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90歳の「おじいちゃん」へ大好きって言ってみる。

おはようございます。
とい、です。
(本記事は、Marmaladeさんの企画に参加させていただきます。)


突然ですが、
私は「じいちゃん」という存在を知りません。
私が生まれた時には片方は他界し、もう片方は私が生まれた数日後に会うこともなく亡くなりました。

ですから、世の中のじいちゃん達に出会った時、
緊張と内混ぜの好奇心が湧いてくる気がします。

はて、最後に友だちの家の「じいちゃん」に遊んでもらったのはいつだったっけかな。

山の案内人

ここ最近、旦那さんの伝手で山菜採りにいきました。久々にガッツリ年上の人と関わる機会に緊張しまくりの道中の車内。

私の思いとは裏腹に、初対面のおじさんは寛容です。かと思えば、逞しい。
「今朝じいさんと沢さ見てきたけんど、途中で松食い虫にやられた松が倒れてて進めなかったからチェーンソーば持って行くべ。」

(チェーンソーば持っていくのスカ?)
※地元の方言がわからない私です。

行ってみればバッタバッタ松の木が倒れているのです。それをブァーワンワンワン、ブイーーーンと切っていく。(ア、アドベンチャー)

そんなこんなあって、おじいさんの持ち山の中の沢を、おじさんの案内のもと、歩いて山菜を見つけるのです。

おじいさんの片足が思うように動かなくなってきた為、ここ数年その沢には入っていなかったとのことでした。


そんな、われわれの目的はシドケ採りです。

シドケとは
モミジガサ(紅葉笠、学名:Parasenecio delphiniifolius)は、キク科コウモリソウ属の多年草。別名、シドケ、シトギ、モミジソウ。春、茎が20-30cmに伸び、茎先の葉がまだ展開しないものは山菜として食用にされる。【Wikipedia】

みんなで話しながら(クマ避け対策)ゆっくりと沢を進みます。
山の谷間に流れるのが沢なので、日差しもそこまで強くなく足元の水と木陰のおかげでひんやりとした空気を感じられます。

「本当はもうすこし早い時期のほうが美味しいんだけどな」と言われつつも、それっぽい形の葉っぱを摘んでいきます。
来年の分も残しつつ、「採れたな」なんて言いながら斜面で地元の話を聞いたりします。

ちょろちょろ流れる沢の音と、冷たいお茶に癒されるひと時。


じいちゃんとのファーストコンタクト

沢から帰るとじいちゃんがお昼の支度をして待っていてくれました。

♪仕上げはおじーいちゃーんばりに、
「シドケだな」と確認するおじいちゃん。

※先程Wikipediaで確認したら猛毒のトリカブトに似ているそうです。おじいちゃんの確認を得て食べたけれど、なんか今更(怖っ)と思いました。

自己紹介もそこそこに、すでに出遅れている昼の支度を手伝おうと進み出るも、山菜を扱ったことがなく、おじいちゃんに「これ湯がきます?」ときいてみます。

でも、すみません。

返事が全然分かりません。

声が小さいとか以前に方言が強すぎて全然分からないのです。

一方で、おじいちゃんは既に両手鍋いっぱいに水を張って腕をプルプルさせながらコンロへ移動していきます。

(えーーー!聞いてた?聞こえてない?)

「おじいちゃん、シドケは湯がくの?」
「ほうれん草、湯がくみたいな感じでいいの?」
「茎から入れるよね?」
「もう湯からあげる?水でしめる?」
「どれくらい絞んの?」

この間におじいちゃんが、何かしら答えてくれているのですが分からないので、矢継ぎ早に質問を繰り出します。

敬語もなんもあったもんじゃない、
どたばたシドケ処理班おじいちゃんwith私。


まぁ、結局適当で良かったみたいです。
酢醤油で食べるのが美味しい。

価値観の上書き

お昼はおじさんと旦那さんの話に花が咲き、私はのんびり敷地を散歩することにしました。どこまで行っても敷地です。

歩き疲れたら刈りたての青草の上に寝っ転がって、
(これを牛が食べるのかぁ)とか、
(空は青いし雲きれいだなぁ)とか、
ぼーっとしておりました。

ホトトギスの鳴く声が響く木陰。

滅多にない機会。貴重な時間。

それでもゆったりと流れる時間のなかで、
この地区の連携の凄さ、守ってきたもの、
昼に聞いた色々なことに思いを馳せました。

誰かの仕事なしに生活は成り立たない。
自然も、農業も、畜産も、何もかも。


私の過ごしてきた時間とは違う。
甘んじて享受するばかりだったこと、
それに気付けたことに、今はただ感謝しています。

私は「じいちゃん」が大好きだ

私は、ばあちゃんっ子だったけど、もし、じいちゃんがいたらどんな感じだったろう。

不意にじいちゃんが

「蓋さ開けてくれるか?」

とペットボトルを渡してきたとき、頼られたことに驚きつつも嬉しくなっている自分に気づきました。


お土産にと近くのパン屋で、私が選んだミニあんぱんセット6個入りを、じいちゃんがいつの間にか2個平らげて

「食べすぎるといけねから。」と小さく呟いて


金色の留め具をずっとネジネジしていたのも、
私はちゃんと横目で見ていました。



じいちゃんからしたら、私たちの年齢はひ孫くらいの年齢だそうです。

じいちゃんや、ばあちゃんは歳を重ねると性別を越えるような気がします。
勿論、そうでない人もいるけれど、私はシドケのじいちゃんに亡くなった祖母を重ねました。


だから、一生懸命ペットボトルオープナーを探して、
商品のビニール袋の裏に「おじいちゃんへ」とメッセージを書きました。



(お世話になりました。大好きです。)の気持ちを込めて。

(新しい風を私の心へ運んでくれて、ありがとう。)の感謝を込めて。



とい。

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