてはいけないゾーンは移り変わるのではないかと思う。

私の場合、
10代、子供扱いされたくなくて早く大人になりたかった。弱い部分なんていっぱいあったし、これから成長してやるから気にしないくらいの気概があった。

20代前半、何もかもが新しくいろんな道が開けているように見えた。
挑戦の時期、がむしゃらでも身体はついてこれた。憧れの存在なら世の中にいっぱいいた。

20代後半、集団における自分の実力とは、位置とは、なんとなく察せてしまった。その一方で、同級生達の進む道は分かれに分かれ、隣の芝生は青く、
悩みを深くまで詳細に相談することが難しくなった。
誰がどんなデリケートゾーンをもって生きているのか分からないから。
自分が一番嫌っている無神経な発言を自分がしてしまうのではないかという不安。

心のデリケートゾーンは人によって違う。
自分のなかでもどんどんかさぶたが出来て剥がれては、
別のところに新しい傷がついていく。
それはきっと痛い。
痛いけど、それも自分の一部としてちゃんと認めてあげよう。
痛いけど、何かが変わっていくことはきっといいことだ。

これから先、
30代、40代、50代とずっと先までいろんなことを経験していく。
人生百年、「大人って、なっがいよー。」の某CMのように、
でっかく構えていれる大人になりたい。