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別人級の見栄えを狙うなら、わたしのアテンドはご遠慮ください
いつもわたしのアテンドオーガナイズをしてくれるライティング・ライフ・プロジェクトのみおちゃん主催で、グループでソウルファッションスタイリングを体験してくれたやはばまみさんが、noteにこんなことを書いてくれていました。
まみさんのアテンドのときの様子はこちら
Instagramのオススメ機能?というのかな?フォローしてる人の投稿ではないけれど、いわゆるバズっている投稿がタイムラインに出てくることがありますよね?
髪型やメイク、服装を変えて素敵に大変身!というリール動画が上がってくることがあって、おもしろくてときどき見てしまいます。
今日ふと感じたことは、そういう動画ももちろん楽しい。
みなさん、ご自分の才能を活かしてたくさんの人を素敵に輝かせています。
けれど、その人の魂の輝き/本質までをも引き出そうとしているたにもとゆきさんのファッションアテンドはちょっと次元の違うものなのだな、と感じました。
うまく言葉で伝えられないのですが、ゆきさんのファッションアテンドは、体験してみるとわかるのですが、単に似合う似合わないという話をしているのではないのです。
だから、ゆきさんのアテンドを受けた方たちの変身ぶりを見せてもらうと、わたしはなんだか泣けてきちゃうのです。
深い部分を感知してくれている。。。ううう〜泣ける。。。
言わんとすることはすごくわかるのです。
わたしが思うに…見栄えを狙うメイクやスタイリングって、造形物としての美しさに感じるな〜と。
足らないから盛る。一重を二重に見えるようにとか、鼻を高くみせるためにとか、そういうどこか一つの美しさの答えに寄せていく…そんな感じのメイクやスタイリングは、誰かの評価を求める造形物かなぁと、主観としては思うわけです。
メイクを取ったら誰だかわからない。服を着替えたら誰だかわからない。
だとしたら、その人じゃなくても良いわけで。
もちろん、そこを目指すことが悪いとか、そういうことではなくて、わたしの好みではないというだけです。
若い頃は、わたしも足りないところを盛ることに精一杯努力したし、校則違反はわかっていても、眉毛は書き足して学校行ったしwww
そんなこともしたから、らしい輝きの素晴らしさにも気がつけた。
ファッションスタイリングするときは、服を着るから、その人の押さえ込まれていた輝きが放出されることを目指していて、盛りすぎると、そこに魂はなくて、造形物感がでて、わたしはちょっと残念に感じちゃうんだよね〜
そんな感覚をまみさんは書いてくれてるように思います♡
なので、ちょっと言わせていただきます!
もし、自分以外の誰かになりたい!自分じゃない人間になりたい!という願望があり、別人級の見栄えを狙うなら、わたしのアテンドはご遠慮ください。
わたしは、あなたがあなた以外になることを手助けすることはできません。どんなにお金を積まれても、それはやっぱりできないのです。
それは、わたしの美意識に反するし、それをしたらわたしがわたしで在ることの否定になっちゃう。
自分のここが好き、でもここは嫌い。ここはコンプレックス。そういう思いは持っていて大丈夫。
それを抱えつつも、自分らしく輝きたい!自分を生きたい!と思う素敵なエネルギーの持ち主と、魂の輝きを社会に放ちたいなぁと思っています♡
わたしはそんな方々と共に、この地球で生きていきたいんだな〜と、アテンドしていて強く感じています♡
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わたしの世界観をデロデロと、キャハキャハと表現すると心に誓いました。サポートをしていただいた暁には、少しでも良い世界観を表現できるよう美意識の向上エネルギーに使わせていただきます♪そして肥えたわたしをこのnoteにまた循環させていきます♪