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【保育の場から】あなたは愛されているんだって、とりあえず伝えたい

私の手元にある乳児保育の教科書(『新時代の保育双書 乳児保育(第3版)』株式会社みらい)の第2章(P.29)は「愛されて育つことの意味」となっています。

初めて見たとき、なんだか軽い衝撃を受けました。
この章のキーポイントとして、「子どもはなぜ、愛されて育つことが大事なのか」とあります。
それは、すべての人間が愛されて育つべきだということ。
すべての人間は、愛されるべきということです。
それが、教科書に書いてある。
……そうか、人間はみんな愛されてしかるべき存在なんだな、と。

子どもが愛されて育つべきなのは、みんな当然だと考えるかもしれない。
だけど、じゃあ大人は?
自分は愛されてしかるべきだと信じることができていますか?
愛されるべきなのは子どものうちだけ、なんておかしい気がする。
でも現在の自分のこととなると、「おぉっ…」と思ってしまう人、案外いるんじゃないか。

ここで「自己肯定感」という耳にタコができるほど聞いてきた言葉がかかわってくる。
愛されて育つと「自己肯定感」が育まれ、特に意識するまでもなく安心していられる。
「私は愛される価値のある人間なのか」なんて思い悩むことがかなり少なくなるのでしょう。

上記第2章の第1節「愛されることの意味を考えてみよう」(これもまた教科書に出てくるテーマとして驚きましたが)より引用します。

”愛されて育つとは、まるごとを受けとめられることである。受けとめられるとは、自分をなくして相手の思うような人間になるのとは反対に、自分が自分であってよいということを意味している。どんなことをしても、最終的にはそんなあなたであっても、私はあなたを見捨てないということである。”

あらためて文字にされると、インパクトがあります。
愛されるために努力する、とかじゃなく、ただ自分でいればよいと安心していられるようになること。

私は、ありがたいことに両親から愛されてきたし愛されていると信じることができます。
そんな私でも、自己肯定感の低さに思い悩んだ時代が長かった。
親にはそんなつもりなかったと思うけど、なにげない言動のなかに私は「きちんとできなきゃ愛されないんだ」と誤ったメッセージを受け取り思い込んでしまっていたのだと思います。

子どもの生来の性格、言葉が発せられたタイミングなど、諸条件が重なってのことと思いますが、「無条件に愛している」というメッセージだけを発し続けることは非常に難しいことなんじゃないかと推察します。

家族だからこその子どもへの期待、社会からの無言の「きちんとした親」を求める圧力、社会の目を気にして無意識に言動を選ぶこともあるでしょう。
保護者の方々が社会のなかで子育てをしていくのは本当に大変なことです。

さてそこで保育士の私。
30代後半で保育士になって、それまでに自己肯定感の低さとかいろんなことに悩んだ経験があった。
そういったことを、保育士としてのこれからの働きに活かしていきたいと考えていました。
自分自身がずっと求めていたこと。
「私のダメな部分も全部まるごと受け入れられたい」。
だから、子どもに対して、「どんなあなたでもいいよ」のメッセージを発信し続けたい。

保育士としてはもちろん、生活習慣の自立の手助けとかしつけとかのミッションもあるのですが。
それ以前に、保護者の方と離れている時間のなかでも、あなたを愛している大人がいるよってことを伝えたい。

実際に保育をする日々のなかで、やっぱり保育士でも、子どもにイラッとしたりがっかりしたりする瞬間はある。
その度に、いかんいかんと思い直して、子どもがふさわしい行動ができるようにということだけにフォーカスする。

子どもと相対するということは、きれいごとだけでは済まない、難しいこともありますね。
自分の修行になるなぁと思うし、子どもから教わることがたくさんたくさんあります。
めげずに初心を忘れず、「それでもあなたを愛している大人がここにもいるよ」と表現していきたいです。

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